哲学と思想の違い

デカルト=哲学のすすめ
小泉 義之 / 講談社
スコア選択: ★★★★★
ずボり!哲学とはなにか?



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オレみたいなチンポ哲学者が、
ゴニョゴニョゴニョゴニョいうようなことではないが、
哲学と思想
意外と勘違いされていると思う。

そういう勘違いしているヒトには、
ズボリ
小泉義之の「デカルト=哲学のすすめ」が、お薦めだ!
なんてったって
a0009919_893677.jpg序章「思想を捨てる」
のっけからしてこれだもの。
あらゆる世俗の思想を捨てる。
それが哲学だ!
「論争すること自体がよいことであるという」思想16
「学校を終えなければ幸せになれないという思想」
「現在の教育内容が必要だとする思想」
人間「集団が人格を磨くとする思想」17
それら「思想を根こそぎにしたのでは」人々が困るという思想
それら「思想を根こそぎにしたのでは」人々が困るという、それにまつわる「カガク」的な思想をも、
根こそぎにする。
根絶やしにする。
離脱する。

哲学は思想を捨て去るためにこそある。

もちろん、哲学が思想を持ちうることはあり得る。
それ以上考えることができない=思考停止せざるを得なくなったとき、
哲学も思想に陥る。
終わってしまった哲学こそ、思想に他ならないからだ。
世間のヒトは、どうも「終わってしまった思想」を、
哲学だと思っているような気がする。
哲学者といえば、たいがい頑固者でイメージされている。

構造主義だとか
脱構築主義だとか
なんだとか、あれらはみんな
動きを止めてしまった哲学=思想である。

それは動きを止めたがゆえに人々に「……主義」、「……思想」、「……哲学」という名前で呼ばれ、利用され得る。
哲学にとって、思想は残骸であり、排泄物である。

当然、哲学を思想と勘違いしている人は、
この汚物にまみれることこそが哲学だと勘違いして、
汚物を拾い集めることになる。

そういうひとと話していると、
何々思想(主義)から、何々思想(主義)へ
何々解釈から、何々解釈へ
果てしなく思想のハナシ(循環)が続く。

一方は、それらを捨て去ろうとしているのに、
他方は、拾い集めようとしている。
話が噛み合うわけがない。
もちろん、
掃き溜めに鶴
ということもあるが
汚物集めに走っている(哲学を思想と勘違いしている)人のほとんどは、
最新・流行・権威(のつもり)の言葉(思想)だけをヒッシになって継ぎ足しているだけだから、
しまいにはたいがい、なんだか分からないグロなハナシになっている。

そういうヒトには
「哲学は、そういう思想こそ捨て去るためにある。」
といっても、なんのことだか分からないだろう。
流行思想を継ぎ足したり、他の学問の成果を循環させたりするのがエライと思っているのだから。

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ウィトゲンシュタインは自身の哲学を、潜水艦に喩えていたらしい。
どんな意味かは知らないが、
重いものをどんどん捨て去って、浮上する潜水艦は……そういう哲学のイメージに合ってるような気もする。

もしかすると、それはちょっと世の中に馴染みにくい人間の呼吸法みたいなもんじゃないかと、ボクは思っている。
捨て去って捨て去って、日常に浮上する……
言っておくと、その日常が一段高いか低いか(豊かかそうじゃないか)なんて、どうでもいいハナシなのだ。
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by qsso | 2004-12-10 06:30 | 哲学ノート | Comments(9)
Commented by equal at 2004-12-18 15:11 x
「考えること」は捨てることができないんですかね?
「考える」とは、生きることと同じであり、捨てられない?
他人は考えていない?
別に明確な答えを求めてるわけじゃないけれど。
先人の「考えること」が吐き出した残滓をもとに考えることがはじまるなら別に思想とか哲学とかなんてことを明確に区別する必要はないのでは?
書かれたものを読む限り、まず「思想」として学ぶといえるような気します。そしてそれを受け取って「考える」ことがはじまるのなら、それが「てつがく」っていう人がいてもいいんじゃないでしょうか。
たしかに、どうでもいいっちゃいいんですが…。

わざわざ
>オレみたいなチンポ哲学者が、
>ゴニョゴニョゴニョゴニョいうようなことではないが、
>哲学と思想
>意外と勘違いされていると思う。
といって書きそえているところがなんだか可笑しいです。

確信犯ですナ。
Commented by BlueStarForest at 2009-01-15 18:42 x
「哲学 思想 違い」でググってここに来ました。
今日見たテレビで「それは思想じゃなく、哲学のようなもの」
と、あるアーティストが言ってたんで、その違いを調べてました。
ここを拝読しても難しい言葉が多いので、
はっきり言ってチンプンカンプンですが、
哲学にメリーゴーランドじゃない永遠性みたいなのがあるなら、
ちょっと勇気が必要だけど、「思想より哲学」って思う気持ちが判った様な気がします。
Commented by 774 at 2014-12-15 16:42 x
では思想無き人間達との間に論争は生じるのか?

また思想は哲学の排泄物などではない
心の哲学で未だに物理主義と二元論が対立しているように、人間はいかなる思考においても仮定をせざるを得ないのだから、そこに何らかの主義が生じるのは当然であろう。
Commented by qsso at 2014-12-16 06:40
ぺしゃんこにされたメリーゴーランド…それがぼくらのいる世界?
Commented by qsso at 2014-12-16 06:41
君が当然と思えば当然なんだよ…世界はそんなふうにできてるんだろう……ちがうか?
Commented by qsso at 2014-12-16 07:52
> では思想無き人間達との間に論争は生じるのか?

言い争いなら そこらへんのガキ同士でも生じるだろう
Commented by qsso at 2014-12-16 07:53
> 心の哲学で未だに物理主義と二元論が対立している
対立しているのか?
むしろ哲学からのとらえなおしだろう
Commented by qsso at 2015-05-23 19:13
Commented by equal at 2004-12-18 15:11

当時、なにを言いたいのかわからん質問だったので答えてなかったが
一応、部分的には理解できるので答えておく

>「考えること」は捨てることができないんですかね?
>「考える」とは、生きることと同じであり、捨てられない?

そんなことはない。
ていうかわしのような下劣な人間は普段はほとんどなにも考えてなどいない。
トイレのなかでわれを忘れるほどの見事な一本糞をしたときとか
大好きな彼女といかがわしいことをしている真っ最中なんかは特にそうだろう。

この記事は哲学と思想の違いを
わしなりに書いたものにすぎない。
哲学は、「考える」という単純なことと記しただけで
「わしのような下劣な人間でも、ちょっとは考えるヨ」
と記しただけ。
「人間とはそういうものだ」ということを記した文章でもなければ、
「ヒトはみな哲学をしていなければ死ぬ」とかいいたいわけではない。
Commented by qsso at 2017-06-22 05:37
「人間はいかなる思考においても仮定をせざるを得ないのだから、そこに何らかの主義が生じるのは当然であろう。」
はい、そうですねぇ
だから、それを捨て去るものが「ほにゃらら」…と思ってるのが上記の記事
いまじゃ「ほにゃらら」すらも捨て去ってるけど
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