荷宮和子「若者はなぜ怒らなくなったのか?」



何度も言うけど
オタク(お望みなら知識人&セレブを入れたってかまわないけど)なんかに
「怒るべき時に怒れる人間になーれ」とか
いわれて
怒っている人たちも、どうかと思うよ。

「怒るべき時に怒れる人間」の代表と言えば
騒音オバサンなんか、やたら怒ってるなぁ~
たしかに常識なんか通じねぇッ~!!
たぶん、荷宮は、あれを目指している
遠く輝く巨人の星を…


はっきりいって、気の小さいワシは、
石原都知事より、オバサンの方が恐い!


「若者はなぜ怒らなくなったのか」
と言ってるけど、
いつの時代と比べてるのか?
ていうか
いつ、若者は、そんなに怒っていたのか?
世間で、よく言われるのは、
団塊世代(の学運)の若かりし頃だろう……。
ていうか、上の文句は、団塊の世代が「ムカシは良かった」的に、
下の世代に用いる常套句。
テレビに出るような団塊文化人なんか口癖のように
「国民はもっと怒った方がいい」とか言う、あれ!(大きなお世話だよ( ^∀^)ゲラゲラ)。
暗にワシたちは「怒るべき時に怒れる人間の代表だ」と言いたいのか、どうかは知らない。
団塊の世代と、そのジュニアを糾弾(バカ扱い)する荷宮が、
彼らの使嗾をしているとは考えにくいが、
かといって、ワシら(ワシも荷宮と同じ63生)といえば、
サタデーナイトフィーバー、マイケル、マハラジャ……で
バブル絶頂を謳歌してたわけで、
みんなが、そんなに怒ってたという記憶はない。
じゃなけりゃあ、荷宮自身の個人的なエピソードのたぐいか?
荷宮自身、どこでそんなに怒っていたのか?不明。
まるで男女雇用均等法をひとりで作ったような口ぶり(ちなみに均等法は、荷宮が就職する頃にはすでにあった)。


本書について、論拠とか証拠がないとか言ってるひとがいるけど、
だいたい世代論、若者論には、最初からそんなものはない。
しかも、本書は、オタク女性による処世術(238頁を見よ)-指南書であり、
一方的な価値基準(独善、正義…)から罵詈雑言が吐かれている……
いわゆるブンガクに入る(笑)。
だから、本書の読者になることは、必然的に、彼女の信者になる。

だいたい、オタクにとって、気になるのは仲間内の評価だけで。
仲間褒めだけが唯一の喜び(「オタク」っていう言葉の定義のひとつでもある)。
なかまにべったり。
なかまだけにべったりだったらいいが、
石原批判とか権力批判とか
世間で公認されている批判が大半だから
じつは、石原(パパ)&権力にもべったり…(遅れてきた思春期、依存的反抗(「パパはわかってくれない!」))…甘え汁。
「甘え」べったり本。
そこを勘違いしてはいけない。
荷宮にとって、一般読者は、
荷宮の投げつけるウンチをただ受け取るだけの存在でしかない。
そんな処世術を書きたがるのは、
意外に、その世界では、なんの取り柄もないのに、そういう処世術(仲間褒め)だけで、生きていけたりする人が多いからか?
(´∀)ゲラ(´∀`)ゲラ(∀`)


簡単に言えば、
団塊&若者(団塊ジュニア)はバカだ!
と言った本である。
根拠(りくつ)ぬきで
お仲間以外は、
みんなバカだと言ったところエラいと思う。
ワシもそう思う。
最後に
「じぶんも、無教養な田舎者です」といえば、もっとエラかった。


そもそも、
近頃の若い者評も、団塊世代評も
日本人全般に言えることで、
彼ら世代を特徴づけるものとはいえないものばかり。

たとえば、
「つまり、「近頃の若いもん」の価値観について整理してみると、次のようになる。
「自分を非難しない人」=「いいことしか言わない人」=「自分に好意を持っている人」=「味方」=「関わり合いになりたい人」
「自分を叱咤する人」=「自分を非難する人」=「自分に敵意を持っている人」=「敵」=「関わり合いになりたくない人」というわけである」(57頁)
たしかに(ネットでもそうだけど)、何が論じられているかよりも、そいつが自分の敵か味方(あるいは有名か無名か)かしか興味のない人ばかりである。
しかし、それが団塊ジュニアだけというのは、なんぼなんでも嘘八百だろう(ちなみに、ワシはそういう考えを批判しようという気はない。ワシ自身がそうだから( ^∀^)ゲラゲラ
ちなみに、そういう価値観は、「人事権を持っていないやつのことなんか気にするな!」(237頁)っていう彼女の教訓と……しっかり、リンクしてる筈だと思うんだけどなぁ……)。
「「目上か目下か対等かで人間の振る舞いが規定される社会」=「物事の本質や結果よりも、関わる人間が誰であるかこそが重視される社会」=「誰が言ったか、誰がやったか、誰のためにか等々のみが重視される社会」…(135頁)
これだって、そう団塊の世代の価値観というより、
近代人間社会の価値観でしょう~(百年以上前に、ニーチェが言ったことと同じ)


荷宮は他にも
「今の時代の価値観」として
「がんばらないのがかっこいい」
というが、
頑張らないで、あるいは苦労しないで栄達することを、フツー、幸運とかラッキーとか言わない?
そんなのおおむかしからあるじゃん?。


結局さぁ
若者に(お茶くみの)忍耐の大切さを説きたいのか
それとも
やっぱり
(女性解放のように)欲望の赴くままに、解放されなければ、ならないのか(やっぱり、お茶くみなんかイヤ!なのか)
どっちらけ。

ワシは、ぜったい男性解放!


人を見下ろすエラそうなヤツを見下ろしてやりたい。
→結局、人を見下ろしてやりたいんだろう。

「野蛮な暴力に満ちている世界を、軍事力や警察力によって強制的に文明化し、暴力を一掃しようとすれば、不可避的にその”野蛮な相手”よりも”さらに野蛮な暴力”を発揮しなければならなくなる」(136頁)仲正昌樹「デリダの遺言」



「そこそこのおいしさ」路線ってところでいいじゃん


世代論(若者論含む)ってのは
「これはわたしの偏見だから」とか、なんだかんだ言い訳をしても
結局、自分の見方を「不偏の観察者 impartial spectator 」の高みに押し上げてしまう。


「「周囲に悪く言われるかもしれないから」のみを行動原理にしていれば、いずれは、「なぜそれをしてはいけないのか」がわからないまま行動するに人間となり、結果として、「本当にそれをしてはいけないのか?」が判断できない人間となってしまう。」(237頁)

たしかにアホになる。
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by qsso | 2007-09-07 19:33 | つれづれ | Comments(0)
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