厳しい父親

林道義「父性の復権」

この本、「父性的な厳しさ」っていうキーワードが何度も出てくるけど
さあて「父性的な厳しさ」って、いったいなんでしょう?
大先生は、秩序とか正義とか……抽象的な言葉を使ってるけど
ま適切な体罰(制裁-暴力)によって、躾ける、調教するっていうことだよねぇ
(恐怖(畏怖)を)身体に覚えさせるっていうことだよね……
経験させるってことだよねぇ
極端な形だと、ガキの頃から、立てないぐらいボコボコにボテクリコカして……父親の顔をみただけで震えあがる恐怖トラウマ……みたいなもんを植え付ける…(嫌悪的体験による恐怖獲得は、本能としてあるようだが)…
身体に覚えさせる……厳父……
そういうことだよねぇ
はっきりいったらいいのに……
やっぱり、それがないとね
厳しさってなんのことだか……分かるわけがない。
言葉の意味ってのは、結局、経験だから……。
「き・び・し・さ」という言葉の意味を理解するってのは
最初は「そう(原体験)」やってしか分かんない……。

たしかに、理解には、
1+1=2みたいな理性(分析)的な理解経験、
言葉だけで理解できる経験ってのもあるんだけど……
しかし、それだって「正しさ(同じもの)」という経験が先立っていないと、はじまらない。
とにかく「厳しさ」とか「生きてて良かった」という言葉は、
そういう理性(分析)的な理解のされ方とは、まったく異質な理解され方(もっというと「理解」という言葉すら不適切かもしれない)だということが、あまり注意されない……。

世の中には、理由とか根拠とかが分かれば、どんな言葉の意味でも理解できると思ってしまうひとがいるようだけど(だから子どもには叱る理由と根拠を提示しなきゃならないなんていう子育て論を有り難がったりする)、そんなことはありえないと思う。

たとえば、子どもたちに「命の大切さ」なんか説教しても
「命の大切さ」という(身体で覚え込んだ)経験の無い者には
「命の大切さ」なんて…絶対に理解されないんじゃないだろうか?。
もしかしたら……
「理性的な「命の大切さ」だけ理解すればいい」
というひとがいるかもしれないが…(そういうものがあることは否定しない(それはたぶん命が大切なことを縷々書いたり、言ったりする能力と同じものだろう))…
しかしそれは果して、「命の大切さ」を本当に理解したことになるのだろうか?
説教によって、
「命の大切さ」を理性(言葉)的にだけ理解することは、一種「命」への冒涜ではないのか?。

そういう意味でいうと、
命を殺して、その死体を直接糧にして食べているヒトだけが、
命の大切さを(言葉で理解できなくても)知っているのかもしれない……
なぜなら、いつまた喰えるか分からないから…(そのとき、全身で命の大切さを感じ取っていると思う)…。
逆にいうと、ワシのように言葉(理屈)の上で、いくら理解が出来ても、ほんとは、なにひとつ命の大切さなんか分かっていない……かもしれない。

この理屈で行くと
戦争をしたことのない人たちは、永遠に平和の尊さが分からない
ということになる(……ということは戦後生まれの平和主義者は、平和への冒涜者になる(笑))。
平和の尊さが分かるには、まず戦争することになる……永久戦争論(笑)

逆から言うと、人間は平和の尊さを知るために、
戦争を止めることができない……。
(笑)
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by qsso | 2007-07-08 18:12 | つれづれ | Comments(0)
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