バッシング

中島義道の「ひとを〈嫌う〉ということ」という本を読んだ。
中島さんによると「ひとを〈嫌う〉ということ」は
理不尽で、不条理なものである。
「太っているから嫌いとも、痩せているから嫌いとも言い、卑屈だから嫌いとも、尊大だから嫌いとも言い、貧乏くさいから嫌いとも、成り金的だから嫌いとも言う……」(p.68)
たしかに。
理屈なんかあってない。
なんでも嫌いの原因、理由になりうる。
嫌いになってしまえば、あのしゃべり方、あの歩き方、あの口の利き方、あの上唇、あの短い指、…身体、学歴、家柄、……存在そのもの
嫌いになった理由や原因が縷々述べられるが、
すべての原因と理由は、「嫌いになった」……その一事に尽きる…と中島は言う。
嫌いになってしまってから、さももっともらしい原因や合理的な理由が作られ続けるだけのこと。
〈嫌い〉だから〈嫌い〉。
それだけ。
中島は、これが
〈好き〉、つまり〈好き〉だから〈好き〉ということだったら
誰も文句を言わないのに、
人を〈嫌う〉ときだけ、ことさら自己正当化のような理由をみんなが紡ぎ出したがるのはなぜか?論じている。
そういえば、
バッシングも、誰か特定の人物をみんなして〈嫌う〉。
(時には非人道的とも思えるような)批難と一緒に、かならずと言っていいほど、道徳主義的理由…(秩序や礼節、社会、国家、品格、本人……のためという理屈)が並べられる(「正しいことのために私はやってるんだ」という論理…しかも、正しいことのためには、何をやっても許されると思ってるところがある…)。
先にも言ったように、中島によれば、ひとを〈好き〉ということも、〈嫌う〉ということも、まったく理不尽(自分の身勝手)なことである。
ただし、人を〈嫌う〉ということは、〈好き〉と違って「不快な感情」である。〈嫌う〉理由が述べられる時、人には「その不快感から解放されたい。こういう企みがある」(p.67)と指摘する。
「相手が好きであることに不安がなければ、他人の承認はどうでも良くなる。ただの呟きであり、ただ言いたいから言っているだけなのです。…
…しかし、〈嫌い〉の場合は「よくわかる」という態度ではいけない。正面から同意してもらいたい。立ち入って、親身になって同意してもらいたいのです。」(p.71)
「いつでも嫌う人はほかの人にその賛同を求めようとする。わかってもらおうとする。」(p.69)

要するに、自分がひとを〈嫌う〉ときの不快な罪責感(身勝手さ)を、「ほかの人にその賛同を求め、わかってもらう」ことで「自分は正しかったのだと思い、自責の念から解放される」(p.69)とでも思い込もうとしているかのようである(バッシングをやってるひとが道徳主義的理屈を提示しているにもかかわらず、まったく道徳的に見えないのもそのせいかもしれない)。
なあるほど、
そうなふうに考えれば、
あんなネット憲兵隊のようなバッシングがなんで続くのか……
なんとなくわかったような気もしないではない……
が…
うーん、しかし、どうみても、あの執拗さは、それだけじゃないような…
…気もする。
中島は、言わなかったが、
嫌いになったひとを批判、否定、バッシングすることは、それ自体楽しく嬉しく、気持ちいいからじゃないだろうか?
それがきっかけとなった言葉や行動は、すでにどうでも良くて
人を嫌うこと、バッシング自体が、楽しい(こういう人たちにとってみれば、たとえば亀田バッシングなら、ボクシングなんか見てるより、バッシングの方がずっーと楽しい。)
それはたぶんイジメが楽しいのと同質であるような気がする。

それにしても
ふだん電車の中や街中で見かける若者は、
道徳の欠片もないような者を見つけることも少なくないのに(大人にはいないということではない)、
(ていうか、むしろ、若者って、ファッションでも、なんでも、そういったものからずれるような格好(嗜好)をしたがるものだという気がする…)
ネット上の炎上バッシングとなると、なぜか道徳主義的批判(品格路線的)を展開する…これは不思議というより異様な光景である。

「同じ若者がやってない」というかもしれないが、
どう考えても、若者の大多数が、ふだんから、他人に教訓を垂れるような道徳主義者には見えない。
それならば、
「ネット上で道徳的にバッシングしている大多数は若者ではない」かもしれない。
この点は、大いにありうる。
オッサン、オバハンの道徳主義的繰り言。
道徳主義は、一種のサディズム(倒錯)であり、
習慣化した快楽だから……
悪罵を投げつけ、道徳主義的言辞を吐く
バッシングは楽しいのである。
その点は、オッサン、オバハン予備軍の若者にとってもおなじかもしれない

彼らにとって
「バッシングが面白いからやってます」
というのはタブーになる…
じぶんたちのうちに秘めた楽しさ、嬉しさ、面白さ、快楽が増せば増すほどそれを隠蔽するための……
誇大な(社会のため、その人のため、品がない、バカ…)道徳主義的批難(言辞)が必要になる……

かどうかは、読者諸賢の想像にオマケ(´∀)ゲラ(´∀`)ゲラ(∀`)


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by qsso | 2008-03-03 19:40 | つれづれ | Comments(1)
Commented by cb at 2009-07-22 14:16 x
道徳や指導という名の快楽暴力なのですね。
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