亀田騒動~世間様の恐怖政治

テレビは、殺人鬼以上の大きな扱いでバッシング。
まるで五百人ぐらい射殺したような勢い!(だいたい、亀を悪だ!悪だ!と言ってるけど、ボクシングの試合に反則なんか「つきもの」と言っていいし、いままでだって世界戦で反則で減点なんて、いくらだってあった。その都度、それを社会悪として国民的バッシングが起ったなんて聞いたことがない。なんで亀田戦だけ、悪なのか、その理屈が分からない)。
しつけだの、道徳だの、礼儀だの、
果ては、子育て、親子関係、人間性、私生活のことまで……小姑並に微に入り細に入りバッシング。
日頃からことあるごとに個性の尊重だの…旧いものからの脱却だの…同化政策批判だの、異文化コミュニケーション(外国人労働者受け入れ)だの…唱えているようなアンチ(反体制)を気どる進歩的文化人たちですら…異口同音、明治の道徳父のようなことを言う…爆笑(あーいう人間ほど底が浅く、世間様に弱い)。
言うに事欠いて、子離れ親離れが出来ていない…精神力がどうの…忍耐力がダメだの…シロウトがいうことじゃないだろう…せめて、大人だったら、他人の精神力や忍耐力を云々するなら、一日でもいいからあいつらとおんなじメニューをやってみてからにしたらどうか…アンコ腹抱えただぶだぶの身体にも少しは良いのではないか(笑)。
もう平均的視聴者(ワシ)のような小心翼々と・世間様に右顧左眄し・ひたすら失点のないように生きている同調(サラリーマン)的な人間しか、もはや人間でないかのような…論調…
要は、子どもは(亀父を除く)平均的視聴者のような大人の言うことならなんでも聞くような”良い子”じゃないといけない(市民のサティアンが必要だ)ということでしかないだろう…

とにかく、どう聞いても、
平均的視聴者と、考え方や価値観(生きる作法)が、ちょっと違うというぐらいで
なにがそんなに悪いのか、さっぱり分からない。
なにが殺人鬼以上の悪なのか…
分からなかった。

そういえば
青柳正規が面白いことを言ってたなぁ
「……日本人は小さな自由とか小さな博愛とか小さな平等は持っているけれど、とんでもないギリギリの世界でそれをなお維持できるのかどうかは、まだ試されていないように思います」
ギリギリの世界どころか、
この騒動を見ると
そんじゃそこらあたりで試されてないことが露呈しちゃったような気が…( ^∀^)ゲラゲラ

特に自由(主義)は、西洋で、他者(多数)の干渉から個人をいかにして守るかということで鍛えられてきた思想である(人権、権利の思想も源はおなじである)。
他者からの束縛から、いかに自分の生存の様式を守るか
遡れば「信教の自由」からきている……
つまり、異端な振る舞いをする者と、どう折り合いを付けるかである。
宗教的寛容(トレランス)とも言われる。
時代が下ると、他者に対する「無関心」の問題と言える。
「無関心」というとネガティブに聞こえるかもしれないが…
他者との関わり方(コミット)の問題である。
他者に対して、完全に無関心でもいけないが、
かといって、なにからなにまで干渉してもいけない(もし干渉して良いことになれば、それは国家主義・全体主義・ファシズムを呼び寄せることになる)。
つまり、個人の自由を守る上においては、他者に対して「洗練された無関心」が必要になってくる…(細かいことは稲葉の本を読むべし)
だから、社会や国家制度は、できるだけ必要最小限のミニマムな合意を基本とし、それ以外は他人にはなるだけ無関心でいよう……
というのが自由主義の基本的な構え(スタンス)である。
あなたにとってどんなに隣人(亀)が主観的には気持ち悪くても、社会のなかで最低限の合意を犯していないかぎりは無関心でいましょうということである。
青柳の疑義は、日本人は、タテマエでは、博愛やら個人やら自由やら…言葉は麗しいが、いざ、なんかことが起った時、あてにはならないのではないかと言うものであろう。

とはいえ、
駅の人混みでトラブルや、時には殺人があってても、
大半が見て見ぬふりをするような日本人が…(ある意味では洗練されすぎて…他者に対して、完全な無関心に近い状態)…
なぜ、亀田家に対してだけ、これほどの多くの人が(一種異様とも思えるほど)コミット(干渉)したがるのか?
なぜ、亀田家は、多くの人にとって、連続殺人鬼を超えるほどの大問題(悪)なのか?

ナゾである。

もちろん、イジメの群集心理、沈黙の螺旋、メディアの問題も関係あるだろう…
また、浅羽が言ってたように、通りを歩いている傍若無人な若者すら注意できないような「非力で矮小なエゴイストである自分」を、この機会に(それとはまったく関係のない亀田家を攻撃することによって)尊厳ある自己へと上げ底するためかもしれない……
それともうひとつ、分衆化も関係しているかもしれない…
分衆とは、エコノミーによって、住むところ、価値観、作法、などが細かく分化した
いわばエコノミー(格差化)によって、生の作法自体が、それぞれの分衆内でオタク化してる状態のことだろう。
当然、それは分衆どうしのあいだで、異端者(違うオタクサークル)どうしのような通じ合えない(軋轢)状況を引き起こすだろう…
みながミズノミで起きる時間寝る時間…収入・興味・価値観(生きる作法)が同じだった時代では考えられないような…
フラストレーションを隣人に対して持つことになるだろう…
そういう隣人に対する、
蓄積された違和感、恐怖、ストレス、フラストレーションが、
亀田家に投影されているだけかもしれない……(その点では、前述した文化人たちのトンチンカンなリアクションの原因もたぶんに同じような感じがしている)。


すさまじきものにして見る人もなきブログ! : バッシング
すさまじきものにして見る人もなきブログ! : アンチ亀は、何を言っているのか?
すさまじきものにして見る人もなきブログ! : オッサンからすると


稲葉振一郎「リベラリズムの存在証明」
[PR]
by qsso | 2007-10-19 18:57 | つれづれ | Comments(0)
名前
URL
画像認証
削除用パスワード