ジャズの天才……土屋賢二

「ジャズはクラシックと違い、即興演奏が主体である。どう弾こうが本人の勝手であるから、「弾き間違い」ということがない。何という都合のいい音楽であろうか。「お前のいうことは間違いだ」とか「お前のやったことは間違いだ」と、間違いを指弾されてばかりの生活を送っているわたしのような人間には、「間違いのありえない」ジャズは砂漠のなかのオアシスである。」
「わたしの楽しみはジャズピアノを弾くことである。こう書くと、どうせ下手なジャズピアノを弾いて自己満足にひたっているのだろう、と思う人がいるかもしれないが、それは大きな間違いである。わたしのピアノを聴いた人のうち半分は、そもそも「ジャズピアノを弾いている」と見てくれず、「人に迷惑をかけるために騒音を出している」としか受け取らないのだ。ただし、残りの半分は、「これがジャズピアノだ」と断言するわたしの言葉を信じて、「ふうん、ジャズピアノというのはこういう無茶苦茶なものなのか」と思っている(これは主としてジャズピアノを聴いたことがない人である)」
「わたしのピアノを聴いた人は、どういうわけか、例外なく感動を押し殺す傾向がある。感動しすぎているためかもしれないが、それにしては、わたしの演奏が終わると素直に喜びを表現するのが不可解である。連中の顔には、「どんなものにも終わりがくる」という事実に感謝していることがはっきり出ているのだ(自分の人生にも終わりがくることは嫌がるくせに)。わたしが授業を終えたときに示す学生の反応もそうだが、どうしてわたしのまわりには、こんな態度を取る連中ばかりいるのかと思う。」
「わたし自身は、わたしの実力に問題があるとは思わない。問題は、わたしのまわりに私を評価できるだけの耳をもった人間がいないということにある。ゴッホもそうだったが、あまりに独創的な天才は理解されないものである」以上、土屋賢二「人間は笑う葦である」
「わたしの最も得意なのは、休符である」土屋賢二「われ大いに笑う、ゆえにわれ笑う」
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by qsso | 2005-08-20 19:04 | 音楽 | Comments(0)
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