ナショナリズム・ニヒリズム・ヤスクニ

「與那覇潤さんがいうように「要するに戦後日本というのは、「反ナショナリズムが自由主義の代わりをしないといけない構造」だったから。左翼が反ナショナリズムを掲げるというというのが本来ヘンだったということはわかります、再分配を強化するにはナショナリズムが必要なのだから。」
ナショナリズムというか、その集団に、ある種の一体感がないことには、他者への(みんな一緒(平等)的な)適度な配慮なんてできるわけがない」
「レギュレーションにかなり問題があるために再競争が起こりにくい
それには、ちゃんとした理由がある。
日本人が上から下までリベラルな公正な競争より安全、安心、安定が一番だと思っているからである。
そこに高齢化社会が拍車をかけ…
とくに(稲葉振一郎さんの表現を借りるならば)勝ち逃げに走りたいヘタレ中流なんかが多数派だとしたら、そうだろう」

ふんじゃぁ「いまの日本-人にそういった一体感なるものがホントにあるのか?」
たとえば一部ネット民(自分の些細な価値観に合わないこと)による数々の炎上バッシング、医療亡国論、シルバーデモクラシーへの断絶、特にナマポ、貧困なんかへの執拗な批判…
萱野さんがいうように経済全体の「パイが小さくなっているからみんないらだっている」からというのも(要するに景気が悪いから)、そうかもしれないけれど…
やっぱ、むかしの隣組にあったような…小さなぁ伝統的な共同性みたいなもんは、いまはもう農村でも、すっかり衰退してるんじゃないかなぁ…少子化、町村学校統廃合、シャッター商店街…そういうもんは社会の学校(近代装置)化というなかで進行してきたんだよな
あるのはむしろさぁ「もうこんなやつを助けたくない」という「勝ち逃げに走りたいヘタレ中流」(稲葉振一郎)とかの…テーヘンへのずれ込み恐怖の方じゃないかなぁ…それが逆にテーヘン層への軽蔑や嫌悪差別感情になってるんじゃぁ
「もうじぶんがどうしたい?っていうことよりも、さきにネガティブな外的選好だけが発動されるみたいな……」

いまはもう、ガキの頃から住む場所、行く学校によってアパルトヘイトされてるわけだし、それって価値観からアパルトヘイトするわけだから、その人たちがおとなになってそれ以外の人たちの価値観-人間をアパルトヘイトするのはあたりまえだよネッ(こういうこというと、一部の学者さんたちは些末な例外を持ち出して認めたがらないけど…じっさいオメーらの出自階層がそうだからだろう(笑))
「じっさい日本はむか~しっからそういうところなんだし」。

戦後総中流社会で肝だったのは価値観の共有だったんだけど…(それもニヒリズムといえばニヒリズムなんだけど)…そこはもうぶっ壊れつつあるんだろうな…

ミクロの部分の共同性がこんなに壊れてるのに、マクロなナショナリズムが健全?なはずがないような気がするんだなぁ
ミクロな共同性の衰退は、隣人(他人)に対する疑心暗鬼や差別感を増大させるはずだし。

テレビという小っちゃな箱の中でだけは、五輪やスポーツの国際大会なんかで
「日本」「日本人」というコトバが執拗に飛び交ってるけど…
かえって、なあんかそういう言葉の「からっぽ」っさしか感じないんだけど?
そういうコトバは、むしろ、その空虚を埋めるためのニヒリズムなんじゃないかなぁ??…って
あれぇ? それって三島由紀夫かぁ?(笑)
じぶんの周りには共同性なんて1ミリも感じない…そういうひとがほとんどじゃないの
もう三十年ぐらい同じところに住んでるけど…
朝、こっちから挨拶してもかえす人なんか、最近はほとんどいないもんね
(嫌な顔する人は多いけど(笑))

「からっぽ」だとはわかっていても、
そういう一体感幻想が失われて困るのは国家だから、
それじゃぁ困る、不安っていうひとたちが、そんな空標語をせっせと煽って
それを維持しようとするのかなぁ??
いつかそれを維持するために、あからさまの暴力になったとき
ワシたちはどうするんだろうなぁ? 抵抗できないだろうなぁ(笑)
抵抗するどころか、
「ハイル・ヤーパン ユーバーアレス!」(大庭健)
とかいって快哉をおくっているのかもしれんなぁ
しょせん、人間はアニマルだから(ミスチル)(笑)

※たしか、むかし哲学者の永井均さんが、ニーチェのニヒリズムは、神が死んだことがニヒリズムなんじゃなくて、神が死んでるのに、まだ神がいる生きてるかのように見せかけることこそが本当のニヒリズムって言ってたような気がする…

そういうわれわれがニヒリズムを発動させてヤスクニに行っても
だれも喜ばないだろうなぁ(笑)

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by qsso | 2016-11-07 04:55 | つれづれ | Comments(0)
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