八切止夫「元治元年の全学連」

a0009919_658597.jpgぼくのなかで、いま一番魅力的な男。
それは、八切が描く
田中源蔵だ。
…いま一番、世の中に足りないもの…がなにかが分かる。
文句無しで面白い。
題名を聞いて、大江を思いだした方も、おられると思うが……
ぼくにとっては、それ以上の記念碑的な作品だ。

といっても、この本、いま現在、本屋では扱ってない。
作品社の復刻シリーズでも
残念ながら入っていなかった。

ところが、生前、八切が著作権を放棄していたので
ネットで読むことができる

八切止夫作品集

是非ご一読を!

八切史観について色々言われる向きもあるが、
そういうありきたりな通説や良識は、一度忘れて
冒険の旅に出るつもりで読んで欲しい。
正直言うと
ぼくは、八切を読むまで、歴史小説が、こんなに楽しいものだとは知らなかった。

ざっと、八切をご紹介しよう……
(ちなみに「八切止夫」というペンネームは、敗戦直下切腹、失敗。八切はもともと「腹切り」。つまり「腹切りを止めた男」という意味。)

武士道(葉隠れ批判)を
「死んでも奉公するから飼ってくれ、給与を頂かせてほしい、とCMしなければならなかった悲しい封建時代の奴隷の思想」論考と切り捨て、
「「間引き」と称し生まれてきたのを眼のみえぬうちに処分したが、武士の場合は、「大人を間引き」という事になった。端的にいうならば、浪人させて追い払うか、そうでなければ、「武士道とは死ぬこととみつけたり」と、かつては生き抜いてゆくための「士道」が、平和になるとこれがあべこべに扱われるようにもなってきた。」

「青丹よし奈良の都は咲く花の」とよばれる「ナラ」の言葉が、朝鮮語の「国」を意味するという程だから、日本へ渡ってきて落着いてしまった朝鮮人の勢力は、侮り難いものがあったのだろう。」意外史

「死んでくるぞと勇ましく誓って家を出たからは」と流行歌にまで唱われるようになった。
 つまり、玉砕こそ名誉ある崇高な死という考えそのものが、国民教育の眼目となった時点から、楠木一族もそういう事にされてしまったらしい。時代の都合によって日本歴史はくるくる変る。」八切日本史…

「「皮剥ぎも皮細工も四つと呼ばれる騎馬民族。判りやすく言えば、白筋の馬方は源氏だが、
 駕かき川越人足や雲助は平家で、「八つ」とよぶ赤筋の拝火宗徒。トウナイは『唐無い』で、契丹系の部落民」と、はっきり種族別が分けられる」古代史入門……

「反仏派の北条期には源氏の「四つ」をはじめ、赤系でない者を追い込んだ。」古代史入門

「足利幕府になると今度は逆で、赤系の祇の「八つ」も反体制の南朝方と、橋のない川へ入れられた」古代史入門

村八分
「「天孫系に制圧された原住系の八」が、その役割をはたしていたのである。だからして、よくチャンバラ映画で、主人公がみえをきり、
「おのれ不浄役人め」とか「不浄な縄目をうけるものか」というのもこれからである。
 バッタバッタと江戸時代の捕手が斬られる場面だけが許可されるのも、そのせいなのである。
 もちろん、ヤ印の八部衆全部が体制側の走狗で、
「御用ッ」「御用」をしていたわけでもなかろうが、岡っ引や番太もみな同じである。
 ところが村方に寄食して威張って米をくっていた八部衆も、明治七年に警察制度が変ると、前御用族の彼らは村方一同から迫害された。
 もちろん、もう米を献じてくれる者もなく、あべこべに殴られ蹴られ爪はじきにされた。
 これが「村八分」という文字にかえられている具象の真実である。つまりこうした、
「八」の歴史でさえ専門外といわれる私などしか知らぬところに、日本歴史に虚妄が沈澱する。」八切日本史

「さて、明治五年、川路利良が羅卒総長となって薩摩の者を用いることにして、従来は非人別帳側にあった村役人共をやめさせるにあたって、ここに全国的な騒動がもちあがった。
 といって御用提灯や十手の返納を命ぜられたから、番太郎や村役人が反抗したというのではない。それまで御用風をふかされ脅かされていた一般大衆や百姓が、それまでの警察官だった通称「八[はち]」とよばれた八部衆や岡っ引を各地で半殺しにしてしまったのである。もちろん今でも、「嘘の三八」とか「嘘っぱち」という言葉が残っているくらいだから、江戸時代の彼らはでっちあげで罪ばかりつくっていたので、そのせいだろう。
 さて、八ばかりでなく、その家族の者まで村や町から追放され、よその土地へ流れていっても、旧幕時代の御用だった前捕方の身分が知れると誰からも相手にされなかった。これが今も名前だけは残って時々マスコミにものる「村八分」の起りである。」徳川家康

「鐘打七変化のようになんでもやる部落の連中を「ささら者」と一括してよぶようになるが、これは後年の話。しかし何故また部落ごと一つになって年に何回も、いろいろな商売がえをして、それで各地を分散してまわった」徳川家康

「紺屋の白袴」という言葉があるし、
「論語よみの論語知らず」ともいうが、
「盗作先生は歴史知らずの歴史屋」なのか。
 なにしろこの人あたりは戦時中に、
「天皇は神さまであられる。日本は皇紀二千六百年である。アア‥‥」
 と平然と講義をして、多くの学生を教壇から見送って死なせたことに対して、戦後もなんら「自己の告発」をしていない老人である。」八切日本史

「系図屋というのは、注文されれば何処からでも、もっともらしい名前をもってきて、なんとか先祖にすえてしまい、それで依頼主の歓心をかう系図を作成していたリライト業だったので、現代でも、注文通りの品物を巧く盗みだしてきて、それを捌く商売人を、漢字では臓物商、故物買いとかくが、発音では『けいずや』と、まだいっているほどのものである。」日本意外史

「日本におけるようなごとき政権護持を意企とする皇国史観的な、教科書に採用されて隠れたベストセラーになるのを目的としたもの。江戸時代から明治、大正、昭和と続いてきたような、特定の人間に栄光を与えんとする事によって、報酬をもらってきた系図屋歴史。そして茶器道具刀剣の値段や宣伝を心掛けて、商売の利潤追求に媚び実存の史実よりも儲けのみにはしる茶碗歴史‥‥といったような、国家とか斯界のために貢献して、それによって報酬をうけたり利益の配分を意企するものが、歴史のあり方ではない。あくまでも、個人が、己れの真実を追求するため、一つの定まった具象である過去の実在や実存の本当のあり方を、欲得ぬきで追いかけるのが、それこそ歴史の解明でないかと、彼はいっているのであります。」意外史(「彼」とはバーリン)

「もちろん俗説の「清和源氏」などというのも、系図屋さんや筆耕者の江戸時代の作りごとで、清和帝が土着の原住民に係りなどあろうはずはなく、これが全然無関係の虚妄にすぎなかったことは、今なき高柳光寿先生の努力によっても解明されている。」八切日本史

終戦直下の満洲で
「日本人ほど信念がなく権力に弱く、べったりしたがるのはない」がっかりさせられた。しみじみといやになってしまった。
 なにしろ邦人会へAが呼び出されたとなると、拷問されたわけでもないのに、
「BとCがもと共産党員だったらしいから、ソ連に協力していた」と告げてしまい、そのBやCが呼び出されると、これまた同じように彼らは、
「DやEがくさい」と教えるのである。
 事実そう想いこんで云うのなら仕方もない話だが、付和雷同的、まこと単純そのものに、
「長いものには巻かれろ」で考えもなしに、進んで協力し、ご愛嬌に他人を密告するのである。」八切日本史

「ボウイックだって、理論が教えることのできない知恵を教えるもの、それが歴史だとはいっているが、
「歴史学教授の説くものが歴史だ」などとはいっていない」徳川家康

「英雄豪傑とか権力者じゃなくて一般の民衆の生活に則した歴史ということで、大きな影響力をもつようなことになってしまってるんですけれども、だが柳田や折口の民衆史観の、非常なインチキ性というか、あるいは落とし穴といいますか、それをキチンと決着をつけるということです。非常に重要じゃないかというふうに思うんですけれども」八切止夫

八切がなぜ歴史小説家に転向したか……
自著で「いくら頑張って(ブンガクみたいなもんを)書いても行末は水洗で流されるのかと、諸行無常を感じてしまうと書けなくなる。私もそれゆえ臨時休業をした。そこで考えた。その結果、これなら古本屋で棚へ並べてくれるというのを見つけた。歴史ものである。」八切日本史

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5 感覚的だが洞察力には脱帽


八切よ今夜も有り難う!
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by qsso | 2004-09-27 07:12 | 文学・歴史 | Comments(0)
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