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哲学は何の役に立つのか (新書y (102))

西 研,佐藤 幹夫/洋泉社

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なんの役に立つのか???
馬鹿とはさみでも
そりゃなんでも解釈次第、使い方次第である。
そしてそれは運命的に誤謬と虚偽にまみれている(笑)

対話形式の本だが、はっきりいって
おっさんふたりのつまんない世間話がほとんど…っす
若いころ、進学校でやんちゃしてたおっとか
半分以上自慢話みたいな
それこそ何の役に立つんだオっそんなハナシっ!…感じ…の本

ものの本なんかに哲学は物事の本質をつかみ取るのに便利?必要だとか、よく聞くハナシだけど
むしろテレビなんか見てると、
哲学のテの字も知らない人の方が、よく物事の本質をつかんでるような気がするんだけど
気のせい?

あとは…なんにも言いたくはないんだけど…

西研さんの教育論に、ちょっとコメントしたい
「近代社会においては、「どんな人間も対等なプレーヤーとしてゲームに参加できる」ということが重要です。性別や貧富、階層を問わない、ということですね。こうした”フェアなルール感覚”こそ、学校で身につけさせなくてはならない。いま、日本社会も他民族化、階層化しようとしています。学力補償の工夫によって階層化をくいとめつつ、フェアなルール感覚と関係能力を育てること。学校にはこうした大きな存在理由があるあると思います」(148-9頁)
じじつはちょうど逆ですネェ。日本社会においては、学校こそが規律訓練によって性別や貧富、階層化を推進してきた原動力です。学力補償の小細工もいいですが、そういった問題は進学塾予備校含めて学校の全面無料化をすればいいだけのハナシです。それでも学校は学力よって人を選別し階層化を推進させる原動力にかわりはないでしょうが…。
「教育の目的は社会の一員として生活できるようにすることだ、そのためには、技能と知識、ルール感覚、関係能力、を育てる必要あるというがお話をしました。しかし現代社会で生きるためには、さらに必要なことがもう一つである、と考えています。それは、一人ひとりが「生き方をどうつくりあがていくか」という課題を抱えている以上、それをフォローする必要があるのではないか。つまり、「生きることを考える場」を可能ならば学校のなかにもつくっていったほうがいいのではないか、…」(149頁)
要するに「人格形成にまで、学校(教育)は深く関われっ」ていうやつですネェ。
明治時代この方、前近代的な村落共同体(家父長的)の成員を近代的な規律訓練社会に投げ込むための(僧侶的)装置としては、その方がよかったのでしょうが、もうそのようなフロンティアはないのです。
ガッコウ的なステレオタイプ的価値観がより促進されるだけです。
僕はむしろ真逆を推薦したい。
学問&スポーツ(技術)だけを淡々と教え、鍛え、厳しく選別する施設にすべきです…
学校は選別装置(出生後マススクリーニング)に徹すべきです。
いくら学問といえど、どう生きるべきかなど…そういった人格、人生価値・目的論に立ち入るべきではありません、
そういったものはまずは家庭、地域社会の中で培う
親(労働)と学校(教育)の分業体制こそ疑問を持つべきです…

学問は民主主義と相性が悪いんですよ…

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戦中のことを書いたものは多いけど、
ホントに戦中に書かれたものは少ない。
終戦後に書かれたものは、少し割り引いて読むことにしている。
時代の雰囲気というものが陰に陽に作用からしているである…

坂口安吾は無頼派などといわれているが、
永井-谷崎に繋がるファンタジー小説家
まるで童話の世界…

安吾は戦中、ずいぶん退屈していたらしい…
「空襲下の日本はすでに文明開化のひもはズタズタにたち切られて応仁の乱の焦土とさして変わらぬ様相になっている。
供出といふ方法も昔の荘園に似てきたが、やつぱり百姓は当時から米を隠したに相違ない。原形に綺麗なものは何もない。我利々々の私慾ばかりで、それを組合とか団体の力で自然にまもらうとするやうになる。
 歴史の流れの時間は長いが、しかしその距離はひどく短いのだといふことを痛感したのである。行列だの供出の人の心の様相はすでに千年前の日本であつた。今に至る千年間の文化の最も素朴な原形へたつた数年で戻つたのである。
 ~中略~
 それにしても、これほど万事につけて我利々々の私慾、自分の都合ばかり考へるやうになりながら、この真の暗闇の中で泥棒だのオイハギの殆どないのは、どういふわけだらう、私の関心の最大のこと、むしろ私の驚異がそれであつた。最低生活とは云へ、みんなともかく食へるといふことが、この平静な秩序を生んでゐるのだと思はざるを得なかつた。又、金を盗んでも、遊びといふものがないから、泥棒の要もないのだ。
 働く者はみんな食へる、貧乏はない、といふことは此の如く死の如く馬鹿阿呆の如く平穏であることを銘記する必要がある。人間の幸福はそんなところにはない。泥棒し、人殺しをしても欲しいものが存在するところに人間の真実の生活があるのだ。
 戦争中の日本人は最も平和な、恐らく日本二千何百年かの歴史のうちで最も平穏な日本人であつた。必ず食ふことができ、すべての者が働いて金を得ることができ、そして、たつた一人のオイハギすらもゐなかつた。夜は暗闇であり、巡査は殆どをらず、焼跡だらけで逃げれば捕まる恐れはなく、人間はみんな同じ服装をして特徴を見覚えられる恐れもなく、深夜の夜勤の帰りで不時の歩行が怪しまれず、懐中電燈の光すら後を追うてくる心配がない。あらゆる泥棒人殺しの跳梁する外部条件を完備してをりながら、殆ど一人の泥棒もオイハギも人殺しもなかつたのである。それで人々は幸福であつたか。つまり我々は虚しく食つて生きてゐる平和な阿呆であつたが、人間ではなかつたのである。
 ~中略~
本心は犯罪に麻痺し落ちぶれきつてゐながら、泥棒もオイハギもやらない。単なる秩序道徳の平静のみすぼらしさ、虚しさ、つまらなさ。人間の幸福はそこにはない。人間の生活がそこにない。人間自体がないのである。」
青空文庫:坂口安吾 魔の退屈(昭和21年)

「それで人々は幸福であつたか。つまり我々は虚しく食つて生きてゐる平和な阿呆であつたが、人間ではなかつたのである。」
「人間の幸福はそこにはない。人間の生活がそこにない。人間自体がないのである。」
爽快感のある文章である…
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「そういう意味で「私ー世界」はムカシから言われるように夢のようなものである。」


「光源はつねに外側からである」


青の炎 (角川文庫)

貴志 祐介/角川書店

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貴志祐介さん「青の炎」で引用されていた
「今から一年程前、自分が旅に出て汝水のほとりに泊った夜のこと、一睡してから、ふと眼めを覚ますと、戸外で誰かが我が名を呼んでいる。声に応じて外へ出て見ると、声は闇の中から頻しきりに自分を招く。覚えず、自分は声を追うて走り出した。無我夢中で駈けて行く中に、何時いつしか途は山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は左右の手で地を攫つかんで走っていた。何か身体からだ中に力が充みち満ちたような感じで、軽々と岩石を跳び越えて行った。気が付くと、手先や肱ひじのあたりに毛を生じているらしい。少し明るくなってから、谷川に臨んで姿を映して見ると、既に虎となっていた。自分は初め眼を信じなかった。次に、これは夢に違いないと考えた。夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、自分はそれまでに見たことがあったから。どうしても夢でないと悟らねばならなかった時、自分は茫然ぼうぜんとした。そうして懼おそれた。全く、どんな事でも起り得るのだと思うて、深く懼れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判わからぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。自分は直すぐに死を想おもうた。しかし、その時、眼の前を一匹の兎うさぎが駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中の人間は忽ち姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分の口は兎の血に塗まみれ、あたりには兎の毛が散らばっていた。これが虎としての最初の経験であった。それ以来今までにどんな所行をし続けて来たか、それは到底語るに忍びない。ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心が還かえって来る。そういう時には、曾ての日と同じく、人語も操あやつれれば、複雑な思考にも堪え得るし、経書けいしょの章句を誦そらんずることも出来る。その人間の心で、虎としての己おのれの残虐ざんぎゃくな行おこないのあとを見、己の運命をふりかえる時が、最も情なく、恐しく、憤いきどおろしい。しかし、その、人間にかえる数時間も、日を経るに従って次第に短くなって行く。今までは、どうして虎などになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気が付いて見たら、己おれはどうして以前、人間だったのかと考えていた。これは恐しいことだ。今少し経たてば、己おれの中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋うもれて消えて了しまうだろう。ちょうど、古い宮殿の礎いしずえが次第に土砂に埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分の過去を忘れ果て、一匹の虎として狂い廻り、今日のように途で君と出会っても故人ともと認めることなく、君を裂き喰くろうて何の悔も感じないだろう。一体、獣でも人間でも、もとは何か他ほかのものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか? いや、そんな事はどうでもいい。己の中の人間の心がすっかり消えて了えば、恐らく、その方が、己はしあわせになれるだろう。だのに、己の中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐しく、哀かなしく、切なく思っているだろう! 己が人間だった記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じ身の上に成った者でなければ。ところで、そうだ。己がすっかり人間でなくなって了う前に、一つ頼んで置きたいことがある。…」
中島敦「山月記」
青空文庫・中島敦 山月記

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「私から出て、私に還る」(37頁)
そういうことでいえば
私はどこにもいけないし…どこへも帰らない
そのような行って帰られるような唯識界のようなものはどこにもない
消え去るだけの虚点(光源)である
(すさまじきものにして見る人もなきブログ!)


じぶんの側に光源があるように思われては困る

たとえば私が大きな段ボールの箱に入る
真っ暗である
そこで
目の前に穴を二つだけ開ける
このばあい、光源はつねに外側からである
私-世界(言語、思考、心…)は、つねにその外側にしかない
なぜならその光源なしには、私ー世界も段ボール身体…そういうものありえないから
そしてその光源とともに私-世界は消滅する

ちょうど
安部公房の「アリスのカメラ」(安部真知)
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笑う月 (新潮文庫)

安部 公房/新潮社

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帰ってきたもてない男 女性嫌悪を超えて (ちくま新書 (546))

小谷野 敦/筑摩書房

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小谷野さんの本が面白いのは…
むかし小説家が文士と言われてた頃のダンディズム…
そう坂口安吾の「ジロリ女」…読んだときみたいな 
あんな雰囲気がある

こだわりは誰にでもある
クルマとかバイクとか音楽、pc、ゲーム…
女性に対しても、多少のこだわりがあるだろうか?
わけても彼の場合、恋愛対象の女性に強いこだわりがある。
そういうことからいえば、彼はもてない男ではなく…
恋愛結婚至上主義者なのかもしれない…

それにしてもテレクラや出会い系のサクラブンガクって面白いんだネェ
サクラメールだけの小説とか読んでみたい?
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私とは何か (岩波新書 新赤版 (664))

上田 閑照/岩波書店

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「「私」と言うこと自体、はじめからすでに問題的である。」(36頁)

「私」が外から開けられたものであるのは確実であるが(147頁)
そしてその私が、すでにして世界なのであるから
問題もくそもない
世界内存在とは 存在(観念)内世界であり、
私はまるごと形而上学ということである。
そして、
私=世界以外のいかなる仕方でも世界(私)は現前していない

そういう意味で「私ー世界」はムカシから言われるように夢のようなものである。
もっと具体的に言えば「私ー世界」は「催眠」のようなものであり、それは死にゆく(キレゆく)まで決して醒めることがない夢。
「私から出て、私に還る」(37頁)
そういうことでいえば
私はどこにもいけないし…どこへも帰らない
そのような行って帰られるような唯識界のようなものはどこにもない
消え去るだけの虚点(光源)である

以下面白かった章
「私と汝」
ブーバーをリードにして西田、レヴィナス
「私」の文化論としても面白かった。

「無我ということ」
仏教の無我、西田、鈴木の自己とコギトと対比
いずれも文化論的意味あいが強かったように思う

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暴走する脳科学~哲学・倫理学からの批判的検討~ (光文社新書)

河野 哲也/光文社

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河野哲也さんといえば、以前、
「〈 心〉はからだの外にある」
というタカピーな本を書いた人である
私も、河野さんとはまったく考え方は違うけど、そう思っている人間である…

というわけで興味があったので読んでみた
脳科学、とくにその成り立ちを近世(骨相学など)からかいつまんで紹介してくれたところにはなかなか啓発されたな
ふかい学殖がある…
けど、ただ、それだけの本だったかなぁ~
ていうかねぇ、この本、いったい誰のために書かれたのか?
ということを考えた場合、ワシのような一般読者じゃないことはたしか…

本書の後半半分は、それに携わる人たち、科学者、「脳」科学者、心理学者への倫理的お説教…
言わんとしていることはわかるけど…
そんなのワシ(一般読者)にはカンケーねえし…
なんだか、そういうひとたちから日頃から相手にされない…あるいは蔑みでも感じられてるのか
なんか八つ当たり的な感じがするわけなのネッ…
知らないラーメン屋で味噌ラーメン注文したら、若い店員さんがなんかヘマしたのか、店主にカウンター越しに客そっちのけで汚い罵声で怒鳴りちらされてる…
そんな場面に出くわしたみたいな…
因果律でいくと注文した私が…
関係ないけど気分が悪いわけネェッ


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夏への扉 (ハヤカワ文庫SF)

ロバート・A. ハインライン/早川書房

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sf最低限これだけは読め!っていう中には必ず入ってる傑作
sf古典だから、設定やシーンが、その手の小説、ドラマ、映画でみかけまくる…
最近では、海外ドラマ「breaking bad」を見て、この小説を思い出した人もいるのではないだろうか?
また訳者あとがきがいうようにタイムトラベルものだが、sfとしては、それほどの新味があるわけではない…
が、sfとも読め、フツー(サスペンス・ラブロマなど)の読み物としても十分に読みごたえがあると思う。
(ただ、後半はありきたりな予定調和で、ちょっとだれるが)
特にキャラ設定が秀逸。
猫好きsfにはぴったりの1冊…
ピートが恋しくなる…秋の曇り空であった……
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デリダの遺言―「生き生き」とした思想を語る死者へ

仲正 昌樹/双風舎

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「いっぱいいっぱいになっている普通の人たちの思考から批判的に「距離」を取って、非現実的なものを含めて、いろいろな可能性について考えてみせるのが「哲学者」である。あまり”現実的”になってしまったら、「哲学者」である意味がない。「生き生き」している状態からできる限り離脱して、「死に体」になって語るのが哲学者である、と「私」は思っている」仲正昌樹「デリダの遺言」(209頁)
仲正さんがいうデリダの「死に体」というのはわからんでもない。
すべての不確実な感覚を取り払うのはデカルト以来の哲学の伝統である…
仲正さんがよく使う?(と言っても2冊しか読んだことないけど(笑))プラトンの洞窟の「比喩」は秀逸だと思った。
洞窟からはじめて飛び出した住人が知った真実の世界が…ホントに真実の世界が分かったもんじゃないということ…
エクリという光源に照らし出されたイキイキとした世界は避けて…
仲正=デリダは暗い洞窟のなかで孤独に
「すべては比喩」
と呻吟することこそ=デリダの遺言…
だと言いたいのか?どうかはしらない…

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星を継ぐもの (創元SF文庫)

ジェイムズ・P・ホーガン/東京創元社

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月を 見ると、思い出してしまうのがこの作品である。

物語は月で発見された正体不明の一つの死体から始まる
サスペンスタッチだけど…
ハードSFにありがちなザコキャラ科学者のあーでもないこーでもないの百家争鳴の中、ひとりの天才博士が謎を解く、古典的説明文体で、
致命的なくらいテンポがよくない
アクション、ハードボイルド、お色気、皆無で
それでも通読できたのは、ちっぽけなそういうサスペンス(謎解き)設定の…おかげであろう…
読了して、一通りパズルができあがると
はじめてそこで頭の中に壮大な宇宙サバイバル物語が萌えあがるという設計…
前述したようにほぼ説明文体、過去形なために、リアルなsf臨場感はほぼない…表面的には醒めたsfである
しかし、読後感はそんなに悪くない 不思議と月を見上げてしまうのだ
面白いか?面白くないかといわれれば…sfファン向けではあっても、万人向けとはいえないかもしれない
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