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生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

福岡 伸一/講談社

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科学(分子生物学)を
犯人 被害者 殺人計画… 
ミステリーの倒叙ものタッチで描く…
スリルと興奮

背景描写がロードムービーみたいに再生したり、巻き戻したり、早送りしたり、また戻ったり、スローモーション
視覚的に訴えかける文体がすごい
まるで現場からルポルタージュしてるような ジャーナリスティック

科学の本というよりミステリー
文字通り「あいだ」における人々のストーリー。

社会人 科学には 興味あるけど 難しいことはわかんない ひと向け
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本人は知らないかもしれないが、けっきょくこの本
従来の「意識の哲学」(心理学(カントやフッセルなど))とほぼ同じことを、
ちょっとだけ他の知見を交えて解説しているだけ
なにも新しくない
その部分を小人(ホムンクルス)に丸投げしてるだけ
意識作用(ノエシス/ノエマ)、超越論的統覚などの道具立てを
ニューラルネットワークや脳・コンピュータや受動的云々で、言い換えたにすぎない
たんなる言い換え

けっきょく この本 input -心- output (心理学)図式でしかないなら
「心」の定義は、もっとシンプルに…
「心」を機械(唯物論)でフォーマットしたうえで、
ロボットと人間、ゾンビとロボットの違いをみればいいだけなのに、
そうなると「意識」なんか実在しなくてもよくなるから、
そこは書かなかったかもしれないけど…(笑)
へんなこだわりがなきゃ(笑) ぜんぜん機械論モデルでもまるっとおkだしねぇ
まあ、そういう本なんだけど…

とにかく「心」なんかなくたって、前野さんの受動性云々でへっちゃらだというところだけはよくわかった。
「一度、コンピュータである脳に情報が運ばれて、そこで「赤い」とか「リンゴ」とかいった特徴が計算されて、やっと特徴が特徴として認識されるのだ」(58頁)
コンピュータだったら
「赤い」とか「リンゴ」とかの情報データを最後に認識(「赤い」とか「リンゴ」とかの意味付与)しているのはコンピュータではなく、人間だよネェ
あくまでコンピュータは、「赤い」とか「リンゴ」とかの(データを)映画を上映(計算)してるだけ
それを「赤い」とか「リンゴ」とかに読みとっているのは、外部にいる人間

パソコンには椅子に座ってるわしがいるからいいけど、脳にはそれが見あたらないってハナシが原点でしょ
それを小人だ ニューラルネットワークだ といいかえたところで堂々巡りでしょう

だからすぱっと前半の「心」図式の解説をやめればよかった 「心」は余計
(p.208)の input -black box- output のブラックボックスをとっちゃってin-outをつなげればよかった
人間とは前野さんの受動的云々で外界に対して「機械」的(ちょいとやっかいな機械だけど)に反応しているだけの存在
自我は幻想…前野さんの主張はそこじゃないの?
生態・環境 個体差 などによって引き起こされた物理的な差異であって、それはけっして私-心の神秘的な(魂)差異ではない
つまり、わたしたちは与えられたニッチのなかで受動的に反応するコンピュータに従っているだけのロボットなんです
心と呼んでいるものは、受動反応から生まれる錯覚
こうして、心は止揚され、この世から蒸発した
「心の謎が解けた!」のではなく この世から無くなった
そういうことでおk?
「「心」は存在しない」とか「「心」という蒙昧」みたいな題名だったらよかった…

「なぜわれわれはゾンビなのか」永井均 : すさまじきものにして見る人もなきブログ!



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中野剛志「国力とは何か」 : すさまじきものにして見る人もなきブログ!

国力とは何か―経済ナショナリズムの理論と政策 (講談社現代新書)

中野 剛志/講談社

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「この社会契約論的な国家理論は、歴史的にも、理論的にも間違っている、実際には、近代的個人が国家を作り出すのではなく、その反対に、国家(ステイト)が近代的個人を作り出したのである」(96頁)中野剛志

後段はわかるけど、前段はおかしい。
国家成立してはじめて個人を作っているのなら、
個人が国家を作ることは不可能である…
この手の教科書的には、そうではなく、国家を作ったのは人民 people ということだろ
(ここでは「人びと」でもいいが、人民とする 要するに単なるヒトだ)
人民が初めて国家を設立して法(文)を作り、その文(法)に従うのが国民じゃないの?
その国民も国家と癒着してしまうと、全体主義になるから個人というものが尊重され
パブリック(公的空間)というものが設定されるわけでしょう?ちがう?
もちろん、なぜ人民に最初から「主権(権利でもいい)」のようなものが付与されているかは、そうでないとなんでもないヒト=人民が国家を設立できないからで、この理論の論理的な要請にすぎないフィクションである。
そのフィクションを拒否したままでは、民主主義の理論なるものはいつまでたってもはじまらない(笑)
そもそも民主主義の理論(社会契約論など)は状況理論ではなく、規範理論であろう
現実がどうであったとか、歴史的にどうであったとかまったく関係ないとはいわないけれど
状況や歴史がどうであった、現実にはこうであったが…
むしろ、そうであるがゆえにこうでなければならぬというのが規範
またその「論理」でしょう
ほにゃらら…であるから、ほにゃらら…すべしという規範は導けない
この手の民主主義理論について 「歴史的に違う」 「現実はこうだ!」というひとは多いけれど
いってることは「赤信号、みんなで渡れば怖くない」みたいなもんと大差ない

論理的にものを考える : すさまじきものにして見る人もなきブログ!
ところで、論理的に考える……というのは、どういうことか知っているだろうか?
その点について、
哲学者の永井均さんの、次の例は大変に分かり易い。
(1)「人間は動物ではない  
  犬は人間である
  それゆえ、犬は動物ではない」
(2)「魚は水中を泳ぐ
  マグロは水中を泳ぐ
  それゆえ、マグロは魚である」
(「翔太と猫のインサイトの夏休み」(158-161頁))

さあてこの二つの推論のどちらが「論理的」に正しい推論かわかるだろうか?
………
(1)である。
なぜか?
(1)は、「すべてのBはCではない
 すべてのAはBである
 それゆえ、すべてのAはCではない」
となってるが、(2)は、そうではない「非論理的で、正しくない推論」である。
論理的に考えるというのは、「正しい」前提から「正しい」結果を得ることに尽きる。
そこらへんを永井は次のように言っている。
「論理的な正しさってのはね、前提や結論の事実的正しさとは関係ないんだよ。二つの前提がもし正しいとしたら、結論もどうしても正しくなくちゃいけないっていえるかどうか、これがポイントなんだ」
by 鉄鼠 | 2005-10-04 07:13 |

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国力とは何か―経済ナショナリズムの理論と政策 (講談社現代新書)

中野 剛志/講談社

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それは中野さんぐらいエライ人が考えればええこと わしら庶民が知っても考えても、なにをどうしようもない

「ナショナリズム」をタブー視(否定)するイデオロギー
そういう風潮があったことは認めるけれども、
ナショナリズムはナショナルやネイションが国家・国民だとすると
平べったく訳しても国民主義、国家主義にしかならないよねぇ
しかし、この国の主に左の人たちだって、国家、国民まで否定しているわけではないし、
国家も国民もいらない言ってる人たちは、そのごく一部だと思う
ナショナリストの反対はコミュニストでもソーシャリストでもはたまたリベラルでもなんでもなくてアナーキスト
だから日本のほとんどのひとたちはナショナリストじゃないかなぁ
それ以上の意味はないと思うよ…続くかも

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本を読むのは嫌いじゃないけど
本に対する特別な思い入れなどない。
幼少のころは…もっぱら
プロ野球選手やバイクレーサーに憧れをもったが、
アイドルや芸能人、小説家、モノカキふきんのインテリ系のひとたちには…まったく憧れた記憶はない
もともとぼくは粗野で品がないので、その方向にはまったく興味がない

たしかに、ぼくは哲学思想を問わず、他人の考え方に興味をもつほうなので…
面白い考え方や世界観をもった優れた小説家にも、一定の興味がある
が、それもこれも、根本的には自分の考え方のためであって…
自分が納得できる考え方に到達できれば、それでいいのである…
(もちろん他人にも共感をもってもらいたいという淡い期待もないことはないが、それはまったく大事じゃない。ぼくは考えること自体が娯楽なので…パズルやゲームのように自分がそのときおもしろければ…それでじゅうぶん)

そういう意味で気になる作家の小説指南本、あるいは小説家論を何冊か読んだことがある…
が、どの本もいわんとするところは…
ちょうど、ぼくとは真逆の考え、小説家は読者のために苦労して書いているということ。
ぼくはぎゃくに自分のためだけに書き、自己本位で自分のストレス発散のため言いたいことだけを書く。
ゲームやってるのと同じである。つまんなくなったら書かないだけである。
小説を読んでいられるのは、その先になにが待っているか分からないからで(それはゲームや映画も同じ)、
それを書くということは、ちょうどそれと逆のことになるわけだから、
どうなるか知っていながら、それを何千行も書き連ねるという行為になるわけで、
そんなつまんないこと 凡人のぼくからしたらとても耐えられそうにない。
才能がないと言ってしまえば、それまでだが、
まー要するに、言いたいことは言いたいが、他人にじぶんの拵えごとを物語りたいつよい衝動や欲望というものが、からきしない。
むしろ、ぼくには趣味の時間も他人(読者)のために捧げられる余裕のある人が、はっきりいって信じられない、
そこらへんは、ぼくが根本的に育ちが悪く、貧乏くさい性格だから…しょうがないねぇ
社会的な attributes は attitude
これ大事ネェ

ギリシア人の「観(見)る優位」は有名である…テオーリア
コロッセオで、だれが一番楽しい(優位な)のか?
プレーヤー?観客?、それとも主催者(為政者・商売人)?
答えは「観客」(左近司祥子「哲学するネコ」)
ドレイ同士の阿鼻叫喚の死闘を見て楽しんでいた貴族市民なら当たり前である
当時は、だれも死闘を繰り広げるプレーヤー(ドレイ)になりたいとは思わなかったにちがいない
西洋文明はこの「見る優位体制」でできあがっているといっても過言ではない
「見る優位体制」は貴族の体制である。

「見る優位」が、いつしか「考える優位」にとって代わられ、
目の前が神の名前で屍累々になっても、なんにも感じない人々を生み出し続けて
「見ること」の本質も失われてきたのが…近現代であり
「考える優位体制」にも、また「見る優位体制」にも深い疑いの目をもつのが
現代のわたしたちである

この観点からいけば、読者はどちらになるだろうか?
読者は、単なる観客、「見る人」ではないだろう…
読者は作者の提供する世界に参加して
はじめて読者となる
それはゲームでいえばプレーヤーである
たしかに仕掛けは作者のものであるが
プレーはプレーヤーのものである
プレーヤーはじぶんなりのプレーを通して作品を楽しむ
読者も作品の中の誇り高い登場人物(プレーヤー)のひとりなのである…
こうしてプレーヤーも、もうひとりの「見る人」であったことに気づく…

おもしろい小説の読後感に、
「こんな小説が書けたらいいなあ~」とたしかに思うことが
誰だってちょっとはあるけれど…
だからって書き出す人は、さすがに少数派…
本書は、その方面には、なんにも興味がないぼくのようなものでも
おもしろくすらすら読める。
(ていうかは栗林さんの文体は、こっち方面に魅力があるように思えた)
とくに作品論的な面(ハードボイルドとエロ方面)はおもしろく、非常に啓発された。
もうちょっとそっち方面を掘り下げてほしかったなぁ~ていうか、
そういう方面で、ぜひ一冊ものしてほしい…

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(はじめに断わってくおくと、私は書評レベルのものを書ける能力はございません。いままでにも、書いたつもりもありません。)

五十代にして、自分の人生(過去の自分)を爆破しちゃったおっさんの物語(バイオグラフィー)
過去の自分へのレクイエムのような作品

もし夜… 寝ている時、
神様が一度だけ
「斎藤工とおまえの心を入れ替えてあげる?」
と言われたら どうする?
斎藤工の肉体的容姿にワシの心をもったオトコ

どんなにみじめでも
ニセの人生を生きるよりはマシ
だと思うだろうか?

主人公は、
うつ病から会社をドロップアウト
不運続きの悲劇のヒロインのように思っていたが…
そのどん底によってぺリアゴーケー
うつ病を克服、本当の自分の人生、または家族を見いだしていく再生・覚醒譚 洞窟のイドラ タウマゼイン
病気になったのもドロップアウトしたのも不運ではなくて
むしろ必要だった…「したかったのだ」と。
まるで amor fati…
必然をもって徳と為す

そんなことをいっても
一般的にはアラカンフリーターは、
幸福とは言えない、
人がうらやむようなもんじゃないだろうが!
という御貴兄もいらっしゃるでしょう…
たしかに…
しかし主人公は、もう同年代の社会的に立派で幸福な人を
否定したり羨んだりしないし、反感すら抱かない
むしろ、彼等の社会(会社)的価値観を受け入れ、
感謝すらできる
主人公である彼は自分の運命を受け入れる
彼は彼なりの真実らしきものを見つけ、
消極的な暗い(ニセの)ニヒリズムを克服したのだ
いや、否定したり羨んだりしないし、反感すら抱かない
むしろ、彼等の社会(会社)的価値観を受け入れ、
感謝すらできる
事によってしか、この復讐(ルサンチマン)は完成しない

そのさきになにがあるのか
「明るいニヒリズム」(中島義道)がある

上記ようなことは、小説には、まったく書いてないが
そういう小説である…というのが私の報告である(笑)

内容については、他のレビューを参考にしてほしい

蛇足の蛇足
小説は三人称だが、著者が自分の過去と真摯に向き合うために淡々と書かれたものだけに、
多少エンタメ要素が不足しているのは、しょうがないのかもしれないが…
自分あてのバラバラの手紙のような形式で書かれてたら、もっとアテンションの高いものになっていたような気がする
それを読者が繋ぎ合わせて、読者なりの解釈を許すような工夫がされてもよかった。

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OUT(アウト)

桐野 夏生/講談社

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映画「大脱走」 を思い出した

テーヘンのパートタイマーたちが、
夫を殺害し、バラバラ…にして
絶望的な日常から大脱走(エクザイル)するドラマ。

日常という牢獄(現実には夫の身体なのだが)を膾(なます)のように切り刻む
人生、女というメイズランナーたち
「何も欲しないよりは、むしろ空無を欲す」(ニーチェ)
日常という方円の器に従って「動物(末人)的」に生きる
それでいて、日常の確信と疑問は、いつも表裏一体
足下の深淵を覗き込んでいると深淵が逆に覗き込んでいる(ニーチェ)
たぶん、それは現代人の宿命…
このままこの疑問に疲れていったら、
いつかは世の中という深淵にどろりと崩れ落ちて、
この流れから引き返す力はなくなってしまうだろう
しかし、いったんこの流れから引き返(OUT)したら…
日常、社会、パートタイマー、家族(夫、子供…)…
もう二度と元に戻ることはできない…

浴室で繰り広げられた、彼女たちの数々の宴は、凄惨というよりは、
むしろ祝祭の空間のように、どこか癒しに満ちてる…

ストーリーはエンタメサスペンス 飽きさせない展開。
…350頁あたりからのラストはすばらしいリズム、流れ
どのキャラも秀逸。
後半からは…
S男(佐竹)がM子(雅子)を求める猟奇的ファムファタルとしても楽しめる

脱出ものなので、やっぱり洞窟のイドラ的終わり方

脱出(OUT)しても、そこからまた脱出したくなる
空無を脱しても またそこに空無が…
空無世界には、終わりがない
…深淵のウロボロス

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黒猫館の殺人〈新装改訂版〉 (講談社文庫)

綾辻 行人/講談社

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ガキの頃、推理ものにドハマりしたクチで、横溝正史をはじめ、森村、松本、乱歩、アガサなどなど
朝から晩まで読んでた。
その反動からか、中学以来、推理物はぱったり読まなくなった。
登場人物のキャラ設定の雑さ、&魅力の無さ
ストーリーそっちのけの後出しじゃんけん同一人物、トリック&なぞとき記述…
結果的に陳腐な動機、貧弱な犯人キャラの人間味
ジュブナイル
つまんない
こころが熱くならない
シチュエーションとガジェットだけで、読者は喜ぶのか
さいごに水戸黄門が印篭みせてハハーッとするだけの小説…
そんな感じで、ながらく敬遠していました…
が、齢50もなかば、童心に帰って、たまには推理物でも…
と思っていると…不思議なことに本棚にありました。

綾辻さんの作品、
はじめて読みました。

すらすら読めました。
わかりやすいのはよかったのですが
意外性もゼロでした。

単調なストーリー展開
相変わらず動きのない謎解きキャラたち
多少、お色気&エンターテイメント風のアクション期待してましたが…

あんまりつまんないので途中で管理人のキャラを改作しながら読みました。
やっぱロリコン設定なら…音楽でしょうってことで…
管理人を人気絶頂時に姿を消した、歌手の平井堅さん似の伝説のソウルシンガーにしました。
真夜中の黒猫館に「おじいさんの入れ歯」が
おじいさんと一緒にカチカチカチカチ鳴り響く…
百年休まずカチカチカチカチ…でも…もう腐ってる
時は流れ、黒猫館では…ホラー映画お馴染みの若者たちによる
淫らな宴が催され…
若者たちに無理強いされたケロイド顔の管理人(彼)の歌に…霊導される若者たち…
その夜…事件は起こってしまった…
つぎつぎと、殺されていく登場人物…
消されていく乱交ビデオ…
ラストは編集者と犯人とのハードボイルド大立ち回り
…失踪…
エンディングは…
真夜中、たったひとり彼は真っ暗な地下室で養女の前で歌っている
「魔法って言っていいかな?」が、流れる…

「猫「に」時間の流れる」(保坂和志)

とりあえず
また、十角館から読んでみるかなぁ

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橋爪大三郎「世界は宗教で動いている」

世界は宗教で動いてる (光文社新書)

橋爪 大三郎/光文社

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よくいわれることである
橋爪さんによれば キリスト教では
god→王・政治家→民
であるからだという
要するにジャーナリズムは王、政治家が、godの正しい道から外れていないか?
それを質すのがジャーナリズムということになる
じゃーあ、日本の天皇はどうなるんだろうなぁ
godというのであれば、ジャーナリズムは天皇擁護になるし、王・政治家というなら天皇批判となる
日本にgodはいない…日本のジャーナリズムはなにをリファーして政治家・天皇を批判してんだろう?…米製のgodか?
godのいない国日本でジャーナリズムの存在意義ってなんだろうねぇ??


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突然ですが、
あまりに本が増えまして…
いま積読本の整理をやってまして、
古い本からガンガン読んで処分しています

ふんで…
ひさしぶりにむかしの青春小説もいいかなぁっていう感じで読みました。
帯には「 80年代を代表する Bildungsroman!  」とエクスクラメーション入りだったけど
教養にロマンなんかあるわけない 教養にロマンを感じるのは団地妻だけ!
Sturm und Drang ロマン!の 間違いだろうと思った(笑)
疾風怒涛のハングオーバーロマン!
中二*セカイ系の妄想が…核弾頭になって 世界中に雨あられ…
fallout(死の灰)
そして…というふうに…
ブリーフのなかが精子でぼたぼたになるような…
…そんなフランダースの駄犬のような感動の名作です

あのころ、中二のみんなにおとずれた…ブリーフの中身を…
あますところなく♪にんじゃりばんばん♪(kpp)
…ブリーフの中身は、大いなる譫妄とともに
神をも恐れぬ勢いで肥大化し そしてついにそれは天空をも突き刺すバベルの塔になった
世界はこうして開かれたのであった…
そしてツァラは山巓に立って、こういった
「生めよ ふやせよ!」
山、切腹、オナニー、生首、女、ホモ、サムライ、母、…そんな"セカイのミシマ"が、
いざっ!つけまつける!つけまつげ!(kpp)
そんなレリホーラリホーな中二賛歌になってます…

♪ダ ダ ダ ダダ インベーダー
キミの街にも ぴーぽ ぴーぽぴぽ
ダ ダ ダ ダ インベーダー
おっしゃ Let's 世界征服(kpp 「インベーダーインベーダー」)

ってな感じで…
ぼくの感想など…糞の役に立たないので…
天才のみずみずしい文章をそのままコピペ…
「僕はオリジナルの死をつくろうと思う。僕は自分がエイズにかかったら、エリート・サラリーマンにつきまとって、感染を恐れる彼らに殺されたいし、核戦争が冗談でなく起こることになったら、東京に落とすのが一番だと街頭デモで呼びかけて、良識ある市民になぶり殺されたい。父や母は自分の死に方を考えているだろうか?。無様に生きることしか知らないのではないか。結局、お仕着せの死を阿保面して受け入れるのではないか。僕はそれを思うと両親が不憫に思えてなりませんでした。僕は人並みはずれた死に方をしますよ。三島由紀夫と同じように、しかし別のやり方で死者の隠喩になってやる。」(38頁)
「中学生になった僕はますます複雑に分裂していった。ドラマチックないいかたをすれば……阿久間一人という収まりの悪い名前にはめ込まれた時から僕の運命は、スターと浮浪者、指導者と隠遁者、天才と白痴といった緻密に歌い上げる…両極端の間を激しく往復することになっていた。」(42頁)
「僕は常に小説に巧妙なでっちあげを望んでいた。つまりリアルなお伽噺が好みとするところだった。主人公には教訓や道徳など演じてもらいたくなかった。自分の犯した罪に苦悩する人物より、苦悩を求めて罪を犯す人物の方が百倍魅力的だった。また業病を患ったとか貧しい家の生まれといったハンディを負った者が社会に抵抗もせず、ひたすら陽気に没落し続ける物語はないものかと思った。逆に容姿端麗、才知もお金もあり、生い立ちにまったくハンディのない、悩みのないのが唯一の悩みといった主人公が下手に道徳心を起こしたり、美しく没落してゆくのも気に入らなかった。「奢れる者は永遠なり」とばかりにひたすら超人的になってゆくことを望んだ。没落や成功の永久運動の涯に何があるのか僕は知りたかったのだ。現実は意外とそんなものらしいから。」(46頁)
「僕はその種の弱者になろうとしたわけではなかった。社会の庇護のもとにコンプレックスを武器にするのはあまりに常識的だ。それは弱者のふりをした侵略者のようなものだ。現代では弱者を別に存在する。例えば、何ひとつ苦労を知らずに育ち、気にかけるようなコンプレックスを持ち合わせておらず、何でも無難にこなすことのできる青年がいたとしよう。彼は誰からも羨まれるだろうが、それ以上に嫉妬され、煙たがられるはずだ。彼はせいぜい弱者面した連中のご機嫌をとって、時には故意にズッコケて見せなければ生きづらくなるにちがいない。能力をフルに生かせばたたかれる。手抜きすれば非難を浴びる。彼こそ現代の日本の隠れ弱者ではあるまいか?」(92頁)
「新聞研の部室には文芸部という名の喫煙クラブの連中もいて、一種の社交場になっていた。人数が集まれば、カードや人生ゲームに興じるのだった。大学受験を前にしての休憩というよりは老人ホームの寄り合いであった。」(104頁)
「手紙をもらって三日後に彼女は僕の前に姿をさらした。何という……暗闇と強い香気のなかでは大した美人になりそうな容姿なのだが、明るい所では細部の粗雑さが目につくのであった。」(109頁)
「ところで三島さんはご自分が最も戦後の日本人らしいとお考えになったことはありませんか? あなたは金のために書いたものも多いし、自ら肉体を張って商品になろうともなさいましたし……三島さんは御自分の本質を隠すために天皇や自衛隊をだしに使ったんだと僕は思っちゃいますね。だから尊敬しているんですけど」(136頁)

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きゃりーぱみゅぱみゅ/ワーナーミュージック・ジャパン

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