給食費が払えない

暮らし・給食費不払い 行政は厳しい措置を

ワシも他人事ではない。
ワシ自身、PTA会費も給食費もろくに払ってなかったから。

「また忘れたのか?」
というセンコーに
「忘れたっじゃなかとです、カネがなかとです」
と何度言っても、さすがに「もはや戦後ではない」昭和45~54年代、信じてくれなかった。
それ以来、「忘れました」というようにしたら……
フシギにスルーしてくれるようになった。
下の兄弟3人にも、そうするように言った。

ドイナカで赤貧で育ったワシ。
当時、すでに
給食まずい
ほうれん草きらい
……
っていうクラスメイトもたくさんいたが……
ワシは、家でろくなものを口にできなかったから
給食が旨かった。
なんといっても、きちんと一人前にしてあるのが嬉しかった。
家のように弟や妹のために我慢して残す必要がない…。

逆に給食が無い日は悲惨だった。
遠足とか……とうぜん弁当を持って行けない。
貧乏以前に、そもそもそれを作ってくれる母親すらいないのだから。

引っ越した先の中学には給食がなくて、
さすがに、くる日もくる日も、愛情の一杯の近代的な弁当が匂い立つ教室には、いたたまれず
しかたなく、ひとりで裏の階段に行って、カネがある日は、味気ない菓子パンを囓っていたが、
やがて、なんとなく、学校に行かなくなった。


「給食が好きな人?」
と訊かれて、
ワシ一人だけ手を上げて、注目を浴びたのが恥ずかしかった。
ほかのものどもは手を上げたら貧乏たらしいと思っていたのかもしれない…
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by qsso | 2008-03-14 18:29 | つれづれ | Comments(0)
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