飯田隆「クリプキ  ことばは意味をもてるか」

コトバが何を意味するか
この一点だけに、しぼってクリプキの哲学を紹介していく。

本書がもっとも導きの糸としているのは

「われわれのパラドックスはこうであった。すなわち、規則は行為の仕方を決定できない、なぜならば、どのような行為の仕方も規則と一致させることができるからである」(W)

というクリプキの「ウィトゲンシュタインのパラドックス」である。

こんなこと云っても、はっきりいって、一般世間のひとには、なんのこったかさっぱり分からないだろう。
これからちょっとだけ紹介することも、ほとんど娑婆界のひとには、どうでもいいことである。
なんで、そんな野暮なことをするかというと、そんなことは問わないで欲しい。
それはあるひとに言わせると病気であり、
飯田隆さんによると性癖である……

「哲学者とは、ひとが事実上していることをそのままにしておけないひとたちのことである。ひとが事実上していることには、事実上そうしているという理由以外にないという結論に至る結果になるだけだとしても、それ以外の理由がないかといちおう探してみるのが、哲学者の性癖である」(15頁)


哲学を学ぶ人には、云うまでもないことだが、本書の「ウィトゲンシュタイン」は、クリプキのウィトゲンシュタインであって、ウィトゲンシュタインとは別のウィトゲンシュタインであることだ(112頁)。
要するに、クリプキの哲学なのだ。

なんでも、飯田さん(学問筋)によれば、
クリプキは、哲学的伝統におさまる哲学者だが
ウィトはそうではない。
ウィトにとって、哲学は知的な営みですらない。
ていうか、彼の哲学は、そのことを説明するための哲学なのだ(誰かが論考を「凹版印刷の哲学」と書いていたが、なかなか言い得て妙だ。)。
飯田さんは、彼の哲学を「態度変更に関わる感情や意志の哲学」だ……と言う。
しかし、(ちょっと生意気な言い方だが)まさにこういった言明を考察することこそ、この本の最終的に目指すところなのかもしれない。
「なるほど、学校の学問(知的営為(解決))としての哲学を「哲学の伝統」というかもしれないが、もしかしたら、キミは「哲学の伝統」という言葉の意味を、まったくもって取り違えて使っている」
そう思って読んでいくことをお薦めしたい。

ともあれ、コトバの哲学、帰納法……と聞いただけで、
「あーまた小難しいネンブツか~」
と投げ出してしまう忙しいヒトもいるかもしれない。
そういう忙しい人は、はっきりいって読む必要はない。
ただ、余裕のある人が、ちょっと、立ち止まって考える……
そういうのには打ってつけの本である。

元来、哲学の話は難しい話ではない。
逆に、問いの形があまりにも単純な形をしているために、常識の中に埋もれていて、分かりにくいだけなのだ。
時間の在り方や、その流れ方が分からないといった問いも、それと同じ。

帰納法を使った推論というと、いきなり学問みたいで、難しそうな話だけど、
ぜんぜんそんなことはない。
ボクたちが、日常生活で使っている、ごくありふれた考え方である。
マスコミやジャーナリズムが垂れ流すネタ記事なんかすべてそうだし、
経験科学と言われるものの、ほとんどもこれに入る。
例えば、「明日も今日と同じようにやってくる」という推論なんかは、その代表である。
ボクたちが、今夜も安心して枕を高くして寝られるのも、
「明日も今日と同じようにやってくる」という推論のおかげかもしれない。

何の根拠もないが……

そう!
何の根拠もないが、
なぜ、それが信じられているのか?
信じられているとしたら、どんな風に信じられているのか?
確かに、ボクたちの日常のことだったら、偏見や習慣、本能、迷信……で済ますことができるかも知れないが、
このような思考(信心)が原理的に、ボクたちの思考の基盤になっているとしたら……どうだろう?
科学的、あるいは客観的といわれているものが、すべて宗教や占いと等しいとしたら……
「そんなバカなことがあるか?」

本書は、そのことを分かっていく……手始めに
グルー推論(グッドマン(グルーのパラドックス))と呼ばれるものの検討から始まる。

まず、グルーの定義である

「何かがグルー( grue )であることは、その何かがこれまでに観察されたことがありグリーンであるか( green )であるか、あるいは、その何かがまだ観察されたことがなくブルー( blue )であるかることである」

日常の(帰納法)推論が

前提 これまでに観察されたことのあるエメラルドはみんなグリーンだった
結論 まだ観察されたことのないエメラルドもみんなグリーンだろう

これを参照して、
上と同じ形式をとった推論にしてみる。

前提 これまでに観察されたことのあるエメラルドはみんなグルーだった
結論 まだ観察されたことのないエメラルドもみんなグルーだろう

つまりだ。
まだ観察されたことのないエメラルドもみんなグリーンだろう
を受け入れるならば、
まだ観察されたことのないエメラルドもみんなグルーだろう
つまり、まだ観察されたことのないエメラルドもみんな「ブルー」だろう
も受け入れられるべき推論だというわけだ。

何かくだくだしいだけで、何を言いたいのかさっぱり分からないと言うひとがいるだろう?。
言いたいことは、簡単である。

いままで、ずっと太陽が昇ってきたから、明日は太陽がのぼるだろう
いままで、ずっと太陽が昇ってきたから、明日は太陽がのぼらないだろう
この推論が純粋に同じものであることを言おうとしているのである。

そんなバカな!、
と思うだろうか?
「いままで、ずっと太陽が昇ってきたことは事実であり、
 確率的にいって、下の推論はバカげている。」
確率を信じるのは勝手だが、それも何かを信じるという点で、
この推論と同じレヴェルにある。

それでも、
そんなバカな
というだろうか?
まぁバカといえば、バカであるが、そんなに突飛な発想でもない。
たとえば、ずっと同じ女性に求愛を続ける男性の気持ちになって考えてみよう!
いままで、その男性は、ずっとその女性にフられ続けた。たぶん明日もフられるだろう。
帰納法を使った推論でいくと、求愛自体が無意味な気がする。
それでも、その男性が、求愛しているという事実から言えることは、
たぶん、次のような推論なのである。
「いままで、ずっと彼女にフられ続けた、もしかしたら、明日はふられないだろう」
101回目のプロポーズの推論のことだといえば、ちょっと分かり易くなるのかもしれない。
もっともグルー推論から得られる学問的成果は、も少し複雑で豊富なことだが…
ここでは、そこらへんは無視する(笑)。

とにかく、帰納法でいうと、
いままではこう(A)だったから、つぎもこう(A)だ。
という推論と
いままではこう(A)だったから、つぎはああ(B)だ。
という推論は、おなじものだ、
ということなのだ。

永井-ウィト流にいうと、
「規則ではなく規則の従い方の水準の一致」

このことから、有名なクリプキのクワスの問題に入っていく。
要は、もしかしたら、こういう規則の従い方は
1+1=……というような単純な加算も同じではないか
という疑問から……このことを整理していくわけだ……
(このことについてはいろんなヒトが書いているので、くどくど述べない。検索して欲しい)

しかし、この過程で、途中の説明をかっ飛ばすと、一般の感覚からすると、とっても受け入れがたい帰結を生む。
「意味の心象説」の否定だ。
意味の心象説……
デカルトの方法的懐疑以来、哲学の基本(知の直接の対象は観念や知覚像である)が破られることになる。
ボクたちは言葉の意味を
「傘」と聞いた時に浮ぶ心のイメージのことと勘違いしがちだ、
が、「意味の心象説」批判は、そういった心象(イメージ)と言葉の意味とが、ナント!全然関係がないことを明らかにする(勘違いしないでいただきたいのは、「イメージなんかない!」といっているのではない)。
意味とは「傘」という言葉の社会での使用され方の方であって……
言葉の意味は、私の中にあるのではなく、「他人」や「社会」の使用のされ方に
ウィト的な言い方をすると「生活形式」にあることになる。

ここまでくると
ウィト信者なら
言語ゲームは
「根拠などない」「リクツ抜き」
「シツケ」
「あるがままに(沈黙し)ただ受け入れるのみ」
となる……
そのことについて、哲学的考察は、考えたって仕方のないものだった。

しかし、クリプキは、そうではない。
そこから百姓力でガンバルのがクリプキで、
なんとか懐疑的な議論へと導き、問題提起へと
つまり、知的な解決(営為)として、方法論を展開しようとする
哲学者なのである。

クリプキに云わせると、
「言葉の意味についての事実といったものは存在しない」
「意味に関わる事実が存在しない。」という、つまり、上の論法の二段構えというか、逆から言っただけというか……そういう感じの発展的な言い方になる。

あとは「信頼」の問題になってくる。
ようするに
どっちが信頼できる推論か?
つまり問題としては、
どんな推論だったら、ボクたちは信用するか?
もちろん、ボクたちは
1+1=2
のほうを信頼するわけだが……
これについてもクリプキは、きちっと分かっていこうとする、
懐疑論的解決がバカげたものだというのは分かったけど……
それがなぜ誤っているか結局分からない。
どれも決め手にはならないわけだ。
「証拠がありえないにもかかわらず持つことのできる知識」(98頁)
があるからだ。
結局、それは「ひとはどうして自分の心を知りうるか」(99頁)
という原理的な難問に立ち返ってしまう……。
意味の懐疑論は解決されないまま残ることになる。

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「どんな推論だったら信頼できるか」
「信頼」といえば聞こえはいいが
要はレッテル貼りの事である。
勉強や仕事の出来ないヤツ=ダメ人間、負け組……
ふられ続けるヤツ=イケテナイヤツ
……なヤツ……悪いヤツ……
だから言葉の意味とは……もともと、混沌とする不安な世界を忘れるために、
要らない者を排除して、生存するために、創られたものかもしれない~

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by qsso | 2005-09-16 19:27 | 哲学ノート | Comments(0)
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