人生論(正しい生き方)に関する透徹した論理(土屋賢二)

「わたしが『正しい生き方を発見した』といったとしたら、キミはその通りに生きるでしょうか。たとえば、わたしが『朝六時起床、ラジオ体操の後、マザーテレサのような奉仕活動をし、よる九時に就寝する。日曜日も休日もなく、酒、タバコ、ギャンブル、女とは無縁な生活を一生守る』のが、正しい生き方だといったとして、その通りの生活をなさるでしょうか」(93頁)
「このような生き方が、かりに正しい生き方、最善の生き方を知ったとして、はたして、その通りにするでしょうか。おそらく多くの人は、最善の生き方というのが、あらゆる点から見てどんなに自分のためになることだと分かっても、最善の生き方を避けるような生活をするのではないでしょうか。
人間は最善の正しい生き方が分かっても、その通りにはしないのだとしたら、何のために最善の正しい生き方を知る必要があるのでしょうか。正しい生き方を避けるために知るぐらいがオチではないでしょうか。それなら、はじめから何も知らない方がまだましな生き方ができるのではないでしょうか。」(94頁)
「人間はその結論に従って生きるしかないとしたら「人間はロボットに等しくなってしまいます。どんな目標を立てるべきかが決まっていて、それを達成する方法も決まっているのですから、われわれには選択の余地はなくなります。~中略~自由もなくなります。決められたとおりに行動するだけで一生を終えるしかなくなるのです。でも、多くの人は、ロボットになるのを嫌がると思います。」(80頁)
「かりに、研究の結果、どんな目標を立てるべきかが人類に知られたとします。その成果にわれわれは無条件に従うでしょうか。たとえばラーメンを毎日十杯食べ続けるべきだということが分かったとします。あるいは、東京のすべての公園の砂粒の数を数え上げることが人類最大の優先課題だということが分かったとします。そういうことが判明したら、その通りに行動するでしょうか。」(pp.78)
「こういうと、「そんな馬鹿な目標を立てろという結論が出るはずがない」といわれるかもしれません。しかし、専門的な研究の結果、どんな結論が出るかは素人には分からないのが普通です。地球が丸いとか地球が動いているといった研究結果は、どんな常識から馬鹿馬鹿しく思えても、受け入れなくてはなりません。ラーメンを食べたり、砂粒を数えたりするのは馬鹿らしくて従うつもりがない、というなら、その人は、専門的知識を無視して、「自分の気に入ったことしかしない」と宣言しているに等しいと思います。」(p.79)
以上、土屋賢二「哲学を疑え!」
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by qsso | 2016-05-07 07:04 | つれづれ | Comments(0)
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