カテゴリ:つれづれ( 1055 )

文芸評論みたいにあるある論理に従って
自民党…政府、何々関係者のハナシとか…ほぼ妄想と願望をリードに
そして彼らのfactである映像を切り張りしてつないだだけのもので、
おおよそ報道といえるものじゃないような……ほぼアイコラ(笑)

ちなみに文芸評論と違うのは、評論は自分独自の論理であるが、
報道はある世間で公認された論理に従って
例えば、権力者=悪、自民党=悪、要するに世間で公認された悪…の(安全な批判)論理…
ま、そういう論理で帰納法を使ってまとめただけのもの

ま、そういうもんなのかもしれないけど…


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瀬名秀明さんの「ブレインヴァレー」という本の扉裏に引用されてた…
「私の言う「驚くべき仮説」とは、あなた──つまりあなたの喜怒哀楽や記憶や希望、自己意識と自由意志など──が無数の神経細胞の集まりと、それに連関する分子の働き以上のなにものでもないという仮説である。」──フランシス・クリック「DNAに魂はあるか」(中原秀臣訳)より
…なにも驚くべきことは言っていないと思うけど…
「喜怒哀楽や記憶や希望、自己意識と自由意志」という言葉(意味)や概念は外部(世界の側)にあって、内部には、その物質的な諸過程しかないというのはあたりまえ

今日からじっくり読んでいます…

BRAIN VALLEY〈上〉

瀬名 秀明/角川書店

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「與那覇潤さんがいうように「要するに戦後日本というのは、「反ナショナリズムが自由主義の代わりをしないといけない構造」だったから。左翼が反ナショナリズムを掲げるというというのが本来ヘンだったということはわかります、再分配を強化するにはナショナリズムが必要なのだから。」
ナショナリズムというか、その集団に、ある種の一体感がないことには、他者への(みんな一緒(平等)的な)適度な配慮なんてできるわけがない」
「レギュレーションにかなり問題があるために再競争が起こりにくい
それには、ちゃんとした理由がある。
日本人が上から下までリベラルな公正な競争より安全、安心、安定が一番だと思っているからである。
そこに高齢化社会が拍車をかけ…
とくに(稲葉振一郎さんの表現を借りるならば)勝ち逃げに走りたいヘタレ中流なんかが多数派だとしたら、そうだろう」

ふんじゃぁ「いまの日本-人にそういった一体感なるものがホントにあるのか?」
たとえば一部ネット民(自分の些細な価値観に合わないこと)による数々の炎上バッシング、医療亡国論、シルバーデモクラシーへの断絶、特にナマポ、貧困なんかへの執拗な批判…
萱野さんがいうように経済全体の「パイが小さくなっているからみんないらだっている」からというのも(要するに景気が悪いから)、そうかもしれないけれど…
やっぱ、むかしの隣組にあったような…小さなぁ伝統的な共同性みたいなもんは、いまはもう農村でも、すっかり衰退してるんじゃないかなぁ…少子化、町村学校統廃合、シャッター商店街…そういうもんは社会の学校(近代装置)化というなかで進行してきたんだよな
あるのはむしろさぁ「もうこんなやつを助けたくない」という「勝ち逃げに走りたいヘタレ中流」(稲葉振一郎)とかの…テーヘンへのずれ込み恐怖の方じゃないかなぁ…それが逆にテーヘン層への軽蔑や嫌悪差別感情になってるんじゃぁ
「もうじぶんがどうしたい?っていうことよりも、さきにネガティブな外的選好だけが発動されるみたいな……」

いまはもう、ガキの頃から住む場所、行く学校によってアパルトヘイトされてるわけだし、それって価値観からアパルトヘイトするわけだから、その人たちがおとなになってそれ以外の人たちの価値観-人間をアパルトヘイトするのはあたりまえだよネッ(こういうこというと、一部の学者さんたちは些末な例外を持ち出して認めたがらないけど…じっさいオメーらの出自階層がそうだからだろう(笑))
「じっさい日本はむか~しっからそういうところなんだし」。

戦後総中流社会で肝だったのは価値観の共有だったんだけど…(それもニヒリズムといえばニヒリズムなんだけど)…そこはもうぶっ壊れつつあるんだろうな…

ミクロの部分の共同性がこんなに壊れてるのに、マクロなナショナリズムが健全?なはずがないような気がするんだなぁ
ミクロな共同性の衰退は、隣人(他人)に対する疑心暗鬼や差別感を増大させるはずだし。

テレビという小っちゃな箱の中でだけは、五輪やスポーツの国際大会なんかで
「日本」「日本人」というコトバが執拗に飛び交ってるけど…
かえって、なあんかそういう言葉の「からっぽ」っさしか感じないんだけど?
そういうコトバは、むしろ、その空虚を埋めるためのニヒリズムなんじゃないかなぁ??…って
あれぇ? それって三島由紀夫かぁ?(笑)
じぶんの周りには共同性なんて1ミリも感じない…そういうひとがほとんどじゃないの
もう三十年ぐらい同じところに住んでるけど…
朝、こっちから挨拶してもかえす人なんか、最近はほとんどいないもんね
(嫌な顔する人は多いけど(笑))

「からっぽ」だとはわかっていても、
そういう一体感幻想が失われて困るのは国家だから、
それじゃぁ困る、不安っていうひとたちが、そんな空標語をせっせと煽って
それを維持しようとするのかなぁ??
いつかそれを維持するために、あからさまの暴力になったとき
ワシたちはどうするんだろうなぁ? 抵抗できないだろうなぁ(笑)
抵抗するどころか、
「ハイル・ヤーパン ユーバーアレス!」(大庭健)
とかいって快哉をおくっているのかもしれんなぁ
しょせん、人間はアニマルだから(ミスチル)(笑)

※たしか、むかし哲学者の永井均さんが、ニーチェのニヒリズムは、神が死んだことがニヒリズムなんじゃなくて、神が死んでるのに、まだ神がいる生きてるかのように見せかけることこそが本当のニヒリズムって言ってたような気がする…

そういうわれわれがニヒリズムを発動させてヤスクニに行っても
だれも喜ばないだろうなぁ(笑)

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ひさしぶりに感動した…これをみると日本の島宇宙化の議論など…とるに足らないものに感じた。
むしろ中島義道さんも言うように…日本人は、もっと自己中でいい。むしろ自己中がぜんぜん足りない。
哀れなドレイのように世間の空気ばっか読んで、石橋を叩いて右顧左眄
自己中でないからむしろファシズムに走る… (何も欲しないよりは、むしろ空無を欲す(ニーチェ))

この醜くて壊れてる世界こそ It's a wonderful world(ミスチル)
アメリカ民主主義の強さともろさ
強さともろさ どっちをみるか…ひとそれぞれだろうが
ワシは…とってもhumorだと思う…ホントの人間的な強さって…そういう葛藤の先にしかないもんだろうなぁ…きっと…

すくなくとも
どっかの国みたいに美しさのために…醜さや汚らしさを…
同化か殲滅か(nihil-anihilation)  恭順か断絶か
整然と規律正しく日常業務のように「ガス室に送り込むような」世界よりは…


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倒叙ものといえばこのひとですねぇ

倒叙もの
殺人鬼と一緒になって、その世界の神のような存在としてと人々を消滅させて(殺して)いく
要するに殺人の追体験をするビデオゲームと一緒だねぇ。
だから主人公はできるだけマドキ感のある等身大の人物に近い方が感情移入しやすい
ふつーに考えたら殺人なんておおよそ不可能なキャラ!…とか関係ない
そのほうがやがて作品の中で自分(彼)が「立派な」殺人鬼として羽化できるところが楽しめる
というわけ…

この小説は、箱庭型ゲームみたいに、秀才イケメン高校生主人公が自慢の自転車(ロードレーサー)で同じところをハムスターのようにぐるぐる回って
バーボン飲んだり焼酎飲んだり変装したり…カワイ子ちゃんとエッチしたりしながら
完全犯罪を企てる…その過程と殺害を楽しむ…そんな小説。
エアロバイクを漕ぎながら読んだ。
臨場感ばっちりだったよ…

印象に残るのは湘南、自転車、ショッピング…いまどき高校生の購買力が素晴らしい
さすがにワシは家庭の事情がフツーとはだいぶ違うので、主人公に微妙に感情移入しにくかったけど。

中島敦「山月記」、漱石「こころ」の引用による
物語・主人公に深みを与えかたが秀逸…
「山月記」は殺人鬼(ケダモノ)への羽化
「こころ」は結果的に親友を殺してしまうことへのアンビバレンツと未来への予感…
すばらしい…そういうことです…

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哲学は何の役に立つのか (新書y (102))

西 研,佐藤 幹夫/洋泉社

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なんの役に立つのか???
馬鹿とはさみでも
そりゃなんでも解釈次第、使い方次第である。
そしてそれは運命的に誤謬と虚偽にまみれている(笑)

対話形式の本だが、はっきりいって
おっさんふたりのつまんない世間話がほとんど…っす
若いころ、進学校でやんちゃしてたおっとか
半分以上自慢話みたいな
それこそ何の役に立つんだオっそんなハナシっ!…感じ…の本

ものの本なんかに哲学は物事の本質をつかみ取るのに便利?必要だとか、よく聞くハナシだけど
むしろテレビなんか見てると、
哲学のテの字も知らない人の方が、よく物事の本質をつかんでるような気がするんだけど
気のせい?

あとは…なんにも言いたくはないんだけど…

西研さんの教育論に、ちょっとコメントしたい
「近代社会においては、「どんな人間も対等なプレーヤーとしてゲームに参加できる」ということが重要です。性別や貧富、階層を問わない、ということですね。こうした”フェアなルール感覚”こそ、学校で身につけさせなくてはならない。いま、日本社会も他民族化、階層化しようとしています。学力補償の工夫によって階層化をくいとめつつ、フェアなルール感覚と関係能力を育てること。学校にはこうした大きな存在理由があるあると思います」(148-9頁)
じじつはちょうど逆ですネェ。日本社会においては、学校こそが規律訓練によって性別や貧富、階層化を推進してきた原動力です。学力補償の小細工もいいですが、そういった問題は進学塾予備校含めて学校の全面無料化をすればいいだけのハナシです。それでも学校は学力よって人を選別し階層化を推進させる原動力にかわりはないでしょうが…。
「教育の目的は社会の一員として生活できるようにすることだ、そのためには、技能と知識、ルール感覚、関係能力、を育てる必要あるというがお話をしました。しかし現代社会で生きるためには、さらに必要なことがもう一つである、と考えています。それは、一人ひとりが「生き方をどうつくりあがていくか」という課題を抱えている以上、それをフォローする必要があるのではないか。つまり、「生きることを考える場」を可能ならば学校のなかにもつくっていったほうがいいのではないか、…」(149頁)
要するに「人格形成にまで、学校(教育)は深く関われっ」ていうやつですネェ。
明治時代この方、前近代的な村落共同体(家父長的)の成員を近代的な規律訓練社会に投げ込むための(僧侶的)装置としては、その方がよかったのでしょうが、もうそのようなフロンティアはないのです。
ガッコウ的なステレオタイプ的価値観がより促進されるだけです。
僕はむしろ真逆を推薦したい。
学問&スポーツ(技術)だけを淡々と教え、鍛え、厳しく選別する施設にすべきです…
学校は選別装置(出生後マススクリーニング)に徹すべきです。
いくら学問といえど、どう生きるべきかなど…そういった人格、人生価値・目的論に立ち入るべきではありません、
そういったものはまずは家庭、地域社会の中で培う
親(労働)と学校(教育)の分業体制こそ疑問を持つべきです…

学問は民主主義と相性が悪いんですよ…

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戦中のことを書いたものは多いけど、
ホントに戦中に書かれたものは少ない。
終戦後に書かれたものは、少し割り引いて読むことにしている。
時代の雰囲気というものが陰に陽に作用からしているである…

坂口安吾は無頼派などといわれているが、
永井-谷崎に繋がるファンタジー小説家
まるで童話の世界…

安吾は戦中、ずいぶん退屈していたらしい…
「空襲下の日本はすでに文明開化のひもはズタズタにたち切られて応仁の乱の焦土とさして変わらぬ様相になっている。
供出といふ方法も昔の荘園に似てきたが、やつぱり百姓は当時から米を隠したに相違ない。原形に綺麗なものは何もない。我利々々の私慾ばかりで、それを組合とか団体の力で自然にまもらうとするやうになる。
 歴史の流れの時間は長いが、しかしその距離はひどく短いのだといふことを痛感したのである。行列だの供出の人の心の様相はすでに千年前の日本であつた。今に至る千年間の文化の最も素朴な原形へたつた数年で戻つたのである。
 ~中略~
 それにしても、これほど万事につけて我利々々の私慾、自分の都合ばかり考へるやうになりながら、この真の暗闇の中で泥棒だのオイハギの殆どないのは、どういふわけだらう、私の関心の最大のこと、むしろ私の驚異がそれであつた。最低生活とは云へ、みんなともかく食へるといふことが、この平静な秩序を生んでゐるのだと思はざるを得なかつた。又、金を盗んでも、遊びといふものがないから、泥棒の要もないのだ。
 働く者はみんな食へる、貧乏はない、といふことは此の如く死の如く馬鹿阿呆の如く平穏であることを銘記する必要がある。人間の幸福はそんなところにはない。泥棒し、人殺しをしても欲しいものが存在するところに人間の真実の生活があるのだ。
 戦争中の日本人は最も平和な、恐らく日本二千何百年かの歴史のうちで最も平穏な日本人であつた。必ず食ふことができ、すべての者が働いて金を得ることができ、そして、たつた一人のオイハギすらもゐなかつた。夜は暗闇であり、巡査は殆どをらず、焼跡だらけで逃げれば捕まる恐れはなく、人間はみんな同じ服装をして特徴を見覚えられる恐れもなく、深夜の夜勤の帰りで不時の歩行が怪しまれず、懐中電燈の光すら後を追うてくる心配がない。あらゆる泥棒人殺しの跳梁する外部条件を完備してをりながら、殆ど一人の泥棒もオイハギも人殺しもなかつたのである。それで人々は幸福であつたか。つまり我々は虚しく食つて生きてゐる平和な阿呆であつたが、人間ではなかつたのである。
 ~中略~
本心は犯罪に麻痺し落ちぶれきつてゐながら、泥棒もオイハギもやらない。単なる秩序道徳の平静のみすぼらしさ、虚しさ、つまらなさ。人間の幸福はそこにはない。人間の生活がそこにない。人間自体がないのである。」
青空文庫:坂口安吾 魔の退屈(昭和21年)

「それで人々は幸福であつたか。つまり我々は虚しく食つて生きてゐる平和な阿呆であつたが、人間ではなかつたのである。」
「人間の幸福はそこにはない。人間の生活がそこにない。人間自体がないのである。」
爽快感のある文章である…
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「そういう意味で「私ー世界」はムカシから言われるように夢のようなものである。」


「光源はつねに外側からである」


青の炎 (角川文庫)

貴志 祐介/角川書店

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貴志祐介さん「青の炎」で引用されていた
「今から一年程前、自分が旅に出て汝水のほとりに泊った夜のこと、一睡してから、ふと眼めを覚ますと、戸外で誰かが我が名を呼んでいる。声に応じて外へ出て見ると、声は闇の中から頻しきりに自分を招く。覚えず、自分は声を追うて走り出した。無我夢中で駈けて行く中に、何時いつしか途は山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は左右の手で地を攫つかんで走っていた。何か身体からだ中に力が充みち満ちたような感じで、軽々と岩石を跳び越えて行った。気が付くと、手先や肱ひじのあたりに毛を生じているらしい。少し明るくなってから、谷川に臨んで姿を映して見ると、既に虎となっていた。自分は初め眼を信じなかった。次に、これは夢に違いないと考えた。夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、自分はそれまでに見たことがあったから。どうしても夢でないと悟らねばならなかった時、自分は茫然ぼうぜんとした。そうして懼おそれた。全く、どんな事でも起り得るのだと思うて、深く懼れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判わからぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。自分は直すぐに死を想おもうた。しかし、その時、眼の前を一匹の兎うさぎが駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中の人間は忽ち姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分の口は兎の血に塗まみれ、あたりには兎の毛が散らばっていた。これが虎としての最初の経験であった。それ以来今までにどんな所行をし続けて来たか、それは到底語るに忍びない。ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心が還かえって来る。そういう時には、曾ての日と同じく、人語も操あやつれれば、複雑な思考にも堪え得るし、経書けいしょの章句を誦そらんずることも出来る。その人間の心で、虎としての己おのれの残虐ざんぎゃくな行おこないのあとを見、己の運命をふりかえる時が、最も情なく、恐しく、憤いきどおろしい。しかし、その、人間にかえる数時間も、日を経るに従って次第に短くなって行く。今までは、どうして虎などになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気が付いて見たら、己おれはどうして以前、人間だったのかと考えていた。これは恐しいことだ。今少し経たてば、己おれの中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋うもれて消えて了しまうだろう。ちょうど、古い宮殿の礎いしずえが次第に土砂に埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分の過去を忘れ果て、一匹の虎として狂い廻り、今日のように途で君と出会っても故人ともと認めることなく、君を裂き喰くろうて何の悔も感じないだろう。一体、獣でも人間でも、もとは何か他ほかのものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか? いや、そんな事はどうでもいい。己の中の人間の心がすっかり消えて了えば、恐らく、その方が、己はしあわせになれるだろう。だのに、己の中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐しく、哀かなしく、切なく思っているだろう! 己が人間だった記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じ身の上に成った者でなければ。ところで、そうだ。己がすっかり人間でなくなって了う前に、一つ頼んで置きたいことがある。…」
中島敦「山月記」
青空文庫・中島敦 山月記

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「私から出て、私に還る」(37頁)
そういうことでいえば
私はどこにもいけないし…どこへも帰らない
そのような行って帰られるような唯識界のようなものはどこにもない
消え去るだけの虚点(光源)である
(すさまじきものにして見る人もなきブログ!)


じぶんの側に光源があるように思われては困る

たとえば私が大きな段ボールの箱に入る
真っ暗である
そこで
目の前に穴を二つだけ開ける
このばあい、光源はつねに外側からである
私-世界(言語、思考、心…)は、つねにその外側にしかない
なぜならその光源なしには、私ー世界も段ボール身体…そういうものありえないから
そしてその光源とともに私-世界は消滅する

ちょうど
安部公房の「アリスのカメラ」(安部真知)
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笑う月 (新潮文庫)

安部 公房/新潮社

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帰ってきたもてない男 女性嫌悪を超えて (ちくま新書 (546))

小谷野 敦/筑摩書房

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小谷野さんの本が面白いのは…
むかし小説家が文士と言われてた頃のダンディズム…
そう坂口安吾の「ジロリ女」…読んだときみたいな 
あんな雰囲気がある

こだわりは誰にでもある
クルマとかバイクとか音楽、pc、ゲーム…
女性に対しても、多少のこだわりがあるだろうか?
わけても彼の場合、恋愛対象の女性に強いこだわりがある。
そういうことからいえば、彼はもてない男ではなく…
恋愛結婚至上主義者なのかもしれない…

それにしてもテレクラや出会い系のサクラブンガクって面白いんだネェ
サクラメールだけの小説とか読んでみたい?
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