「鬼の首でも取ったように他人を叩く」風儀(内田樹氏)

蓮舫さんの場合「鬼の首でも取ったように他人の失敗を叩く」風儀を助長するような政治家だったので、
このようなことになったのかもしれませんねぇ。
ま、蓮舫さんのことはともかく、やっぱり内田さんがおっしゃるように
「失敗を認めない…失敗を叩く」風儀が蔓延してる社会はたしかによくないとわたしも思います。
よく日本社会は、一度落ちこぼれると、二度と這い上がれない社会だと言われます。
大手企業(採用状況)を見ても、そういう状況の一端を伺い知れます。
ただ、こういう状況になったのは、急速なドラスティックな変化でなったというよりも、もっと長い年月をかけてそうなってきたという気がします。
かつて堺屋太一さんが古来日本は「物不足-人余り文化」だったとかおっしゃっておられました。
人間過剰、人間使い捨て社会
武士の社会もせんじ詰めれば一種のドレイ文化だというひとがいます。
人間も物件のように扱う(カントは怒るでしょうが)…
物件のように扱われても、常に主人に忠と義で尽くすのが日本人=ドレイの務め…
一つの伝統文化と言って良いかもしれません。
むかしは、それでだれも疑問を持つ人がいなかった。
しかしいまは物は過剰だし、情報化社会…
どうしても欧米と比較してしまう。
向こうはキリスト教、みんな原罪で赦しの文化ですネェ
ごくざっぱくいうと
愛の文化VS忠義文化

まったく根本から人間観が違う…

まったく根本から人間観が違うのに
まったく根本からちがう人間・人生観で作られた経済制度や社会制度で、
日本人は、毎日のしのぎをしているわけですねぇ…
そりゃぁまぁいろんな齟齬が出ると思います…

たとえば自由主義(リベラリズム)…我が国の諸制度は米国のそれから強い影響を受けていることは確かです…これは失敗を認める制度です。
自由競争によって格差はできるけど全体の(経済の)パイが大きくなって、
結果的にみんなにとっていいんだ…
それによる格差も徴税によって再分配して、国民(負け組)の再競争を促し、さらに発展…
だからみんな失敗を恐れずにじゃんじゃんチャレンジして…競争しよう…
ところが日本では、なかなかそういうふうにはならない…
むしろ、この制度のせいで(再分配で(世代間他)格差が広がるという)…事態まで起こってしまっている
これはひとつは日本人がリベラリズムの大きな柱である「公正な競争」より、安定的な人間の関係性のほうを重視するからですねぇ…
人間観 人生観の違いから…うまくいかないんです
安定的な関係だから煮詰まってしまうんですネェ
ま 自縄自縛なんですが…ここら辺は差別心理と似てますねぇ
だからちょっとした失敗でも叩いて憂さを晴らしたくなる
のかもしれません…

日本の自生的な人間観、人生観をかなぐり捨てでも、
あちらの諸制度に適合的な人間観・人生観を持つか…
それとも日本独自のシステムを構築するか…
もっと他のオルトがあるか
ワシのような凡庸な老人にはわかりません…

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by qsso | 2016-09-28 20:07 | つれづれ | Comments(0)
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