浅羽通明「天使の王国」

ワシはモノカキでもオピニオンリーダーとやらでもないので、
たいがい本は古本、それもワゴン積みにされている30円とか100円とか……
特に最近はBOの105ばっか。
なので、古い本ばっかり読んでいる。
リアルタイムの本を読むことはほとんどない。
ワシにとって、本(モノカキが言ってるようなこと)は、しょせんそんなものでしかない。
基本的になんとも思ってない。気にしていない。

この本もBO105で買った本だが…
古い本だが、なかなか読ませる。
こんなむかしに…すでにまっとうな指摘をしてるひとがいたんだなぁ~

特に面白かったのはⅢ
「「現代思想」はいかに消費されたか──言説という商品の八〇年代史」
「新聞投書に見る「発言したい欲望」──精神病理としての正義」


すべてを紹介する余裕はないので、
このⅢの
「新聞投書に見る「発言したい欲望」──精神病理としての正義」
にしぼる…ことにしたい

「新聞投書に見る」とされているが、
べつだん、ブログとかネット上の政治的発言をするひとにもじゅうぶんあてはまるだろう。
浅羽は、そういった投書の内容が、結局、ふたつ(左右)の典型(権威)的な紋切り型(模範解答)に集約できると指摘した上でガッコ化、インテリ化、学生化してるとしている。
「学歴社会、情報化社会、それぞれが超高度化を遂げ、一億総中流意識が浸透した現在(九〇年代)はどうだろうか。先に紹介した朝日新聞の記事にあったように、TVニュースを見ていないと「世間話」に入れなくなると言う時代。マスメディア情報の摂取とそれへの反応とからなる営みが、全生活中かなりのウエイトを占める社会。これは、相対的にも絶対的にも私たち固有の「日常」のリアリティが衰退したことを意味する。いわば、日本の普通の人々はここに到って、あたかも知識人のごとく、己の「日常」についての自信を喪失したのだった。一億総「インテリ」時代、一億総「学生」時代。…」(275頁)

「TVニュースを見ていないと「世間話」に入れなくなると言う時代」とは、
「たとえば一月二十三日付の朝日新聞「テレビで見た湾岸戦争」という記事には、店でも配達の車の中でもラジオがつけっぱなしという食品店勤務の若い男性や、友達どうしで戦争の話をするのがはやって、TVを徹夜してでも見ておかないと話についてゆけないという男子学生」がいる時代であろう237
「しかし、それは所詮、TVメディアの過剰報道による日常生活の変化というレベルの「影響」でしかない。…臨場感も満点の究極の生テレビが巷の話題を独占したというだけではないか。白熱する日本シリーズ、高校野球の地元チームの熱戦、大相撲の千秋楽の横綱同士の優勝決定戦の盛り上がりと、それはどれほど違うのか…」。(237頁)
つまり、
大衆にとって色々な政治的な(左右、保革対立の)問題も、
所詮理屈ではなく、
ウッチャンナンチャンのバラエティ、阪神の応援
となんらかわりない(248を参照すべし)。
阪神を応援するように
平和、憲法、品格、国家、反自民……
というスローガンを並べ
自分の立場を表明するだけ…
そういったファンの中での…お題目(学校の模範解答)を消費するだけに終わる。
「ここから見えるのは、私たちが、結局、湾岸戦争という異常に視聴率の高い番組の視聴者でしかなかった実情だ…」(238頁)

という……。なるほど。

なぜ、彼らは、そんなに立場表明したがるのか?

「「【名もなき世界人民の力を見よ】

 こんなデモなんかしたって、なんになるんや」と、心ではしらけた思いでデモや、抗議集会を続けて一ヶ月たちました。
  しかしいま、(中略)(世界中で)連日何百万人の反戦デモが繰り広げられ、愛知県小牧市基地で若いOL、女学生たちがずぶぬれになった髪から雨水をしたたらせながら、「自衛隊員のいのちを守ろう。戦争反対」と叫ぶ衝撃的な光景に、私は、世界中の人々と手を握って、戦争勢力と闘っている私自身の姿を確認することができました。(後略)
           印刷業 七十三歳 大阪市都島区(『毎日新聞』九一年二月十九日付)」

彼らにとって、運動の実効とは、いつの間にやらこのように運動がこれだけ盛り上がったとか、連帯がこれだけ広がったといった、内輪の反響でしかなくなっている。だが、すり替えてもらっては困る。運動がいくら盛り上がっても、その圧力が外部である当事国の政策決定にまで届かなければ、外在としての戦争を動かさなければ、すなわち、本来の要求であった停戦決定へ影響しなければ、やはり、「なんになるんや」というしかない無意味なデモだったのである。「世界中の人々と手を握って、戦争勢力と闘っている私自身の姿」にナルシスティックに陶酔できたという実効しかなかったデモなのである。彼自身のアイデンティティ確認のためだけのでもだったのである。
 どうやらこのナルシズム、もしくはアイデンティティの確認への要求に彼らの行動を解き明かす鍵がありそうだ。「何かしなければ」と呼びかける投書にも、戦争なんていやだ、涙が止まらないと感きわまった投書にも、やはりナルシスティックな自己陶酔は漂っている。デモへゆく勇気はないけれど、投書ならできるという「行動」を差異づける位階も、それによって満足させるナルシシズムの程度から決定されていると言えよう。
 どう考えても宗教的と言いたくなってくる彼らの行動の動機は、このナルシシズムの満足、あるいはアイデンティティの確認であるととりあえず言ってよかろう。」(242頁)
アイデンティティの確認のため……
世間には、アイデンティティとか横文字でいえば、なんかもっともらしいことのように思うひとが多いが、
要は、ナルシスティックな自己陶酔(肯定)でしかない…
おそらく、そうとう気持ちが良いのだろう(笑)
それこそ、このあいだの黒川さんの
「気持ちが良いことは、何度でも繰り返したいのが、生命の本質…」みたいなところがあるのかもしれないが…要は、政治をダシに使った一風変わったオナニーだということになる。
自分のオナニーが、みんなにも関係があると言いたいだけなのだ。やぱッ

「「【人の命奪う権利があるのか】
 一日家にいても、何だか心が落ち着かない。わが子の愛らしいひとみと見つめ合っても、不安が私をいらだたせる。
 今、戦争をしているのだ。こうしているうちにも、爆弾が次々と落とされているのだ。逃げまどう人々。爆弾で死ぬ人々。その中にはわが子と同じ生まれたばかりの生命もあるだろう。こんなにも子どもは可愛いのに、生命の誕生はこんなにも神秘的で崇高なものなのに、人はなぜ、戦争なんかするのだろう。(中略)いやだ、いやだ。人間なんていやだ。権力なんていやだ。戦争なんていやだ。」
       主婦 二十六歳 滋賀県彦根市(『毎日新聞』九一年二月十八日付)」

 戦争勃発を怒り悲しみ憂い、一日も早い停戦を祈ることが、ごく自然な感情であるとしても、一日じゅう、その不安ゆえに心が落ちつかないとなるとどうだろうか。また、その感情を、「神秘的」とか「崇高」とか「権力」とかいう大仰な言葉や、「なのに」や「いやだ」が脚韻を踏んで繰り返されるレトリックまで使って文章化し、投稿欄へ送るとなると。
 つい考えてしまう。こういう投書を書き送る人たちは、はたして家庭でご主人と、学校でクラスメートと、職場で同僚と、こういう高邁深刻なお話を真剣なまなざしでなさっているのだろうか、と」(236-7頁)

こういうひと、ブログ(ネット)では、頻繁に見かける。
そういうひとのページには、世界の貧困、格差、紛争の問題が…
たくさんのやせこけた子どもの写真と共に載せられ、
自分がいかにそれらについて傷つき、憂いているかが記されていて、
上の投書以上に、大げさな言葉づかい、強迫的な感情吐露……フツーに考えれば、
すでに尋常でない事態を記しているが、
しかしである。
次の日をクリックすれば(ここが新聞の投書とは違う。ブログならでは)、
そのブログには、
「ハーイ
 今日は連休で、
 家族で○×温泉に来ていま~す……」
記事には、自慢の高級車や
高級旅館の料理、
同僚へのおみやげや
ピースしている自分……など
の写真があっけらかんと満載されている…
そこでもアフリカの飢えた子供について、家族で話し合ったかもしれないが(笑)…(他にも自慢なのか…高級化粧品、ブランド品購入インプレ記事とか…あったりするものがある(笑))……

意外に、そういうひとはネットに多い。
本人は、おろか、そこを訪問する人も、違和感を感じていないような…気がする。
どうしてか?
おそらく、それは、浅羽が先に言ったように、
彼らにとってそのような平和の願いは、単に自己の属性を明らかにする立場表明、自己のアイデンティティ確認にすぎず、ナルシスティックな自己肯定を味わう、刹那的な快楽行為にすぎないからではないか?。

「「【鳥がかわいそう】
 きょうテレビで、あぶらまみれになっていたとりを見ました。(中略)しんでいるとりもいました。かわいそうでわたしはなみだがでました。
 はやくせんそうをやめないと、人げんやしょくぶつやどうぶつや虫やとりなどがほとんどしんでしまいます。たくさんの人をころしたほうがかちなんて、わたしにはかんがえられません。(中略)
 イラクは、はやくせんそうをやめてほしいです。せかいがへいわにくらすのがわたしのゆめです」
       小学生(女子) 七歳 東京都(『朝日新聞』九一年二月二日付)」(235-6頁)

「私たちがこれらの文章に対して辟易するのは、この投稿者たちの、そして私たちの等身大の日常生活とのアンバランスゆえであった。矮小で非力なエゴイストである私たちが、「遠方の不幸」に涙を流し眠れなくなるほど切実になる必然性があるだろうか。「地球大の不安」について高邁な見識を抱き、それを訴えて世界を動かせる可能性があるうだろうか。たかが一視聴者か一読者にすぎない私たちが。」(265頁)
等身大の自分と高邁な理想、その大きな懸隔を埋めてくるのはなにか?
浅羽は、それを「戦後民主主義」にみる。
では、「戦後民主主義のイデオロギーは、いったいどういう心の隙間を埋めてくれたのか、
 それは等身大の自分についての自信のなさであった。
 せせこましい日常を生きている矮小なエゴイストである自分を恥じ、そんな実像を隠蔽して一気に尊厳ある個人へと自分を上げ底しようとして生じた空隙であった。
 しかし、その結果は、これまで見てきたような、たわいもない「行動」への自己陶酔や、大仰な感情吐露や、自己満足的な道義論説といった、よりいじましい宗教的行為の戯画に陥ってゆくのがオチだった。
 そこで、私たちは、何よりもまず、せせこましい日常を生きている矮小なエゴイストである等身大の自分を直視するところまで戻る必要がある。そんな自分に開き直り、学校で刷り込まれた戦後民主主義のイデオロギーを相対化する必要がある。」(267-8頁)


「矮小なエゴイストである等身大の自分を直視するところまで戻る必要がある」
確かに。
しかし、そこはなかなか難しい。
なんといっても、基本的にワシたちは「矮小なエゴイスト」だからである。
「学校で刷り込まれた戦後民主主義のイデオロギーを相対化する必要がある。」(267頁)
「私たちが、これらのイデオロギーに感染させられた現場は、もちろん学校である。」(264頁)
「知識人たちは事あるごとに、その「理念」に生きる自分たちであることを確認できる儀式を必要としたのだ。それが、政府のやることはなんでもくさし、ことあるごとに反対声明に著名を連ねてみせるという、「理念」への信仰告白であった。この知識人としてのアイデンティティ確認の儀式のためには、ただ「反対」の道義的理論を言葉で語るだけで良かった。要するに実効性ある社会的経済的方策をはじきだす仕事よりもはるかに楽も出来たのだ。
非力な自分を直視せず、自己陶酔の幻想が得られる行為へと逃避するパターンがここに見られる。……」(261頁)

ところが
「この儀式への参加なしでは知識人として認証されないという慣行は、いつしか彼らの胸中に強迫観念を蓄積していく。いとうせいこうの「失語症」「自殺を考えた」「気合いで決断する」といった異様な告白は、この強迫観念を真っ向から受けとめてしまった症例だろう。そして、この強迫観念を生みだした構造を直視する者は、ついにいなかったのである。」(262頁)
そういった観念をガキの頃から擦り込まれ転移した「私たち」は
「それは、一種の強迫観念となって私たちを駆り立て、その結果、私たちの膨大な非日常的(つまり、日々の常識からは判断がつけかねる)情報空間の中に、矮小な自分がちゅうぶらりんにされたような不安に陥った。あげくが、論壇の口まねをしたり、大仰な言葉で感情を吐露したり、たわいもない「行動」に自己陶酔したり。」(262頁)
「私たちはみな、いつしか知識人たちの強迫観念を転移させられていた。マクロな状況への関心を常に抱き続けなければならないという強迫観念を擦り込まれていたのだ。」(263頁)

ワシも哲学めいた(笑)ブログをやってるが、
ご覧のように、ちょっと不自然と思えるほど、その手合いの人たちは少ない?
内容以前に、たぶんに、知識人(哲学)としての平均的な通過儀礼(例えば、戦争反対、平和主義、反米などの、いわゆる文学青年的ナイーブなアイデンティティなど)を、リスペクトしないからかもしれないが(笑)。
どっちにしても、ワシがみるに、哲学を在野でやってるひとの中には、むしろ学校化、学生化をむしろ良いことのように感じているような人が多いような気がする。
というより浅羽が指摘している「口まね、大仰な言葉」、「自己陶酔に耽るひと」とは、哲学をやっているような人たちにこそ、ズボリ!当てはまるのもののように思える?(笑)

基本的に「矮小なエゴイストである」彼ら(ワシ)は、
「等身大の自分を直視する」より、権威に頼って安心するほうを選ぶだろう。
もちろん、不満を述べたいのではない。
ワシは、それで良いのではないかと思う。
「非力で矮小なエゴイスト」に、しょせん「等身大の自分を直視し」イデオロギーを相対化するなどできるわけがなかろう?(ワシ自身「非力で矮小なエゴイスト」だから、そう思うのだ(笑))。


浅羽は若者の年代的な不安変化の問題を扱っているが、
社会に出て行く
つまり、未体験ゾーンに突入する若者が、不安になるのは当然のことだろう。
それは、いつの時代も同じだろう。
若いのに、なんでも自信があるほうがおかしい。
その不安を表現する表現の型が、時代によって違うというだけではないだろうか?


すさまじきものにして見る人もなきブログ! : なぜ、彼らは、そんなに立場表明したがるのか?

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by qsso | 2007-10-07 18:22 | つれづれ | Comments(0)
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