「日中戦争下の日本」井上寿一

「この本を準備する過程で、資料をとおして接した労働者、農民、女性たちは戦争の一方的な被害者、犠牲者とはいえないことがわかった。」井上寿一(日中戦争から七〇年……「本」)
「今ごろわかるなよ」と突っ込みたくなるが……
突っ込みたいのはそこじゃない。
「ポストバブル世代の若者たちの「保守化」「右傾化」が進んでいる。先日も大学の講義でこのことを話題にしたところ、講義後、二人の女子学生が質問に来た。「若者の「保守化」、「右傾化」って悪いことですか?」。ポイントを突く質問だった。おそらく私のどっちつかずの価値判断に納得が出来なかったのだろう。
 それでも私は、若者の「保守化」「右傾化」を危惧する……」
云々……
だいたい大学って、「本質」的に保守的なひとしかいかないでしょう?
「おいしい就職(しごと)」「おいしい結婚」「おいしい生活」「おいしい老後」…人にこき使われず、ひとより良い生活をしたい、…若いときから、そんなことが気になった人たちが行くんだもん……しっかりしてる。
自らすすんで体制の権化であるガッコ(大学)に行って、「反体制だ」とか「革新だ」とか……ワシなんかから見るとみんなアホに見える。
行かなきゃいいじゃん(´∀)ゲラ(´∀`)ゲラ(∀`)

とりあえず、
政治的用語(レッテル貼り)である保守・革新の意味は横へ置いといて、
純粋に思考形態の保守・革新という意味ならば
大学のセンコーなんかは
それこそガチな理論(方法)的保守主義者なわけだから
(レッテル貼りを除けば、それこそが、より本質的な保守主義者である)
つまりだ、保守のかたまり、保守で人格が出来上がってるようなもん。
遠巻きに見てても、
学者なんてもんは、そういったムラ社会でヒトの出方ばっかり気にしてるくせに、
他人のことになると
「若者の「保守化」「右傾化」を危惧する……」みたいなことをいいたがる人たちが多いような~
「左翼や批判的知識人の常なる属性として、王室や皇室について強い言葉を用いずに言及することに対する強迫観念をあげることができる。少しでも同情めいたことを言おうものなら、そう、日本ならば各皇室のメンバーに「さん」などの略式敬称などをつけようものなら、大変である。だからみんな呼び捨てにする。……自分はあんな退屈な諸悪の根源とは寸分も相容れるところがないということを常に示していなければ、「誰かに糾弾される」、というおどおどした気持ちが頭から離れないからだ。」(8頁)小笠原博毅「浮遊する衒学者/教師」現代思想vol26-4
「「誰かに糾弾される」、というおどおどした気持ちが頭から離れない」
世間体、隣近所のことばかり気になる保守オヤジとなんもかわらんやん。
(「保守化」「右傾化」の反対の)「革新」「左」で、これだから、
あとは推して知るべしだろう。
「明治以来私たちは欧米の個人があたかも我が国に存在しているかの幻想の中で生きてきた。したがって「世間」の存在を言葉や行動の中で否定してきたのである。しかし私が見るところ我が国の人々、特に知識人といわれる人々はまったく意識していないが、それぞれの「世間」の中で生きており、自己の存在自体が、その「世間」に依存しているのである。我が国の知識人は一人になったことがなく、自分が自分の「世間」に依存していることに気づいてもいないのである。」(17頁)阿部謹也「「教養」とは何か」

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by qsso | 2007-08-27 06:09 | つれづれ | Comments(0)
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