古東哲明 「現代思想としてのギリシア哲学」講談社メチエ

「何もない頃に生まれ だからこそ意味がある」(ケツメイシ「花鳥風月」)

「かさねていう。ソクラテス=プラトンとは、ぼくたちのことだ」131
「ぼくたちは、ソクラテスとおなじ出発点に立っているといってもいい。この現代という時代は、そのまま、2400年前のアテネの町、民主主義と人文文化が花ひらき、進歩的知識人たちが活躍し、未曾有の繁栄をとげたあとに訪れた、ふかい懐疑と不安の渦巻く町と、なんらことなりはしなからである」130-1

哲学界のドクターコトーこと……古東哲明さん
いまどき、おそろしくテンションの高いひとである。
その(ジツゾン的)テンションの高さに、耽落、埋没、堕落のオレとしては、正直、少々チカレル……ところもある……
それに、先にお断りしておくと本書は、前著「〈在る〉ことの不思議」から理論的には一歩も出ていないし(もっとも、それは悪いことではない。それだけドクターコトーの立場が一貫しているということである)、ジツゾン的テンションの高さは、こちらのほうがはるかに高い。
個人的には、そんな存在-ジツゾン論的なダス・マン論や非本来性論などには、すこしも共感しない。
なぜなら、彼らのような者たちにとって、テツガクもまた自己隠匿のひとつの作法になるからである。
コトー哲学にも、そういった面があるのをぬぐいきれない。「極端さ」のなかにあると思う。
(そういったジツゾンで上げ底してしまうと、逃れがたいルサンチマンが励起してしまうことについては永井均の「ルサンチマンの哲学」の冒頭「『星の銀貨』の主題による三つの変奏」を読まれたい。その書は、ある意味、ジツゾン的動機についてのひとつの摂理を説いている。また、そのような〈存在〉の現象学的な説明……つまり、一挙性の獲得によって感得される他者に対して、あまりにもイノセントではないか?……とも思う……)
しかし、この際、それは大目に見よう……(って、えらそうか……)
なぜなら……
本書は、いかに「悦ぶ」か?、そのために、いかに「アソブ」か?
その誘惑の言説(エレンコス)としての哲学を、
まさに愚直なまでに、否、ファンキーに唄い尽くす、
へびーろーてーしょん!
謳い尽くすといっても、それは論理の型どりではない。
腐乱した死体や、体内を型どりしたウンコの内部からウジ虫が這い出すように……
あるいは、さなぎから羽化する虫たちのように……
論理(ロゴス=コトバ)という型どりを内部から破砕し尽くすことである。
そんな制約(エレメント)から、食い破る=離脱することをすすめる
それだけの使命のために書かれた。
秘密戦隊ゴレンジャー…(フルッ)
それがすべて。
暗黒の宇宙へと旅立つこと……光の成り立ちを学ぶこと
あーあ漆黒の闇に浮ぶ星たちよ
星座から星座へと
ちりばめられたカタカナ(ギリシア)語=オノマトペ
宇宙はなぜ……暗黒なのか?
人間だけが埒外におかれているのか?……
タウマゼイン(存在驚愕)
故郷=異郷……の覚醒

いわば、本書は、コトーの魂が一つの道へと向き変えられていく過程を、
つまり、向け変えの「行」こそを、描く……
なんという雄々しさ……
そのように対峙してみせることこそ、モノ語る者の唯一の資格だと、ドクターコトーは考えているようだ。

ギリシア哲学という非ギリシア性……。
「現代思想」と題されているが、本書には、アイデンティティへの拘りも、他者、社会への礼拝という欺瞞も……微塵もない…。
それどころか、哲学にまつわる、「哲学は思想体系を構築すること」という根深い思いこみや、「哲学は知識習得……普遍的な学問……等々」というふれこみを根こそぎにしている。
「知識はソフィアにあらず」(エウリピデス)

「現代思想」のサーカスという側面……スペクタクル性というエッセンスだけを抽出して…
ギリシア・エーゲ海を吹き抜ける潮風(タオ)に乗って……知の「光の暴力」の圏内をくいちぎり、一つの調和(パリントロポス・ハルモニエー)を導き出し(それは「悪」をいかに含み込むか?という難問……全体と部分といったものが、ご破算になってしまうところに開いている……リアリティ)
ひとつの存在様式……存在の最大限の否定が、その最大限の肯定という……燃焼(消尽)……エネルゲアー……へと到達する。
そこでは、あらゆるダイコトミーが、数多のポリフォニーが、
花鳥風月となって
咲き乱れ、囀り、吹き抜け、「永久に空に消えるまで」在り続ける……
刹那-永遠……。
「燃焼(消尽)」、変化(刹那滅)し続けるものとしての存在=宇宙が、そこに開けてくる。
人間からのプレゼントではなく
宇宙(神)からのプレゼント
宇宙人(異邦人、哲学者)になることによってのみ……宇宙がプレゼントするという当たり前の事が見えてくる
そういう宇宙への「魂の向け変え(ペリアゴーゲー)」こそが……哲学の……
経験する方式こそが哲学の……
念々起滅の宇宙にこそ、自己充足の……
自己自律の存在様式がある。
もちろん
「俺に唱えてくれ これに答えてくれ」(ケツメイシ「花鳥風月」)
と問いたくなる人間のホルメーこそが、その永遠の燃料であることには変わりない。

特に読んで欲しいのは「器官なき身体としてのプシュケー」
〈ミ〉分けの境位をプラトンに接続する新新月面!
また、先にも述べたように「悪」をいかに含み込むか?という難問に正々堂々と立ち向かってる。

ボクは汚い陋屋で、この一冊の書物によって
銀河鉄道の夜を体験してしまったのだ。
さぁ夜が終る……
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by qsso | 2004-06-10 07:53 | 哲学ノート | Comments(1)
Commented by twistor813 at 2011-10-07 20:53 x
最近、古東氏にハマッテイマス、 図書館でなんとなく出会った【他界からのまなざし】・・・  哲学は素人でよくわかりませんが、なんとなく分かる境地に運ばれていくように感じます、 彼の文章が好き、テンションの高さ、熱いパッション、 幸せな出会いでした、☆
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