オッサン論

(哲学者)中島義道さんの
「人生を半分降りる」
という本を読んだことがある。

たしかに…大学教授や人気者など
エラい人が降りるのは大変かもしれん……
が……
ワシのような凡人は、そうでない。
そういう「人生」には、最初から乗ってない
降りる必要がない。
降りる決意も要らない。
降りる残りしろがないのである。
否々、無理してアウトサイダーを気どってるわけではぜんぜんない。
ていうか、フツーのオッサンは、みんなそうなんじゃないか?
降りたい・降りてしまった気持ちがあるわけではない。
むしろ、まだまだという気持ちがありはするが、
すでにだいぶ降りてしまっている。
先の中島さんは、
何年か前、決意して、家族、親類縁者と絆を切り、社会の公式行事からも極力避けているという。
もちろん、ワシは、中島さんほど強い人間ではないので、
自分からそんなことはできない。
自分からそんなことはできないが、
子供、友人、親類縁者との縁は自然とどんどん切れる。見事なもんである(言うまでもないが、凡人には華やかな社会的公式行事なるものは存在しない)。
ここ二十数年ほど親戚(父・兄弟含む)の者の顔をだれ一人見ていない(結婚式・法事・葬式の類も生まれてこの方、呼ばれたことも、出席したこともない)。
もちろん、同窓会の案内も、どの学校からも届かない
親族、同僚、同級生から結婚式の招待状も貰ったことがないし、行ったこともない(これから仲人なんかに呼ばれることも絶対にない)。
年賀状出しても、ほとんどは返ってこない。
だれからも話しかけられない。
だれからも電話がかからない。
たぶん、死んだと思われているかもしれない…( ^∀^)ゲラゲラ
たまにお祝いを言おうと知り合いに電話をしても、ワシと分かると、
まるで勝手口で蛇蝎にでもでくわしたように、急に「時間がない」「またにして」といわれ…あっという間に切られる。
誓ってワシは犯罪者ではないのだが(それと同等に思われているのかもしれないが(笑))…。
凡人のオッサンは望まなくても、
知らぬうちに、人生をほとんど降ろされてるし、相手(社会・家族含)に(必要と)されなくなる……
(たぶんに、世の中には、「何の得にもならないオッサンとは関わらないに限る」という教訓が徹底されていると思う。「かならず君を必要としている人間がいる」なんて嘘八百である。
まして、オッサンになって、(中島さんのように)身内からも他人からも苦しくなるほど愛されるなんて(愛を要求される)ことは絶対にありえな~い。
たいがいの凡庸なオッサンは、バカ、クサイ、気持ち悪い、汚いと、
みんなから毛嫌いされて
老いて朽ち果てて死ぬ。
それが孤独と言えば、孤独で
悲惨と言えば、悲惨なんだけど…
個人的には、そういう過程が、凡人がオッサンになるということ……オッサンという意味なんじゃないかと思っている。

なんどもいうけど、ワシは自分でたいそうな決意して降りているのではないし、
これで良いとも思っていない。
まだ若いんだと思って、スタイルなんか気にして、むやみに走ったり……
ボンビーなくせにクルマや服にカネかけたり……して、
いっそう見苦しい……オッサンになってる。

結局、無いものねだりのよくばりなのかな~
無能力なのに嫉妬心と独占欲だけの男=オッサン。

寛平ちゃんじゃないけど
「いくつになっても甘えん坊!」かぁ~( ^∀^)ゲラゲラ

中島義道「人生を〈 半分〉降りる」
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by qsso | 2008-02-17 19:01 | つれづれ | Comments(1)
Commented by tina at 2008-05-11 02:21 x
わらかしてもらいました。
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