菅豊彦「道徳的実在論の擁護 A defence of moral realism 」

道徳的実在論の擁護
菅 豊彦 / 勁草書房
スコア選択: ★★★★★



はっきりいって一読されると驚かれるかもしれない。
なんといっても、「素朴な意識から道徳的実在論を擁護」の試み
つまり、素朴実在論なのです。
スゲー!
やっぱり哲学者は、これぐらいタカピーじゃないと~

といっても理論の進め方としては、そんなに身も蓋もない突拍子のないものではない。
それどころか、現代哲学の入門書として、読むこともまんざら不可能ではない。
(逆に言うとゴリゴリの倫理学の本を期待してはいけない)

内容は説明するまでもない。
ありがたいことに、ネット上には、
本書とは何の関係もないが、伊勢さんの
「大学の変貌と哲学の転回」というページがあり、ほとんど、本書の内容を短く説明したものとして、読むことができる。
これを読めば、本書が、どういう問題設定の上で、書かれているか、あるいは書かれねばならなかったのかが、少しは分かるのではなかろうか?と思う。

簡単に流れを追うと
現代哲学(認識論)は、懐疑主義を解消する方法を探し続けてきた。
しかしながら、結局、現象と実在が、言語と実在が、その一致を確かめる方法(考え方そのもの)が分からない。
そこで、それを解消するために、考え出されたのが、ナント!
現象の背後にある実在世界、あるいはカント的な二世界説を放棄する。
つまり、問題そのものがなかったことにしてしまう。
懐疑主義や認識論そのものを放遂するか、認識論そのものを、クワインがいうように科学の一部分にして解消してしまうか。
伊勢さんのペーパーから引用すれば
「存在するとは、理論的に把握された認識対象として存在することだ」
というクワインの新しい科学的実在論が唱えられる。
「クワインにとって、「存在する」ということばは、ただ一つの用法しか持たない」(伊勢)
その後、言語ゲームを取り入れることによって、この概念の欠点を補い、拡張し、
「こうして、第二次性質、および価値が、人間が実在の世界を言語化して表現するときの表現様式に織り込まれており、その意味で、単に主観的なものではなく、客観的な実在の一つの側面として把握されることがわかる。」(伊勢)

このことは、菅さんが、マッキー&ヒュームの反実在論的な見解を批判する形で述べていることと同じ事を言っている。
菅さんが、マッキー&ヒュームの反実在論が、第二次性質、および価値を、死物世界として斥けること(「価値を科学的実在世界から追放する道徳的反実在論の基本的見解」)に対して、それらは単に主観的なものに到底納まるものではなく、客観的な実在の一つとして擁護すべきだと訴えることと、同じ事なのだ。

ざっくり言ってしまえば、この本は、人間社会の掟(人間社会で役に立つこと)は十分に客観的なものであり、道徳の中心に据えるべきであって、その領域では、自然科学的な野放図な還元主義的な(反実在論や科学的実在論)説明を採るべきではない。
まぁ要するにありのまま、ちょっと難しい言い方をすると
自然言語を通した「自然的対象世界」こそ、道徳的世界が立ち現れてくる場所である。
そういうことが言いたいのである。
そのこと自体に関しては、別段異論はない。

ただ、マッキーは
定言命法は制度化された社会的欲求を隠蔽している。と考えたが
そういう点で考えれば、
菅さんの言い分は、
定言命法を言語ゲームで隠している
という言い方ができるかもしれない。
結局、言語ゲームは問題を形而上学(実在世界)に棚上げしてしまうだけではないのか?。
そういう見解を採ると、結局、二世界説は生き残ることになるのではないか?。
簡単には死なないと思う。

菅さんがいう「実在論」は、
もともとの「実在論」を放棄する形(クワイン-後期ウィト)で獲得された「実在論」であって、
それを「単に」実在論と言ってしまうのは、どうだろうか?
実在論を放棄する形で作られた「実在論」という形から言えば、
菅さんのいう道徳的実在論は、反実在論であり、
逆に、ヒューム-マッキーこそ実在論者ではないだろうか?
(もちろん、ボク個人的には、こういう不毛な論争には興味ない)

「注」にも詳しく書いてあるが、
現在は、戸田山さんに代表されるような人たち(たぶん伊勢さんも入るのかな)は、
その立場をもっと科学的、自然化する方向、科学的実在論で考えていく方向が多い(主流の)ような気がする。

Note------------------------------------------------------
ロボットの心―7つの哲学物語
柴田 正良 / 講談社
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素朴物理主義から考察

貴重な一冊!



知識の哲学
戸田山 和久 / 産業図書
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これを読まずして、現代認識論は語れない!


心の科学と哲学―コネクショニズムの可能性
戸田山 和久 柴田 正良 服部 裕幸 美濃 正 / 昭和堂
スコア選択: ★★★★★



+(2004年12月21日初出)
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by qsso | 2005-09-10 06:30 | 哲学ノート | Comments(1)
Commented by 岩手県立水沢高校学校 at 2008-04-28 21:08 x
サイトにふさわしいレスできませんがお許しください。
伊勢さん高校の同級生で目の前に座っていました。
女性にとってもナイーブな方でした。
政治学者、ジャーナリストの千田善さん1年先輩です。
オシムの通訳やっていました。
(吉田戦車と従兄弟です)
このブログのデザイン見て思い出してしまいました。
私の娘も何をチマッよったのか京都で哲学科にいます。
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