レース鳩バカ一代!

掲示板で、庄福さんから瀬高の話を伺っていたら
鳩飼いの佐藤さんのこと……
を思い出した。

小学1、2年の頃だったと思う。
夜な夜な懐中電灯を持って、原町の神社の屋根裏に忍び込み。
無辜なる鳩どもを十羽ぐらいずつとらえては、
そのなかから鼻瘤のでかいのだけを選び出し、
(当時ボクたちの間では鼻瘤ででかさが美醜の決め手だった……カブトムシと似てる)
ペットにしていた次第です。

同級に亀山義弘君(通称カメ)ってのがいまして、この子が、
ボクの鳩飼いの先輩です。
カメは、町一番の立派な鳩を飼っていて、
この子に、いろんなことを教えてもらいました。

瀬高に有名な鳩飼いがいらっしゃると聞いたのもその頃です。
瀬高の駅前ほど近く、
国鉄職員の佐藤さんの家があって、直接たずねて行きました。
このひとがボクの鳩飼いの師匠です。
片道6K?の路の佐藤先生のお宅に、ジジチャリで、よく通った。

先生の話を伺ってるうちに、ボクが飼っていた土鳩ごときでは、
レースに出場できないことを知った。
レース鳩の血統でないからではなく、レース鳩として、登録するには、
生まれたときに協会指定の足環をつける必要があったのです。
また、土鳩ごときでは、たちうちできるものでないことも知った。
ボクは、レース鳩に熱中した。
とは言っても、ボクの家は極貧。
レース鳩はおろか、その学校の参考書も、買える余裕はなかった。
それで、
先生の家に上がるなり、鳩の本をモーレツに読みあさっていた。
あんまり熱心だったからだろうか?
ある日、先生は、「その本、持って帰って良いよ」と、本をたくさん下さった。
はっきりいって、この本のおかげで、ボクは人並みの知識を授かったと言っても良いくらいである。
当時、ボクの家には、本の一冊はおろか、新聞もとらない、赤貧、文盲の家だった。
ボクは日夜、読書に励んだ。
鳩の本だと思ってバカにしてはいけない。
レースには、まず地形や気象を知る必要がある。
経度、緯度、速度計算……
日本のレースだけではない、欧米のレースも紹介されているので
地理関係は、かなり強くなる。
いうまでもなく、レース鳩は、血統や成り立ちを大切なストーリーとして記憶する必要がある。
日本在来系もあったが、当時は欧州の鳩が多かった。
必然的に、地名と、その歴史の関係(つながり)の勉強。
欧州の天候、地形、気象……勉強
当時、小学3~4年生だったボクは熱中した。
この勉強のおかげで、社会関係は、中学までは、ほとんどなにもしなくても良かったほどである。
(ちなみに、この時の独学の経験が、いまでも、ボクのスタイルを決定づけていると思う。)

数ヶ月後、ボクは、ハトキチとか鳩博士とか言われていた。
(といっても都電の駅名を全部憶えている幼稚園生に毛が生えたくらいだったろうけど)
この頃、先生から、擬卵を抱かせるときに出る卵を貰って、土鳩に育てさせて、
我が鳩舎に、レース鳩第一世代が登場した。
色々な交配をくり返し
先生のご厚意により数度のレースを経験した……

しかし、家庭の事情で……北九州市へ
そこで、知り合ったのが
八幡七条の塩田さん……このひとは、ほんとにレース鳩バカ一代を地でいくような素晴らしい人でした。
この人にも逢いたいなぁ~
そこで、北九連合のひととたくさん知り合いになったが
我が家の引っ越した先は、最悪の環境。
狭く、陽があたらず、暗くじめじめして、
人間も鳩も病気になる仕末。
すぐに大半の鳩が病死した。
病身にむち打ち、鳥かごのような小さな鳩舎を、やっとの思いで設営するが
……近所からの度々の苦情、いやがらせ……連れてきた仔猫は犬に噛み殺され……拾った犬は毒殺され……鳩舎に生ゴミを入れられたり……(まぁそれも無理はないのだが…イナカじゃないんだから)
母親が刺されて殺されそうになったり、快方したかと思ったらまた失踪したりで、
生活困窮……
新聞の部数を増やしてがんばったが、
とうてい、鳩レースどころではなく……
あえなく手放す以外になくなった。

そんなとき、会で知り合った当時ズブシロの鶴島先輩、
ぜんぶ託して……ボクは鳩人生に、幕をおろした……
が……将来は、山村で、もう一度鳩レースを……という夢は、
一度も捨ててない。
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by qsso | 2004-06-01 19:18 | 思い出 | Comments(0)
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