中村光世「哲学にご用心」

a0009919_63030.jpg知覚ということにこだわった本だ。
個人的には、つまんない本だった。

哲学と科学(学問)の関係
そんなこと、ボクには関係ないからだ。

そんなことが関係があるのは、学校のなか(学問)だけであって
部外者からみると、どうだっていいギョー界のジツゾンだけで成り立っているような気がする(もっとも、それは、この本だけのハナシではないけど)。

中村さんが言いたいことを、ざっくり単純化すると
「新しい科学(脳科学)の知見の前では、
 哲学なんぞは、単なる思いこみ、先入見にすぎない。
 先入見でしかない哲学なんかじゃもうダメじゃねえか」
だから「哲学に御用心」
そういうこと。
本書で、中村さんは、先入見や思いこみについて
何度も、問題にしているけど
そんなものを完全にない状態なんて考えられるのかなぁ?
そういうこと抜きに、科学の知見のありがたさばっかりじゃねぇ
心脳同一説も、もひとつだったなぁ。

逆にいえば、本書は
新しい科学(脳科学)の知見を、トリヴィアの泉的に並べて
評論するだけの、
要は
分離脳、盲視……あやふやな知見をベースに
ほーら、驚いたろう
びっくりしただろう
不思議だろう……
コワイだろう……
の荒俣宏「不思議の国ニッポン」と大差ないような気もする。
オラーオッタマゲタだ
といえば、いいのだろうか?
はっきりいって、つまんなかった。
(そんなもんより、サルカニ合戦の杵や臼のほうがよっぽどフシギで面白いと思うんだが)

言わんとすることは分からないのでもない。
進歩する科学の知見は、哲学の基礎的な認識を覆し、
このままでは、哲学は、客観的な学としての資格はない。
早い話、このままではギョー界としての地位はじり貧、おまんまの食い上げだ!
この不況を打破するには、景気のいい産業に、阿るか、吸収されるしかない。
つまり、現代科学に寄り添う形か、現代科学に包摂されるかするしかない、そんな焦りにも似た気持ちがあるのだろうか?
(だから、この戦いが、ある種、論理実証主義的な亡霊との戦いになってしまう
 中村さんの場合は、もしかしたら憑霊型かも)
それはそれで、学校の哲学の切実な問題である。
しかし、それは哲学の問題ではない。
学校の哲学のジツゾンの問題。
学校の哲学のジツゾンを、そのまま、哲学のジツゾンにしてしまうのはどうだろうか?
(そういうのが当たり前として、成り立ってきたところがある)
ボクには、学校の哲学なんか関係ない。
関係ないボクからみれば
科学できることは科学でやりゃあいいじゃん
学校でできなくなったら、やめればいいじゃん

とにかく、ボクが読みたかったのは、中村さんの哲学である。

これ以上、興味のない話題について、反論をくどくど述べるのは止めておこう。
とにかく、ボクには、中村さんの思いこみについていけなかった。
それだけ。
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by qsso | 2004-04-12 06:31 | 哲学ノート | Comments(0)
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