人生を〈半分〉降りる前の中島さん

「この本が出版される少し前頃だと思うが、私は見知らぬ人から一本の電話を受け、ある会への出席を誘われた。私に電話をかけてきたのは中島義道、誘われた会は「大森荘蔵先生を囲む会」であった。そこで私は初めて、中島義道に会い、大森荘蔵に会い、野矢茂樹や飯田隆や奥雅博といった哲学者たちに会った。……
……私は当初、適当に議論をした後で、結局は偉い大先生の御高説をみんなで拝聴する会だと思っていたが、それはとんだ見当違いであった。
 大体は大森荘蔵の最新作について議論をすることが多いのだが、出席者の多くは大森さんの論考のあら探しをして大森さんを攻撃し、……これでは……「大森先生をいじめる会」ではないかと私は思ったものだ。時に大森さんはやり込められ、しばし考え込み、「あなたのおっしゃることのほうが正しいかも知れません」などと言った。……
 この会を仕切っていたのが中島義道だったのだ。人生を半分降りる以前の中島さんはなかなかこまめで、二次会の手配なんかもてきぱきやっていたような気がする。私は、横浜の海の見える公園の一角にあった文学館(?)での会の後の二次会の写真を持っている。たぶん中島義道にもらったのだ。バーコードの大森荘蔵の後頭部を前景に、野矢茂樹や田島正樹などの会の面々と一緒に私も写っている。
 ……「ウィーン愛憎」に一貫して流れるのは、真面目さ、律儀さ、論理性への過度の嗜好、非妥協性などである。こういう傾向をもっている人は少なくない。学者と名のつくほどの人は多少ともそうであると言ってよい。しかし、たいていの場合、それは本や論文の中だけの話である。「大森先生を囲む会」の人々だって研究会の席上ではみんな中島義道と同じであるが、一たび二次会に移れば論理性などなくなってしまう。ひとり中島義道だけが研究会と同じスタンスなのであった。
 ……〔そういう意味で、その頃までの〕中島さんは人生を一瞬たりとも降りようとしない人ではないか……
 ……
 社会的に偉くなった人というのは、本当のところは人生を半分降りた人だと私は思う。
 中島義道が五十歳になり、「人生を〈半分〉降りる」と言い出したのは、中島さんも人並みに疲れたからであろう。中島さんはご存じないかもしれないが、しかし、ほとんどの日本人はものごころついた時から、人生を半分降りているのである。それはむしろ日本人の定義といってよい。そして、多くの日本人は人生を半分降りたにもかかわらず、社会的にも偉くなれなかっただけなのだ。」池田清彦(中島義道「ウィーン愛憎」解説」注:〔〕内はワシ)
すさまじきものにして見る人もなきブログ! : 「もう疲れました。」



中島義道「ウィーン愛憎」

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by qsso | 2007-05-28 19:39 | つれづれ | Comments(0)
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