ムダな公共事業

朝からテレビを捻れば、
相も変わらず
無駄な公共事業、税金で贅沢三昧!……etcと
なんやかんや喧しい。
特に大阪は……大変だ。
ムダだ!ムダだ!の大合唱!
いやはや…。
ワシがみるに、ムダだ!ムダだ!と言ってる人たちのほとんどは、自分を基準にして、ムダだと言ってるように見える。
イナカの高速道路は都会の人には関係ないだろうし、
大阪府の贅沢な児童館は大阪府民でないひとや子供の居ない(あるいは子供がすでに大きくなった)人には関係がない。
そんなものムダでしかない。
たしかに。
しかし自分「だけ」を基準にしてムダを徹底すると、もっとムダなものがいっぱいあるはずである。
たとえば、ワシ「だけ」を基準にして考えてみると、
テレビムダ。法律ムダ。婚姻制度ムダ。税金ムダ。国会議事堂ムダ。政治家ムダ。教育ムダ。芸能界ムダ。道徳ムダ。音楽ムダ。学問ムダ。コミュニケーションムダ。牢屋ムダ。戦争ムダ。国家ムダ。他人ムダ。社会ムダ。……ムダ!ムダ!ムダ!…以下無限…世の中のたいがいのものはムダである(ワシに似ているのが死期間近のじいさん)。
もちろん、これはワシを基準にした場合で、
世の中には、それを必要とするひとが沢山いるから…そんなもんが存在するんだろうし……
(もちろんはワシは奴隷なみに謙虚なので、それを尊重しているが( ^∀^)ゲラゲラ))
「そんなもんには客観的基準みたいなものが世の中にあるんじゃないか?」
というひとがいるかもしれない。
たしかに。
民主主義の世の中だったら、多数派の意見を、だいたいの基準にしていると思う。
そういった声は、ひとまず尊重しなくてはいけないと言われている(先のイナカの高速道路やハコモノ事業をムダだといってるひとたちが、自分の意見に一定の客観性があると思い込んでいるのは、この点であろう)。
いくら人権が大事だ、マイノリティー擁護だ!と言っても、タクマ君やアサハラ、ヒットラー(革命(ハゲ)オタ)のような少数派の意見や行為を尊重して良い訳がない。
客観(世の中)的基準がないと確かに困るかも。
ただ、その世の中の客観的基準でムダを徹底すると、
なんといってもワシみたいなバカオヤジが世の中の一番のムダだという気がする……
ので困ったものである( ^∀^)ゲラゲラ
だから、ワシは、なんとなくムダが好きなのである……


すさまじきものにして見る人もなきブログ! : 年金問題に答える ~これで老後も安心だ!
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by qsso | 2008-03-09 09:36 | つれづれ | Comments(0)
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