なぜ、彼らは、そんなに立場表明したがるのか?

すさまじきものにして見る人もなきブログ! : 浅羽通明「天使の王国」

なぜ、彼らは立場表明=既成のコンテンツを消費するだけで良いのか?

このあいだの、荷宮が若者に対して同じような疑問をぶつけていた。
彼らにとって
「「自分を非難しない人」=「いいことしか言わない人」=「自分に好意を持っている人」=「味方」=「関わり合いになりたい人」
「自分を叱咤する人」=「自分を非難する人」=「自分に敵意を持っている人」=「敵」=「関わり合いになりたくない人」というわけである」(57頁)荷宮
つまり、彼らは、先に敵-友(味方)を設定したうえで味方としか関わろうとしない……というわけである(前にも云ったけど、それは若者だけの特徴ではないことはいうまでもない)。
それにしても、
なんだって、シュミットみたいにささくれだって「友-敵」を設定しなきゃ駄目なんだろう?
(浅羽なら、そこに学校化を見るかもしれないが)

たぶんに、そんなところでは、あらかじめ邪魔者が排除された世界でしか通用しない言葉を喋ることが求められているだろうし、
も少し言い方を変えるなら、
彼らの言葉について異議を申し立てる邪魔者を、あらかじめ排除した世界を作ることが求められているような気がする。
要は、お仲間社会で、ぬくぬくとまぐわうために自己の立場を表明する……ということになる。

それにしても、
なんでそんなに仲間とぬくぬくとまぐわっていたいのだろうか?
橋本治が、以前こんなことを云っていた。
「日本人は孤独に弱い。ものを考える人間は特に。」(123頁)
社会や世間、仲間からズれることを極端に怖がる。
仲間からずれることを怖がる者は、しだいに”自分の頭でものを考える”ということをしなくなる。
ていうか「自分の頭でものを考えて、外の社会とずれたところへ行ってしまったら、困るからである。」(127頁)
「自分の頭でものを考えると、当然のことながら、”孤独”というものがやって来る。そうなると、日本人の多くはすでに心細くなって、「この心細い自分をなんとかしてもらいたい」ということになって」「すぐに”救済を求める”に行ってしまう。」(122頁)
つまり、日本人は、「自分の頭でものを考える」=「すぐに”救済を求める”に行ってしまう。」
「”自分の頭で結論を出す”くらいの我慢」もできないで「すぐに”救済を求める”に行ってしまう。」
「私もとっても大胆なことを言うが、日本人は「理屈であれこれ考える」ということに弱くて、「信じれば救われる」という方を選ぶ。」(124頁)


理屈であれこれ考えるより、ただ既成(左右)のお題目(模範解答(コンテンツ))を唱える(消費する)ことによって…
救われたい。オウマー、サヨク、プチナショ…みたいに頭を取りたい。楽になりたい。
”個人の救済”を、そこに求めている…特に自称テツガク者は、そういう傾向の人が多い…わけか

「よりいじましい宗教的行為の戯画に陥ってゆくのがオチ」浅羽

橋本は、若者についてはこう記している…
「若いやつは自分の頭でものを考えようとするが、そんな若いやつを取り巻く既成現実の方は、自分の頭でものなんか考えない。自分の頭でものを考えない人間に取り巻かれて、若いやつは”孤独”の中に落っこちる。世間が”自分の頭でものを考えることの孤独”を知らないのだから、若いやつは、当然のこととして、そんな孤独に堪えられない
 孤独になった青年がアップアップしてオウム真理教にたどりつくのは、もう少しのことである。」(128頁)
せめてワシは離れていよう…

橋本治「宗教なんかこわくない」
荷宮和子「若者はなぜ怒らなくなったのか」
浅羽通明: 天使の王国―平成の精神史的起源
[PR]
by qsso | 2007-10-09 18:19 | つれづれ | Comments(0)
名前
URL
画像認証
削除用パスワード