どこまでが暴力か?か

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一般社会にも
正当な暴力不当な暴力
があると言われる。
「暴力はいけない」と薄っぺらい正義漢ほど言いたがるが、
一律に暴力がいけないということになると、
「暴力がいけない」という正義を可能にする暴力もいけないということになり、困ったことになるのではないか?
シツケか暴力かなどの問題も集約すると、そこにあるのかと思われるが、しかし……
厳密に考えていくと、
両者はかぎりなく漸近する。
正当と不当を分けている境界線はかぎりなくぼやけ、
両者は、開き直って、宗教闘争のような様相を呈することだろう。
結局、ワシラには
「解体されるべき権力と、コミュニケーションを支える力」を見分けるすべすらない。(21頁)大庭
然り。

なかんずく、なんの恨みもない相手に対して「不当な(投げ飛ばし、抑え込み、殴る蹴るの…)」暴力を加えて
打ち負かすスポーツは、
それ自体相当な暴力(ヴァイオレンス)である。
暴力がいけないというのなら、
ボクシングやレスリング、カラテ、柔道、相撲などは絶対いけないであろう。
厳密に考えれば、たぶん、ほとんどのスポーツは禁止になる可能性が高い。

個人にとって暴力がいけないのは、自分自身が被害(精神的なものも含む)を被る可能性があるからである。
もし自分になんの被害を被る可能性がないならば、
暴力を否定する根拠は、主観的には、きわめて薄弱になる。
しかも、本来ヒトは、一定の攻撃性を有し、そこから快楽が得られるように出来ているから、
暴力を揮うことが快楽にもなる。
高額なカネを支払ってでも、なんの被害を被る可能性がない場所(観客席)にいて、
スポーツ(殴り蹴り倒している人、殴り蹴り倒されている人)を見たがるのは、当然、そんな欲求によるものだろう……。
人間にとって暴力はひとつの高級な欲望……なのである…?。

タイガー・ジェット・シンのサーベル
ブラッシーの噛みつき
ボボ・ブラジルの場外乱闘
折りたたみイス……
数々の反則技
数々の(電流・有刺鉄線・五寸釘…)デスマッチ
流血ショー
この不当な荒ぶる暴力こそが
スポーツの最大の魅力……か?
……

「気持ちの良いことは、何度も繰り返したい…それが生命の本質だから」(黒川)

すさまじきものにして見る人もなきブログ! : 体罰は倫理的に正しい行為か?

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by qsso | 2007-10-08 19:11 | つれづれ | Comments(0)
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