三浦展「下流社会」


三浦展「下流社会」


ワシは根っからの吝嗇家(エコロジスト(笑))なので、
ベストセラーなどは、ブックオフで百円になってからしか読まない。
(どうせくだらないと思ってるからである(笑))
それで……遅ればせながら、読んでみたが……
あまりにも、当たり前の内容。
統計やらインタビューやら(信頼に足るものかどうかしらん)を交えて、もっともらしく書いてあるけど、
こんなことなら、ワシがムカ~シ言ってたことと、なんら変わらない。
もっとも、当時は、「学歴社会」と言っただけで、
「学歴社会は終わった」「学歴なんか関係ない!」「学歴無用論」「低学歴者(保護者)の幻想だ、劣等感、僻み!」とか、噛みついてくるワン君たちが、わんさか居たけど…(それが、本書で言うところの「自分らしさ」「個性」派だったのかどうかはしらん(*1))
そういうワン君たちも、よる年波、最近は、この格差社会に喘いで、そういう幻想のメッキも剥がれたのか……
さすがにいまでは、それぐらいのことで、噛みつくワン君は、ネットでも、めっきり少なくなったように思う…



本書が指摘する、社会(あるいは国家)的な問題もわかる。
けど、そういうもんを全部抜いてしまうなら、
(結局、そういう問題は「社会のため」、「国家のため」だから)
たとえば、次のような問題提起も
「生存競争に敗れた人たちが、その後、ベストを尽くして夢を追ったことへの満足感を得ながら、なんらかの定職について、下流ながらも楽しく安定した生活を営むことが出来るか」(264頁)
結局、自分(私)が楽しいか?どうか?の満足度にかかっている。
本人の主観次第なんだよねぇ。

だから、本人の実感(主観)の問題からして、
幸福(満足)な人が、社会を肯定することは容易いけど、
不幸(不満)な人が、そのまま社会を肯定するのは、難しいよね。

とにかく、どんな形であれ、本人が満足する(程度の問題もあるだろうが)ことが、必要にして欠くべからざる、第一前提ということになる。
本人が満足することが、結果的に「下流ながらも楽しく安定した生活を営むことが出来」「社会のため」、「国家のため」になるってことに過ぎないもんね??。

しかし、
なにが幸福か(あるいは「満足するか」)?
それは原理的に他人が決められるようなものじゃなく、
本人の主観だから、
やっぱり、
こりゃぁどうしようもない詮のないハナシになってない…?
(断っておくと、他人や社会が一切関係ないっていってるんじゃないからねぇ。誤解のないように。)


ところで、
こういう格差社会問題になると、決まって「上流にはノブレス・オブリージュを…」というのは……本書だけではないけれど……
ワシに言わせると、まったくリアリティーない。
もともと、日本には、そういう歴史が皆無。
日本では高い地位の者は、伝統的に(武士や貴族(付け届け(税金(年貢)とか賄賂…も含む)なんか貰って))無為徒食することに決まっている(いまだって、その事情は、そんなに変わってないと思うけど…(笑))。
有史以来、そういうことを千何百年やってきてるわけね…
三浦自身が本書でも指摘するように、マスコミや進歩的知識人がいうほど、人々の考えは変化していない(変わらずに古い(保守的))。
変わるとしても、長い時間がかかるのではなかろうか?
少なくとも、ここ百年は無理なのでは……??
とか思ったりする……( ^∀^)ゲラゲラ


「日本の民話で読み解くニート・フリーター」
(三年寝たろう・洟垂れ小僧さん)
とか……だれか書きそう

トリックスター……大暴れ!
怒れる風神雷神!
女殺油地獄!

※ところで、みなさん、
「みうらあつし」とタイプするのに
「みうらてんかい」とタイプしてBSしてる?……

note………
(*1) つまり、(本書で三浦は、戦後の高度成長期における格差と、現在の格差社会を意味深に区別しているが、その顰みに倣って言えば)戦後の高度成長期における「格差が縮小して行く社会?」では、
格差があることを指摘すること自体がタブーだったことは肝に銘じて良いと思う(「みんな一緒」原理)。


すさまじきものにして見る人もなきブログ! : 体罰は倫理的に正しい行為か?


尽十方界
真実人体
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by qsso | 2007-05-19 14:58 | つれづれ | Comments(0)
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