お天道様が、マルッとお見通しでい

悪いことは、前もって決まっているのか?

山口・母子殺害 死刑の適用焦点 24日に差し戻し審初公判(産経新聞) - goo ニュース

弁護団を批判する人は多い。
イデオロギーでやってるだの、時間かせぎの言い逃れだの…
最も多いのが
加害者の人権ばかりで、被害者・遺族が蔑ろにされている……
といったもの。
鬼畜にも劣る犯行からいえば、
そういった被害者・遺族の訴えはもっともなものだし、
まったくの無関係者でも、それに同情したい気持ちも、分からないでもない。

なかには
「そんな明らかな凶悪な犯罪者の場合、裁判など開かず、さっさと死刑にすればいいじゃないか?」
「なぜ、税金を使ってまで、わざわざ犯罪者の言い分など訊いてやる場(裁判)を作らなきゃならないのか?」
というひともいる。
そういうひとに、一度、
「「何が正しいか?」
 そう簡単にはいえないからだよ」……
と軽口を叩いたら、血相を変えて
「いや、そんなことはない!
人を殺すことは絶対に悪いことだ!
そんなことはあれこれ議論するまえに、前もって決まっているんだ!」

と怒鳴られたことがある( ^∀^)ゲラゲラ。
ネットを見ても、そういうようなことを書いているひとは意外に多い。
しかし、戦争では、たくさんの敵兵を殺すことは良いことだし、そもそも「人を殺すことは絶対に悪いことだ!」と言いながら、凶悪犯を「死刑にしろ」「死刑制度は必要だ」と考えている人もまた人を殺すことを「絶対」に悪いとは思っていないのではないか?。また、正当防衛や緊急避難(相手を殺さなくては生きていけない場合)などの違法性阻却論をあたまから否定することは、なかなか難しいだろう。
つまり、
人間は「一律にヒトを殺すことを悪いとは思っていない」(小泉義之)
そういうことになるだろう。

逆に、前もって何が正しいか悪いか完全に決まっている社会を考えてみよう。
例えば神のオキテで前もって決まっていたりする社会は、ほとんどの現代日本人には、とてもたまんない社会になるんじゃないかと思う……
例えば、マザーテレサのような生活をするのが正しいと決まっていて、そういう生活するように決まっていたりする社会はどうだろう……『朝六時起床、ラジオ体操の後、マザーテレサのような奉仕活動をし、よる九時に就寝する。日曜日も休日もなく、酒、タバコ、ギャンブル、女とは無縁な生活を一生守る』(*1)…なんて…たまんないんじゃないだろうか?……
つまり、前もって何が正しいか悪いか完全に決まっている社会は、宗教国家、絶対主義……SF的にいうなら、ロボット国家である。
ま、前もって何が正しいか決まっている宗教国家&生活でもマザーテレサのような生活ならば罪もないかもしれないが……例えば、「神A」を信奉する人たちが居て、「神A」の信者からすれば、神B、C……は前もって間違っていて悪い神と決まっている。そして、「神A」の信者は、前もって正しいと決まっている「神A」に帰依せぬ異教徒(神B、C……に帰依する信者)を殺すことが、「絶対100%正義だ」と決めて、戦争や残虐行為を行う……
そんなことが、現実に(いわゆる宗教戦争)が幾度も行われてきたのは周知の事だと思う。
そこでB信者に犯人を代入すると、
B信者のやったことに対して、前もって完全に間違っていて悪いことだというひとたちは、
A信者と極めて類比的なところがあると思う。
神Aが見えない物言わぬ神とは限らない。
例えば、現人神(ヒロヒト、ヒトラーなど)から、マルクスの書物、社会や世間の価値(空気)でも充分にそれにかわりうると思う。
そういった思考形式という点だけからいくと、オウマーと反オウマーに違いはないように思える。神Aと神Bの戦いでしかない。


例のコムスン事件で和歌山県知事が「厚労省が許しても、お天道様が許さない。このままじゃ正義が成り立たない」みたいなことをテレビで言っていたが、
日本人の場合、まさに、それが象徴的なように……
お天道様=正義。
言い方の違いはあるにしろ
そういうことをいう日本人は、非常に多いような気がする。
正しいこと……それは空の上にあって、不可侵であり、絶対(神)!
アナロジーとしては、
お天道様は、天の声として、隠された「ホントーの声」……それは隠された「民の声(世間の「空気」)」を「聞こしめす」ことかもしれないが……
しかし、それを聞くのは神Aであり、娑婆のA信者(日本人)たちでしかない(だから、この宗教劇はA信者たちだけの自作自演のように見える)。
要するに、神学(宗教)でしかないのではないか?。

明治の日本(福沢諭吉)は、ヨーロッパの近代民主主義を模倣したが、「抵抗権」という思想だけは欠落させたままだったと指摘したのは丸山真男たが。
まさに、この抵抗権や革命権の思想のなかでこそ、
「ホントは「何が正しいか?」」が論じられると思う。
「いや、そんなことはない!
人を殺すことは絶対に悪いことだ!
そんなことはあれこれ議論するまえに、前もって決まっているんだ!」
そういうだろうか?
それにしても、誰が、どうやって「前もって決めた」のだろうか?
例えば、武家諸法度や、明治憲法、戦後憲法などの人々同士のトリキメは
支配者が前もって決めただろう。
あるいは、
聖書、コーラン、仏典…なら
神、アラー、仏、天子、天皇……それともやっぱりお天道様だろうか……
なんでも「前もって決まっているんだ!」という思想を堅持している人は、
単に支配的なイデオロギーの主張か宗教的な主張をしているだけではないだろうか?
とにかく、なんでも「前もって決まっているんだ!」
という思想が堅持される限り、抵抗の思想は出てこないであろう?。
また、抵抗の思想がないところに
本質的な「何が正しいか?」という問いもまた生まれてこないであろう……?……。

抵抗の思想は、今「前もって決まっている」価値(法)に疑いを向けることである。
それは、逆にA信者としては、
「疑いを向けられる」ことであり……
A信者は、信じる神Aが疑われ否定されると受け取るだろう
(マンセー国家やオウマー国家とか……は、その現人神版で…マンセー国家を目指していた日本で、そういう抵抗権が無視されたのは見易い道理だろう…神のいない国と言われている日本に、いまでも意外に、前もって悪いことは決まっていると考えるひとが多いのは、たぶんにその残滓((現人神やオカミの)思考習慣)であるような気がする)。
ことほど左様に、そういう考えの枠組にいる限り、それが抹殺の思想を生みだす、不毛な宗教(神学)論争になるのは目に見えている。

西洋では、そういう宗教対立の血で血を洗う争いの後、
政治から宗教(「前もって決まっている」(天上の)価値)の分離が説かれ、
人々によって行う近代民主主義が、それに取って代わった。

しかし、神ならぬ人の誰に「絶対」に正しいことなんて分かるのだろうか?
ヒトラーか、スターリンか、マオか、ヒロヒトか、キムか……
(これらの人々は人間でありながら神の顔をして多くの人々を塵芥のように殺した)
近代民主主義社会には、
神の国のように、絶対に正しいことなんてない。
否、その方がいい。
絶対に正しい事なんてないから、
裁判(議会)を開き、
相手の主張を訊き
多数決で決める(国会だって、最高裁だって、最後は多数決(頭数)で決める)。
(もちろん、そこに神学的な戦いが全くないと言うつもりはないが)

日本には、古来から、「盗人にも三分の理」ということが言われる。
いろんな解釈が可能だと思うが、神ではない人には、どっちが100%正しいなんて、誰も決められないということにもとれる。
盗人(あるいは負け組、社会的弱者)にだって、いろんな事情があったかもしれないし、
もしかしたら、その社会のほうに問題があったかもしれない。それは分からない。
少なくとも100%正しい良い完全な社会なんてありそうにない……と思うのだが……。

死刑制度については
また今度

……Note
(*1)土屋賢二「哲学を疑え」

すさブロ! : 初夜権
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by qsso | 2007-06-08 20:00 | つれづれ | Comments(1)
Commented by tomoshimo at 2007-06-09 18:02 x
こんにちは
いつも読ませていただいています。
「絶対」正しいものはないという意見に激しく同意です。
であれば、正しいという結論を導きだすののは「民主主義」
ですか?
民主主義については鉄鼠さんはどうお考えですか?
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