この桜の紋所が目に入らぬかぁ~!

「…近代民主主義社会には、
神の国のように、絶対に正しいことなんてない。
……
絶対に正しい事なんてないから、
裁判(議会)を開き、
相手の主張を訊き
多数決で決める(国会だって、最高裁だって、最後は多数決(頭数)で決める)。
(もちろん、そこに神学的な戦いが全くないと言うつもりはないが)…」すさまじきものにして見る人もなきブログ! : お天道様が、マルッとお見通しでい
上の記事の前後を読めば、
「絶対」的に正しいものはない……
というよりも「絶対」的に正しいものがあるとかなり困ったことになる
ということに近い。
だからといって、正しいもの(正義)がまったくない社会というのも、
また、困るだろう。

ヒトには神様のような絶対的に正しいものは分からないが、
異なる正しさ(主張)を持つ者の言い分を訊き…調整した結果を…多数決によって決める…ことで、正しさを形成(人々の利害の調整を)することは出来るのではないか?
そういった近代・民主主義的手続きを経たものであれば、
私たちは、事後的に、ひとまず、正しいと言わざるを得ない??ように思える。
もちろん、神ならぬヒトが(妥協で)決めたものであるがゆえに、間違いも起こりうるだろう。
だから、この「正しさ」は、最初の絶対的な正しさとは、根底的に意味が変わってしまっている。
そこに気づかないと、またもや誰が正しくない/正しいの宗教論争が始まる。

すくなくとも、現代の日本人には、快適に生活を営んでいく上では、そういった「正しさ」のほうが、より適切なものである……と思われているような気がする……

ま、あとはこれでも読んでねぇ

ちなみに哲学は絶対的に正しいものがあるっていう思い込みで始まっています。
いまは哲学も社会(世間)に飼い馴らされて、公共の哲学、社会の哲学…政治哲学…なんて言って民主主義の優等生を気どったりしてますが……
もともと、哲学は反民主主義!
「ソクラテスの弁明」などは
ギリシア民主主義に真っ向から反旗を翻し、
「多数(民主主義)が、なんぼのもんじゃい!」(問いにするなら「多数はなんで正しいのか?」ってことでしかない…多数派の価値など木っ端微塵!)
悪く言えば、世間にまつろわぬDQN犯罪者、ヤクザ、アウトロー……。
よく言えば、草分け的な衆愚政治批判者……かな…
だから弟子のプラトンが、それを受け継いで哲人(少数)政治を説くわけ。
プラトンたちにすれば、
「絶対正しいものがある。
 しかし、それは賢いワシみたいなもんにしかわからん
 だから賢いワシが天皇になって政治をやるべき」
ということでしかない。
ま、簡単に言うと、そういうことが長い間の哲学の伝統みたいな……( ^∀^)ゲラゲラ
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by qsso | 2007-06-13 19:37 | つれづれ | Comments(1)
Commented by tomoshimo at 2007-06-13 22:33 x
なるへそ~。
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