橋本治「国家を考えてみよう」

国家を考えてみよう (ちくまプリマー新書)

橋本 治/筑摩書房

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「ちゃんと考えるだけの頭を持たなければ、ちゃんとした政治を支えることはできません。ちゃんとしした判断力をもたなければどうなるのでしょう? 「民主主義はバカばっかり」と言われる、その「バカ」の一人になるだけです。
 はっきりしているのは「大切なことはちゃんと考えなければならない」──これだけです。
 ちゃんと考えたって、そうそう簡単に、答えはすぐに出ません。でも、「大切なこと」は、ちゃんと考えて、うっかりして人に騙さないようにしなければいけないのです。」橋本治「国家を考えてみよう」
そう「民主主義はバカばっかり」…
たとえばワシなんかいくら考えても…バカはいくら考えてもバカだからバカだといわれる…バカの壁
よっしゃぁどのみちバカだから考えるのやめるか…だってひとりでなんもなしにいちから考えると、とうぜん他人とはズレるし…みんなとズレるのは恥ずかしい…空気読めてないって言われちゃう…じゃぁそういう同じ思考停止のバカとしてまぐわってるほうが「楽しいじゃん」…となるのがバカですし…
 バカは構造的であり、ほぼ物理的な違いですから、橋本さんがいくら「うっかりして人に騙されないように」とかいっても、すでにそんな文句に騙されているのがバカなんです。だいたい詐欺に引っかかるひとは、自分だけは詐欺なんかに騙されてないぞと思っているひとだそうですヨ。
 だから、やっぱバカはダメですネェ。
 それで、賢くなって賢い政治をやればいいじゃないかと思うバカは昔から多くいて、そのバカに悩んだ結果生まれたのが民主主義なんですよ。これは歴史的にそうなんです。
 たとえば、プラトン(賢人政治)や中世の神(神聖政治)とか近世の啓蒙…近代のノーメンクラトゥーラ(社会主義)他…賢い政治をやろうとしたんですが、やっぱ無理だった…
 なぜ失敗したか?それは簡単に言ってしまえば、みんな誰かのロボットにはなりたくないからでしょう。それらが決めた目的が、その社会で論理的に非のうちどころのないものだったとしても、目的が決まりきってる社会では、みんな目的に向かってロボットのように生きるしかありません。そんな社会、生きていて面白いわけないじゃないですか?
 そんな社会より、最小限の約束で、ちょっとぐらいバカができる自由(愚行権)のある社会のほうが、ずーっと生きやすいでしょう。
 だからバカに合わせた社会=民主主義社会
 民主主義社会は、みんなバカなんです…バカで良いんです
 すばらしき愚民社会(誰かの本のタイトルにありましたねぇ)
 問題が起こるたびに、バカ同士、みんなで話し合って解決する それが民主主義。

 めんどくさいですが そのほうが 永遠とか 絶対 とかよりはいいと思います…前段でいったような原理主義(強い合理主義も)はながつづきしません
 だから、そうやってその都度その都度、ちゃんと考えること、それが橋本さんが言いたいところなんじゃないかと思っています(知りません、この本まだ読んでないです)
 みんな不完全 みんなバカ バカでケッコウ!

 政治権力の始原は、よく司法権にあるとかいわれてますが、
 神の完全で永遠な裁きにかわって、民主主義社会になると不完全でバカな人間が行う世俗的で暫定的な裁きになった(死刑廃止論も根がそこらあたりにもあるんですが)。けれど、不完全でバカなワシらからみたら、なにがなんだかわからん天上のコトバ(価値)で異端審問で殺されるよりはいいと思いませんか?

さあて バカって何回言ったでしょう?
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by qsso | 2016-09-05 06:26 | つれづれ | Comments(0)
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