言語と意識(中島と永井の場合)

・言語

「なぜそれ自体としてあるもの」が「無」という名の無と重なり合うのか? ここに、他者のあり方の秘密のすべてが隠されています。しかも、その秘密は存在論的秘密(?)ではなく、むしろ純粋に言葉の秘密なのです。私が言語を学ぶとは、自分と他者との溝を越えること、その無という溝を無視することだと言うことを思い起こしてください。サルトルの言うように、無は人間存在の「うち」に故郷をもつのではなく、無は人間存在が他者との差異性を抹消して言語を学ぶところに故郷をもつのです。いったん言語を習得してしまえば、こうした差異性は見えなくなる。しかし、じつは至るところで口を開けている。他人の苦悩や他人の死に遭遇することによって、私はその溝に気づき、足を止めるのですが、いざそれを語ろうと試みるや、どうしても語れない。」中島(135頁)

「われわれが言語を習得するとは、すなわち自分と他人との差異性を消去する世界(ラカンの言う「象徴界」)に生きることなのです。言語を学んでしまったとき、私は私固有の体験ですら「大文字の他者」である公共の言語を使って表現するしかないのであり、これを逆に言えば、私の体験だけを記述しうるような「私的言語」はありえないのです。
 だから、類推説はすべて逆転されなければならない。言語習得以前のナマの体験などありません。むしろ、われわれは言語を習得することによってはじめて、それによっては表現できないナマの体験があることに気づくのです。言語を習得しているわれわれは、そのかぎり自他の区別のない言語世界(象徴界)に生きている。そして、そうした自他の区別のない世界に生きているただなかで、各人は言語以前の自分固有の体験を発見し、同時にその対極に他人固有の体験を発見するのです。
 例えば、「食べる」という記述の場合、私は自分が食べる場合、そのつど異なった食べ方であるにもかかわらず、ヴィトゲンシュタインの言葉を使えば)「家族的類似性」をもつ行為として同じ「食べる」という言葉を使いますが、他人が食べる場合でも自分が食べる場合と「家族的類似性」をもつ行為として、ごく自然に同じ「食べる」という言葉を使うことができるのです。
 言いかえれば、もしわれわれが言語を学ばなければ、誰も(動物のように、幼児のように)自分固有の体験を発見できず、同時に、他人固有の体験も発見できないにちがいない。」中島(70頁)

「…言葉の習得とともにすでに自分と他人との差異性を消去する機能が作動してしまう。自分と他人とが「無」という名の同一の何かを体験していると思い込んでしまうのです。
……
……われわれが言語を習得したとたんに、言葉自身が有する同一性への要求(強制)を確認しておくと、私が「痛い」という言葉を習得するとは、多様な刺激に対して同一の「痛い」という言葉を適用することであり(「痛い」という言葉を学んだものはごく自然に「心の痛み」にまで至る)、同時に「私にとってだけの痛み」を放棄することであり、言いかえれば、自分の痛みを他人の痛みと同じ「痛い」という言葉で表現できるものとして理解することであり、この意味で自分と他人との差異性を消し去ることを学ぶことなのです。そして、まさにこうした強引な他人の痛みへの越境を遂行することによって、逆方向において私はこうした同一性には解消されない自分固有の痛みを知るようになる。自分の痛みと他人の痛みとのあいだに開かれる絶対的差異性を自覚するようになる。何しろ眼前の他人がどんなに「痛い!」と叫んでいても、その「痛い」という言葉の意味を理解しながら、私はまったく痛くないのですから。しかし、このことをあらためて言語によって表現しようとしても、それができないのを自覚するのです。「ぼくのこの固有の痛み」という同じ言葉をもって表現できる同一な何かになってしまう。
…言語を持って語ろうとするかぎり、私は私と他人との共通の磁場に引き寄せられてしまい、自分固有の領域を確保することはできなくなるのです。
 しかも、ここに重要なことは、私は自分の体験ではなく、他人の体験を基準にしてそれぞれの言葉を学ぶということです。ラカン的に言えば、私は鏡に映った頭部のある像を通じて、すなわち他人の視線を通じて、私の身体の同一性を学ぶのです。……
…私は他人に対しても私と同様に他人の身体との絶対的差異性を越境して、自分の身体を「私の身体」と語ることを要求する。そこには、恐ろしいほどの差異性が口を開けているのに、あたかもそれが見えないかのように同一の「身体」という言葉を適用する。このことに躓かない者だけが言語を習得することができるのです。」中島(95頁)
「言葉を習得するとは、第一に私の観点からでなく、他者の視点から見ること、記述することを学ぶこと、すなわち私の視点を無理やり(不特定の)他人の視点に合わせていくことです。」中島(97頁)


「神が私において想起する」中島(105頁)

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「ウィトゲンシュタインという哲学者は「私的言語」というものが可能か否かを論じて、不可能であるという結論を出したのですが、あの議論ははっきりと誤りで、私的言語が可能でなければ言語は不可能です。私的言語の可能性が言語にとって不可欠なものに転じることによって言語は成立するのですが、ただそうであるということを通常の公的言語で語ろうとすると、そのこと自体は公的言語の意味の働き方に乗らなければ語れないので、言わんとすることが言えない──言わんとしていることとは別の「正しい」ことが言われてしまう──ということが起こるのです。」永井(36頁)

「私が「私には他の誰にもない何かがある。私の私的経験には最も重要な意味で隣人というものがいない。それどころか、私だけ表裏が逆になっている」と言ったとしましょう。今度の相手はこう答えます。「その通りだ! 確かに、私には他の誰にもない何かがある。私の私的経験には最も重要な意味で隣人というものがいない。それどころか、私だけ表裏が逆になっている!」と。わたしはこう応答するでしょう。「違います。他の誰にもない何かがあると言わざるをえないのは私です。その私的経験に最も重要な意味で隣人というものがいないのは私です。表裏が逆なのは私です。あなたではありません」。私は、そもそも二人が同じことを言っているということ自体を認めないのです。
………問題の本質は、この「私」のような応答の見地に立つかぎり、およそ言語が成立しない、ということにあるのです。しかも、その言語を成立させない見地にも、十分な合理性があるのです。世界は事実そのようにできているからです。……出発点は、「世界は、事実として、なぜか、私の目からしか見えない」でもよければ、「身体を殴られると本当に痛いのは私の身体だけだ」でもいいし、「自由に動かせる体はこれだけだ」でもいいのです。これは、疑う余地のない、端的な事実です。あたりまえでしょう? だって、その否認こそが最初の発言の趣旨だったわけですから。」永井(119頁)

「言語とは、世界を人称的かつ時制的に把握する力なんですね。そのことによって、客観的世界というものがはじめて成立する。」永井(109頁)


・意識

「意識は「私」をほかのもろもろのものと同じく世界の内に構成するのであり、言い換えれば「私」は意識の活動にはじめから伴っているものではなく、意識によって構成されるものなのです。」中島(111頁)


「脳が意識を生みだしているにしても、その脳をどんなによく観察しても、その脳がやっている仕事は決して見えません。世の中の他のあらゆるものは、それをよくよく観察すれば、それが宿しているものや、それがやっている仕事が次第に明らかになってくるのに、ここにはそのような普通のつながりがまったくないのです。胃のやっている仕事は胃をよく観察すればわかるのに、脳がしている仕事は、そういうやり方では決してわかりません。脳がしている仕事を見るには、脳を観察しないで、脳自身に注意を向けないで、むしろ世界を見なければならない。」永井(7頁)

「感じられる「痛み」や「酸っぱさ」や「不安」や「憂鬱」は、感覚的・実質的要素こそが本質的な役割を演じており、見られる「家」や「空」や「酸っぱい顔」や「他人の脳」の場合は、逆に知覚的・機能的要素が本質的であって、感覚的・実質的要素は(もちろん存在するでしょうけど)本質的な役割を演じていない…」永井(28頁)

「意識とは、言語を初発に裏切るこのものの名であり、にもかかわらず同時に、別の意味では、まさにその裏切りによって作られるとうのものの名でもあるのです。」永井(40頁)


とにかく意識は、石ころや木片のように実在するのではない。
それこそがほんとうの問題……
逆転の逆転の逆転の…走り出す…累進構造…

「一般的なゾンビの想定が可能になることによって、一般的な「意識」もまた成立します。」永井(84頁)


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永井均「なぜ意識は実在しないのか」

中島義道「「死」を哲学する」
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by qsso | 2008-06-07 08:25 | 哲学ノート | Comments(0)
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