オヤジに典型的に見られる論法

言い換え論法


清水義範「行儀よくしろ。」


先に紹介したように、
清水さんは、巷間騒がれた「学力」低下問題を取り上げるが、
しかし、巷間言われてるように学力低下自体が本質的な問題じゃなく、
まして学校批判や教師批判は的はずれ…
ホントに大事なのは、学力よりも、「知力」、「頭が良い」というような総合力であり
それを支える社会(の荒廃)、文化(の破壊)…こそが問題だと指摘するのだが……
なにをかいわんやである。
そもそも、「学力」を「知力」と言い換えたところで、なんか言ったつもりになっているところがオソマツ。
「学力低下」問題は、文字通り「学力低下」を問題にしているのであって、
誰もそんな清水のように「知力」の低下なんか嘆いていないのなら問題がないというのが一点。
また、
知力という言葉の意味が、学力という言葉の意味に含まれる
あるいは逆に、学力が知力の中に含まれているとしたら(清水氏の場合、「知力」を「総合力」にした時点でこちらにはいると思う)、
知力と学力はなんらかの相関関係にあるわけで…学力低下問題なしですませるわけにはいくまいというのがもう一点。
(ていうか学力があって知力もある子のほうが多いと思う。)

ちなみに…こういう言い換え論法は
哲学者や思想家も使ってるから、
なんか高尚な方法だと思ってるひともいるかもしれないけど……そうじゃない。
哲学や思想は、日常われわれが使っている言葉の意味に疑いをかけ(エポケーし)、
ホントーの言葉の意味
ホントーの時間…とか…ホントーの愛…とか…ホントーのxxx…etc…真なる文…真理を教えてくれるものと…言われていたが…本当だろうか?
「結局それは、われわれのことばづかいを解明しているだけです。われわれのことばづかいをいくら明らかにしても、この世界に成り立っている深遠な真理を解き明かしたことになりません。」土屋賢二


すさまじきものにして見る人もなきブログ! : ツチヤ「の」ウィトゲンシュタイン

Note---------------------------------
※しばしば、ネット上で哲学的議論といわれるものに、完全に相手無視で上のオジサン的論法で勝手に言い換えたり、定義(意味)付け足しで反論(あるいは再反論…)した気になっている自動クルクルパーを時々見かけるが、
そんなことをすれば「1+1」すら、まともに答えられない(クルクルパーになる)のは誰にでもわかりそうなもので…orz…

土屋賢二「ツチヤ教授の哲学講義」
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by qsso | 2007-11-26 06:28 | つれづれ | Comments(1)
Commented by 国士和零 at 2007-12-26 19:27 x
はじめまして、ティーダブログから来ました(ブログ名しりえい)です。
学力レベル最下位の沖縄に住んでおります。

記事を拝読させていただきました。
私は幼い頃からよく父に「言葉についての意味を説明してみろ」
と言われ、いつも辞典をひっぱり出して広げさせられたものです。

おかげで今でも意味のわからない言葉があると辞典で調べる
という癖がついてしまいましたね。(笑)

「自分の口で説明出来ない言葉は絶対に使うな!」

「学力を身につけたいのであれば、好奇心を持て」

「相手に伝わるように話をしろ」

「勝手に言葉の言いまわしを変えるな」という父でした。
(もう他界しましたが・・・)
その教えは、今の子供達に通用するのかしないのかは
わかりませんが、自分の子供達に、私の父の教えを
実践しているところです。が、なかなかうまくいきませんね・・・

私の実力不足だと思います。でも、
頑張ってクルクルパーにならないような教育をしていきたいです。




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