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ルサンチマンに凝り固まってしまうひとと……
そういう弱い人たちのルサンチマンを煽って利用(商売)する人が……いるだけか?。

しょせん、(そんなエコノミーで養われた)「分離した実存」「でっちあげられたルサンチマン」で、
一番大事なのは、老後の年金がちゃんと貰えるかどうか?なんだけどさぁ( ^∀^)ゲラゲラ
まーそんなところ行ったり来たり…

もっとも、根底には、漠然とした不安みたいなものがあるのかもしれない(「不安過剰社会」とかなんとか)。
それはふつう、「他人」や「社会」に対するものだと思われているけど、
もっと根源的な「世界」に対する不安だと思う(ここでいう世界は、社会で言うような国際社会のようなものではない。もっと根源的な「私」のようなものだと考えて欲しい)
つまり、(何かに対するバッシングやアンチも)私に対する不安の代理・代補でしかない…のかも…(ま、そこまで考える人は少数派でしょうが( ^∀^)ゲラゲラ。フツーは、そんなこと考えるのはメンドクサイ、ていうか、その不安の原因がじぶんにあるなんて、そういうふうにかんがえたくないor思ってもみないひとたちは、手っ取り早く、いわゆる「社会」「世界」「政治」「権力(国家・おかね)」「……国人」「他人」「……」…外部のせいにしたりします(最近はインフルエンザだって、その代わりをするみたい))。バッシングやアンチで不安を解消したり、あらたな不安を煽ったり…何ごとも「面白き事なき世を面白く」ですか、たいがい飽きるまで続きます。

「時代とか 社会とか
 無理にでも敵に仕立てないと
 味方を探せない
 愉快に暮らせないよ」ランニングハイ(Mr.Children)


「悲しいのは 死ぬ事ではなく
 悲しいのは 人生でもなく
 悲しいのは 私だからです

 悲しいのは 私がいるために
 悲しいのは 私であるために
 悲しいのは 私自身だから」「悲しいのは」(吉田拓郎)

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裁判員制度 - Yahoo!ニュース

テレビでは、
なんか裁判の報道があるたびに、
死刑だ! 死刑で当然だ!と
確信を持って言うひとや
なんの根拠もなく自分が思ってるより軽い刑が下りると、
裁判官を「浮世離れ」「非常識だ」とか、その人間性まで非難するひととか
沢山いたような気がしたけど。
なので、あの勢いなら、裁判員なんか、さぞ、喜び待ち望んでいるのかと思っていたら…全体の2割程度ですか??(あーやっぱり)…
やっぱ、それが直接、自分のこととなると……ねぇ(といっても、いまでも間接的には(理屈の上では)、そうなんだけどねぇ)
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家の壁にて撮影
なんかカッコイイの二つ!

【みんなで作る日本産蛾類図鑑V2】
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キムタク「怒ってません」“草なぎ騒動”を謝罪(スポーツニッポン) - Yahoo!ニュース



「抱かれて   磨かれて
 輝くことで また抱かれて…
 愛されて 優しくなれて
 その優しさ故に愛されて
 君と僕が そんなメビウスの輪の上を笑いながら……」
 mr.Children「風と星とメビウスの輪」

「……成功者はまさに成功し続けることをもって、ますます人間的に豊かになっていく。そして失敗者は失敗しつづけることをもって、ますます人間的に貧しくなってゆく……。
 成功者は、ちょうど幼少から愛され続けてきた人のように気持ちがおおらかでみずからの才能をよく知っており、魅力あふれた人が多い。みずからの運命の女神の寵児であることを知ってるがゆえに、ますますこだわりのない自由人になってゆく。だが、失敗者は、ちょうど愛されないで育った人のように気持ちがさもしくみずからの才能を直視せず、魅力に欠ける人が多い。みずから運命の女神に見放されていることを知っているがゆえに、ますますひねくれた不自由を背負ってゆく。
 こうして、成功者はますます成功する要素をそのうちに育ててゆくのに対して、失敗者はますます不成功の要素をみずからのうちに沈殿させてゆく……」(80-1頁)

「……勝者は傲慢な態度に出ることもない。なぜなら、傲慢にしなくとも自然に自分は他人によって評価されているという実感を得ることができるのだから。そして、こういう人がその優位な地位にもかかわらず腰が低いと、「謙虚だ」とさらに褒められることになる。
 だが、不遇な立場にいるものが泰然としていると「なまいきだ」ということになる。愚痴を繰り返すと「うるさい」ということになる。ちょうど、美人が「私、自分のこと綺麗って思ったことないの」と言えばますます好かれるのに、不美人が「私、自分のことブスって思ったことないの」と言えばますます嫌われるように。世間の人は、その不遇がいかに偶然の結果であろうと、それを切り捨てるのである。」(90頁)
中島義道「働くことがイヤな人のための本」

ここにA子さんとB子さんという対照的な二人がいる……
「A子さんは都会的な美人でJ大学の国際部に学ぶお嬢さんである。父親は同じJ大学の文学部教授であり、兄はT大学大学院で美学を専攻している。家は東京山の手の戦前からの地味な住宅地にある。彼女は自分を特別恵まれていると思わず、幼い頃から家庭でも学校でも自然に愛情と尊敬の入り混じった扱いを受け、それに自然に慣れている。もちろん、自分が人並み以上の美人であること、人並み以上の知性の持ち主であること知らないことはないが、それは彼女にとってとりたてて問題はなく、決して高ぶらず卑下もせず、きわめて自然に自分を肯定している。
 そして、彼女は他人の不幸をわがことのように哀しみ、他人の幸福をわがことのように喜ぶ天性のようなものを具えており、それがとても自然であるので、誰でも嬉しいとき悲しいとき彼女に報告したくなってしまう。」(pp.74)それに引き替え、「B子さんにはA子さんに与えられたものがすべて与えられていない。彼女はくらい地味な顔つきでとりたてて醜くはないが、すべての造作が小さく細く寒々とした印象を与える。両親は彼女が小学生のとき離婚し、もの心ついてから耳をふさぎたくなるような醜い男女の言い争いを見てきた。これまでどんなに親を恨み、温かい家庭を羨んできたことか。暗くかじかんだ少女時代、男からも女からも好かれたという記憶がない。一年浪人し、やっとの思いでJ大学に入り、思いもかけずA子さんと親しくなり、何とA子さんを妬ましく思ったことか。そして、なんと自分のヒリヒリした僻みと妬みと羨望を醜く思ったことか。B子さんは声を大にしてA子さんに言いたいのだ。
「私もあなたのように美しく恵まれた境遇に生まれていたとしたら、あなたのように他人に存分に親切にできたでしょう。でも、この私があなたを羨まないそぶりをするだけでもう全身が崩れるほどに疲れ果ててしまう。私はそんな気持ちを知らないあなたのはれやかな笑顔や軽やかな身のこなしが憎い!」
 そして、あるときB子さんが何かの弾みでこうした内心の叫びをA子さんにぶつけたとしよう。A子さんは一瞬顔をこわばらせ、それから涙を流してB子さんをじっと見つめる。
 あるいは「あなたがそんなことを考えているなんて知らなかった」と小刻みに肩を振って両手で顔を覆う。あるいは「私はあなたのほうがずっと素晴らしいと思っているのに」とB子さんを温かくくるむように見つめる……。
 ああ、いかに対応してもA子さんは負けないのである。」(pp.76)
「「そんな筈はない」A子さんを支持するような人たちは、そんなA子さんでも「想像力を働かせることによって、実際に自分が不幸にならなくとも「あたかも不幸になったかのような」態度で他人に接することはできるのではないか。自分が美しくなかったとしたら、裕福でなかったとしたら、望む大学に入れなかったとしたら………と次々に想像してゆけば、A子さんは当然B子さんの気持ちもわかるはずではないか、と。
 冗談を言ってはいけない。およそ幸福な人に不幸な人の気持ちが分かるのは、この世で最も難しいことなのである。そのうえ、「気持ちがわかる」こととその不幸を生きることとは厳然と異なる。失明した人の「気持ちがわかる」ことと、失明して生きつづけることとは天と地ほど違うのである。」(p.78)
 中島義道「カントの人間学」

まぁ要するに
可能性のあるひとはより開かれ、ない人はより塞がれる
可能性も無限大…不可能性も無限大
っていうシンプルなもんだったんだ……とか


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