<   2007年 11月 ( 4 )   > この月の画像一覧

言い換え論法


清水義範「行儀よくしろ。」


先に紹介したように、
清水さんは、巷間騒がれた「学力」低下問題を取り上げるが、
しかし、巷間言われてるように学力低下自体が本質的な問題じゃなく、
まして学校批判や教師批判は的はずれ…
ホントに大事なのは、学力よりも、「知力」、「頭が良い」というような総合力であり
それを支える社会(の荒廃)、文化(の破壊)…こそが問題だと指摘するのだが……
なにをかいわんやである。
そもそも、「学力」を「知力」と言い換えたところで、なんか言ったつもりになっているところがオソマツ。
「学力低下」問題は、文字通り「学力低下」を問題にしているのであって、
誰もそんな清水のように「知力」の低下なんか嘆いていないのなら問題がないというのが一点。
また、
知力という言葉の意味が、学力という言葉の意味に含まれる
あるいは逆に、学力が知力の中に含まれているとしたら(清水氏の場合、「知力」を「総合力」にした時点でこちらにはいると思う)、
知力と学力はなんらかの相関関係にあるわけで…学力低下問題なしですませるわけにはいくまいというのがもう一点。
(ていうか学力があって知力もある子のほうが多いと思う。)

ちなみに…こういう言い換え論法は
哲学者や思想家も使ってるから、
なんか高尚な方法だと思ってるひともいるかもしれないけど……そうじゃない。
哲学や思想は、日常われわれが使っている言葉の意味に疑いをかけ(エポケーし)、
ホントーの言葉の意味
ホントーの時間…とか…ホントーの愛…とか…ホントーのxxx…etc…真なる文…真理を教えてくれるものと…言われていたが…本当だろうか?
「結局それは、われわれのことばづかいを解明しているだけです。われわれのことばづかいをいくら明らかにしても、この世界に成り立っている深遠な真理を解き明かしたことになりません。」土屋賢二


すさまじきものにして見る人もなきブログ! : ツチヤ「の」ウィトゲンシュタイン

Note---------------------------------
※しばしば、ネット上で哲学的議論といわれるものに、完全に相手無視で上のオジサン的論法で勝手に言い換えたり、定義(意味)付け足しで反論(あるいは再反論…)した気になっている自動クルクルパーを時々見かけるが、
そんなことをすれば「1+1」すら、まともに答えられない(クルクルパーになる)のは誰にでもわかりそうなもので…orz…

土屋賢二「ツチヤ教授の哲学講義」
[PR]

清水義範「行儀よくしろ。」


BO105本。

よくあるオヤジのボヤキ教育・シャカイ論。
なんのかんの言ってるが、
基本的には、今の社会はダメって言う本だろう。
最近は、こういう本ばっか(ていうか、今の社会を万全だという本は売れないからだろうが)。

最初に学力低下を取り上げ、
「学力低下自体は本質的な問題じゃない
まして学校批判や教師批判は的はずれ…
ホントに問題なのは、社会の荒廃、文化の破壊…だ」と…
ざっとそんなありがちな展開…もっともその指摘自体はまっとうなものだとは思うが……
「戦後の日本人は、それまで持っていた固有の文化を捨てて、経済に身を売り渡し……
 そして、実現できたのが、消費がすべての欲望社会……」(171頁)
ここら辺から典型的なオヤジのボヤッキ~…が始まる
「欲望」=「悪」説
本書では「欲望」は「悪魔」と変わらない。
「欲望社会は、人間を勝ち組と負け組に分ける社会である。」(172頁)
大人はなんとか勝ち組に入りたくて、ギスギス、イライラしてる……と清水は指摘する
「子供たちがイライラしているのは、その親も自分の人生に満足できず、イライラしているからである。」(168頁)
「日本という国の社会全体がイライラしているから…子供は自然にその感化を受けてイライラしているのである。」(88頁)

その元凶は、「欲望社会」にある…敵は本能寺にありというわけである。
ネットを見ても、こういうことを言う”良い”オジサンが多い。
要するに、じぶんは無欲、清貧!に生きるキレイキレイオジサンというわけ(ワシなら、どうして、自分がそんなことを言いたがるのか?、そっちのほうが気になる)。

だいたいさぁ、こういう”良い”オジサンは、
欲望社会でない社会が過去に一度でもあったと思ってるんだろうか?
勝ち組と負け組に分けない社会が一度でもあったと思っているんだろうか?
いちいち言うまでもないが、
欲望と言っても、
ヒトは知識を得たい欲望も持つし、
清水さんみたいにエライヒトは
自分の「知力」を他人に教えたいって欲望も持つ。
戦争したい欲望を持つヒトがいるなら
戦争を止めさせようという欲望を持つヒトもいる。
悪い欲望、良い欲望、どちらといえない欲望、いろんな欲望がある。
経済に身を売り渡した…すべてが欲望社会などと
欲望や経済自体を、悪いことのように言えば済むような問題じゃ全然ない。
それじゃぁ、いうことがガキとおんなじ。

結局、清水のいってるようなへたれ清貧論というのは
「ワシはもう満腹だから、ワシゃしらん(あとは知らないっ)!」と言っているのと同じ(イナバがいうところの「勝ち逃げに走るヘタレ中流」ということになろうか)。
それこそ最たるジコチューだろう…(ことわっておくと、ワシはジコチューを批判するつもりはない)

こういう”良い”オジサンは、
二言目には「むかしは日本の固有の文化が……助け合い、互助の(「他人の迷惑を考えない人間はクズだとかいう」)(170頁)精神…があって」、よかったっていうけど、むかしだって、一家離散、盗賊、フーテン、博徒、ヤクザ、浪人とかいたし、少なくとも、いまは身分社会はないし、南方で戦死したり、飢饉で女子が身売りしたり、栄養失調で飢え死にするやつとか、ブラク差別なんかは、ずいぶん少なくなったんじゃないかなぁ~

たぶんに、清水さんが「日本固有の文化」とか言ってるものは、戦後高度成長期の一時期の状況のような気がする。
そうでなくとも、ひとは(ワシもそうだけど)、歳をとってくると、ガキの頃のことを理想化する(「『三丁目の夕日』幻想」)傾向にある。
だいたいガキの頃は、世間のツラさなんか知らない。なんにも悩みもなく、無邪気に遊んでいただけ。
それが、大人になって社会的な責任や重圧を自覚できるようになり、現代のような管理されたストレス社会で生活していれば、
そりゃあ、だれだって、誰かに保護されて無邪気に遊んでいるだけでいい社会は良い社会だろう。
しかし、もしその時、大人だったら、また、それなりに違って見えたのではないだろうか?(それは、それで大変で、厭なことや不満なこともいっぱいあったのではなかろうか?)

Note---------------------------------
※個人的には
自信満々で満足で満ち足りているガキよりも
不幸でイライラしてるガキのほうがスキ…。

※江戸時代に限らず、経済が停滞すると、ひとびとは欲望を断念するような思想を欲しがる…?…
衝突しあうリスクを減らそうとする(もちろん、中には、そういう思想を利用して、自分だけ抜け駆けできるチャンスを作ろうとする者もいる)。
しかし…
欲望を断念すると、さらに経済が停滞する…
[PR]
a0009919_1933089.jpg

さあて、ひとっ風呂入ろう~
[PR]
中島義道が「世間」という時、
西部邁=オルテガの大衆なのだと思う。

考えてみると
ワシは、西部さんから、いろんなことを教わったはずだが、
結局、のこったのは自己懐疑と孤独(西部さんいうところの保守的懐疑)。

西部さんがなによりも批判した(というよりも生理的に嫌っていた)大衆とは
オルテガの言葉で言うと
「自分よりすぐれた審判をいっさい認めない閉鎖的な人間」
「大衆とは、善きにつけ悪しきにつけ、特別の理由から自分に価値を見いだすことなく、自分を”すべての人”と同じだと感じ、しかもそのことに苦痛を感じないで、自分が他人と同じであることに喜びを感じる」
「意見を作り上げる努力もしないで、意見をいう権利があると信じている大衆人」
……etc
要するに自己懐疑(孤独)を忘れた無責任な大衆人…
ちょっと今風オヤジにアレンジすれば、
「ジコチュー君を取り締まれ!」ということになるだろうか?

しかし、昨今の大衆の現状は、もすこ~し分裂的で、その大衆人こそが、ジコチュー(自分と同じではない他人)をさがし、取り締まっている……
いささか皮肉と言わざるをえない。
考えてみれば、
西部=ワシこそが、大衆人だったという当たり前のことに気づくだけ。

丸山真男は日本社会の構造的な無責任体制を指摘したが、
そのなかに登場する日本人は決して主体的な自己中心主義者(ジコチュー)ではない。
むしろ、表面的には利他(愛他)的集団(的功利)主義者であり…「シャカイ」主義者であった。
お国のため…オクニ(地域社会)のため…家族のため…(戦後はことに、会社のため…)
といわれて要求される愛他的行為は、
結局、どこにも責任主体が無く、…個人は、ずるずると全体的目標のためにむなしく埋没していった。

しかし、ワシは丸山と違って
そんな日本の状況が単に遅れた民主主義だったとは思っていない。
逆に西部=オルテガの文脈に捉えなおせば、
それは、”多数者による専制”で、
むしろ、民主主義のいきすぎた形態ではなかったのか?……少なくとも、そういう疑いを少しは持つべきでは???…と思う…。
西部邁さんたちにいわせれば、民主主義自体は全体主義でしかないのだ。
「哲学は自分を完全に無益なものと見せかけ、そうすることによって、平均人にたいするいっさいの服従から逃れている。……哲学は自分自身の存在を疑うことから始まり、自分自身と戦い、自分自身の存在を危うくさせる程度に応じて生命をもちうるにすぎないのであるから、じぶんのことを真剣に取り上げてくれなどと、どうして要求することがあるだろうか」
オルテガ…大衆の…
[PR]