カタツムリと蓮

そろそろカタツムリの季節。

ムカシ、
あるMLで、自分の命とひきかえに卵を残していったカタツムリへの、その女性の感動と、ペットへの愛情がみずみずしく語られていたメッセージを読んで感動したことがある。

人間にしてみれば
なんて不条理な自然の世界……

とはいえ、人間もカタツムリも
多くの生き物は、文字通り命懸けで、この世に子孫を残していく。

命にしてみれば、
人間もカタツムリも命を運ぶ乗り物といえるかもしれない。。
最近はドーキンスのように、命とはいわず遺伝子と云った方が分かり易いのかもしれない……?
現代を象徴する乗り物といえば、飛行機、スペース・シャトル、UFO、タイムマシンかな~
でも、よく考えてみると、ボクらは「乗り物」って言葉を、もっと多義的に使っている。
護送船団。呉越同舟。バンドワゴン。勝馬、大舟。横車、口車。「よーし、それに乗った!」……。
よくは知らないが、仏教では、上座部小乗仏教(ヒーナヤーナ)、大乗仏教(マハーヤーナ)、小さい乗り物に乗るか、大きな乗り物に乗るか(オウムの場合、金剛乗(ヴァジュラヤーナ))という、とにかく宇宙をさすらう存在を彼岸へと導く乗り物の違いに例えられているとか。
どっちにしても、それはひとつの記憶(遺伝子)を運ぶことになるのだろうか……。

人間をひとつの乗り物に例えることは意外と(ドーキンスなんかよりずっと)古くから考えられていたようだ。
いまでも寺社仏閣でみる仏像が必ず蓮の華のうえに乗っかっているのは、単なるつながりだけじゃなさそうな気がして、ふつふつと疑問が湧いてくる。
伝説では仏陀は誰の助けもかりずに、母親の脇の下から産まれ、ひょこひょこ歩いたら、そこに蓮華が咲いたそうだ。仏陀の云うところによると、極楽の宝池のなかにも大きな蓮華があるそうだ。そうすると、極楽とこの世は蓮の地下茎のように、どこかでつながっているのかもしれない。
そういえば、ムカシ、小学の教科書で何万年か前のオオオニバスの種が発見されて、それがみごとに成長し、花を咲かせたという話を読んだことがある。お釈迦さんは、それに乗って時空を自由に旅することができるのかもしれない。だとすると、蓮の華はUFOとタイムマシンが合体したようなすごい乗り物なのかもしれない。
観音さんの顔を見ていると、ふとそう思うことがある。

ウチの近くに、斑蓮池という観音さんのある池があって、そこでは大きな蓮華を毎年鑑賞できる。蓮池は、一年に数日、かならず水抜きをする。水をぬくと、世界は一変して、巨大な地下茎(リゾーム)が出てくる。その変転がひとつの宇宙観を、再現させているかのようである。
水が張ってあったときは、ひとつひとつの個体を主張していた華も、疑似宇宙である水がなくなると、とたんに真実の姿があらわし、華のひとつひとつが、じつはその表現だと言うことが分かる。
この世のことを云ってるのだろうか?。
人間には地下茎は見えないが、どこかでつながっているはずだとする人は多い。
ユング(トラパ系)とか、そうだ。
(ヘッケルのそれであるかどうかはしらないが)人間も最初、胞衣(えな)といわれる<透明>な殻がある。ひとは(多くの場合)、この殻に包まれたまま母親の体外へと取り出される。この膜(殻)は胎児が自発呼吸すると同時に破れるか、あるいは人工的に破られるそうで、それで後産ともいうそうだ。
すると人間は、生まれると同時に、蓮池の地下茎から切れてしまうということだろうか?。
否、もしかしたら、他にもっと<透明>な胞衣(えな)が存在しているのかもしれない。ボクらはその透明で固い殻の中にいるために、ふだんはそれを気づかないだけかもしれない。そのいままで見えなかった<透明>な胞衣(えな)をさがすために、いままでいろいろな求道者(聖者・独裁者)の天才たちが、この世であらゆる教えを説いた。仏の世界では、人間は死ぬとき、その<透明>な胞衣(えな)を破っていくと考えているのかもしれないし、グノーシス流キリスト教の解釈では地球全体を子宮に見立てる視点もある。ソクラテスは自らの哲学を産婆術とした。もしかしたら、それも後産のようなものかもしれない。
もしかしたら、それは「復活に関する教え」なのだろうか?。
プラトンが云うように、ボクたちはイデア界のことをすっかり忘れているのだろうか?

ギリシアのオデュッセウスの冒険に出てくるロートパゴスの国では蓮の実は故郷を忘れてしまう薬として用いられていたらしい。

デンデンむしむしカタツムリ……
お前には、母親の記憶はないのかい?~
つの出せ  やり出せ  頭出せ~
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by qsso | 2004-06-01 17:38 | つれづれ | Comments(0)
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