アメリカのいわゆるYG向けクリスマス映画

Joseph Gordon-Levitt と Seth Rogen
のなかよしコンビに
James Edward Franco,Miley Cyrus, Michael Shannon
のクリスマスプレゼント付

いわゆる大人になりきれない3人組の聖夜のコメディ
おなじみすぎてストーリーは省略
そんなのが気になる人はNG
大人のメリーメリーファンタジー
聖夜、暇な人は見れ
小品

Joseph Gordon-Levittといえば、なんといっても
PREMIUM RUSH

いやぁ…かっこよかったねぇ ワシもファン

でもワシ一押しはメタルヘッド(やり邦題) HESHER (2010)

この映画 めっちゃよかった

しまった調子ぶっこいてザ・ウォーク録画忘れた

starCHもうねえのか…
だいたいstarCHがだめなときは wowow にあるんだが …
えーと 12月10日 あった 録画しとこ…

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AMERICAN CRIME STORY
THE PEOPLE V. O. J. SIMPSON: AMERICAN CRIME STORY 2016

あまりにも有名  O. J. SIMPSON事件
逃走劇からの いわゆる「法廷もの」
たしかに Courtney B. Vance は名演説だったけど
結末は知っているし、人種間・DV・セクシャリティ問題はネタ的表現が多く
法廷ものとしてのみごたえはない
なのでヒューマンドラマ的な要素が多かったけど、
(そこらへんは David Schwimmer がひとりがんばってた感じ)
陪審員の悲喜交々も中途半端すぎるだろう

John Travolta が登場した回あたりまではテンポがあり、
躍動があってよかった

印象シーン、
Courtney B. Vance 名演説
David Schwimmer のヒューマンドラマ…

一番いけないのは O. J. SIMPSONのドラマなのに、
Cuba Gooding Jr.=O. J. SIMPSON
の存在感がまったくないこと(まぁ終始檻の中にいるのでしょうがないんだけど)
なので逃走劇しか…残らないというドラマであった
逃走劇と法廷ドラマを交互にフラッシュするかたちでドラマやればよかったんじゃぁ~
最終回は逃走劇終盤 逮捕で締め…
素人ながら思った

雑談:
Timothy Hutton の AMERICAN CRIME とはなんの関係もない。
個人的には AMERICAN CRIME を イチオシ

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わし なんか記憶違いを起こしているような気がする
ひとと話してたら…ワシが記憶しているラストと違う…
だれか!?
家に帰って youtube 検索
Final scene of 'The Strawberry Statement' (1970)

↑ワシが記憶しているラストと違う…
サイモンが飛び込んで フェードアウトイン
場面は、大都会、街の雑踏、薄曇りの天気、クリスマス、大きなビルの前、行き交う人々、
そこに何人かの学生?がビラ配りしている なんか叫んでるひともいる
そこをぬうように通り過ぎて…ビルに入ろうとするサイモン
あの騒動の後、父が経営している証券会社かなんかに就職した
来春には父の取引会社の社長令嬢と結婚も控えている
一瞬だけビラ配りしている女学生と視線が合うサイモン
リンダだった…
でも一秒後、二人は何事もなく視線を外す
サイモンはビルに吸い込まれる
学生たちは叫んでいる
"Give Peace A Chance”
"strawberry statement"
カットイン じゃなかった?
(笑)
あれ おれ、なんかと勘違いしてる
いったいワシ、なんの映画と勘違いしてるのか?
思い出せねぇ…だれか?
それとも、ユーミンの歌を聴いたために生まれた
妄想?

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笑う月 (新潮文庫)

安部 公房/新潮社

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全17の掌編集である
すべては受動的な夢である
どんな主体的な発言も、どんな能動的行動も…すべて受動的に上映されている「世界-私」─運命(さだめ)という夢なのである
夢─私─世界─現実が、一次二次三次、多次元…複雑に陥入して、こんがらがって「猛烈な回転」して内破していく夢─世界を…「私」は、ただ受動的に受け入れるしかない…
やがてそれは、なんの痕跡も残さず…ぽっかりと消えるであろう
それでよし

ボクも幼少期からいまに至るまで不眠症に近い体質であり、
時折、夢かうつつかわらかぬ…浅い夢に苦しめられる…
浅い夢ほどたちが悪い
夢の中で夢を見る…その夢を見る…というふうに無限後退していく
夢なのか現実なのか…どこまでが夢で、どこから現実だったのか…
もういまはわからない。そのまま…生きている…(最近は生きている事実を疑問に思っている)

今朝も異常な動悸、汗、頭が痛くなるほどの高血圧…嘔吐…のなか目が醒めた
まだ暗かった…
そして…
ふと窓をみると月がこちらを見て冷たく笑っているのだ…
「白昼の意識は、しばしば夢の論理以上に、独断と偏見にみちている」(たとえばタブの研究)

「だから忠告して差し上げているんです。あまり大げさに考えすぎると、収拾がつかなくなる。最初はちょっぴりした違和感でも、その亀裂が日を追って深くなり、あなたの日常感覚を狂わしてしまう。他人との間に溝ができる。人間関係が崩壊していく、ついには生きていること自体に、なじめなくってしまう。」(空飛ぶ男)

「落伍者というのは、他人の孤独を、アンテナみたいに敏感に感じてしまうやつなんです。残酷なふりをするんですよ。それがせめてもの罪ほろぼしなんですよ…」(発想の種子)

「マニヤがカメラに求めているのは、単なる実用主義的な現実ではなく、むしろ空想なのである。…
…カメラが本来もっているはずの、現実志向を逆手にとり、結果を無視することで、現実を拒絶しようとしているのかもしれないのである」(アリスのカメラ)

「…たとえば、ゴミである。なぜかぼくはゴミにひきつけられる。あるいは、ゴミを捨ててある場所にひきつけられる…」
「とにかくぼくは、ゴミにひかれる。廃物や廃人との出会いが、何よりもぼくを触発する…「有用性」が「廃物」に負けることはありえても、「廃物」が「有用性」に屈服することはまず不可能だろう」
(シャボン玉の皮)
月は機械系ギャグ 猛烈な回転 そして…というふうに…




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「普通、物と関係する場を物と並行する方策が取られる。たとえば、原子論における空虚がその例である、だが、そうなると、物とは独立に存在する場は物とどういう関係にあるか、その存在性格が曖昧なままになる。そこで、思い切って物より物の関係を優先させる関係説が唱えられるが、関係は、あくまでも、物の関係であるから、関係とは何ぞやということになると、再び、物に帰られなければならなくなる。かといって、物を捨てて事に徹する道を進むならば、合理性の元となる自己同一者がそこにはないから学問が成り立たない。関係説は、現実としての事そのものを基礎を置こうとする志向と、合理的学問たらんとする思考の不安定な混交である。四次元多様体を使う方法は、この点、自己同一者とその総体的場を同時に供給する巧妙な方法である。」
「物理学は四次元多様体を書き込む際の文法を研究するのであって、事の世界を直接表現するのではない。これを忘れると物理的世界は実在するのか否かという生産的でない議論が生ずることになる。たとえば、物理学は、「放物線を描いて運動する石」を表現するが、「石が放物線を描いて運動するコト」を表現しない。物が運動するコトは日常言語によってしか語ることはできないのである。運動を表す式は、時間点と空間点の対応関係を限定しているのみであり、それは出来事に毫も言及していない。」(115頁)雨宮民雄「数学と質料」現代思想vol.25-9

「物体の質量はどのように知られるか。マッハの答えは、物体間の相互作用による速度の変化、つまり加速度を測定することによって、となる。では速度はどのように測るか。もちろん距離の変化だから、このようにして距離という基本量の測定に帰着する。では、時間はどうか。これは後に再論するつもりだが、図35に示したように、力学法則(配置の変化の法則)をまず確立すれば、それに基づいて時間は再構成できるというのがシナリオである。マッハの次の言葉を想起しよう──「物事の変化を時間によって測ることなど、まったくわれわれの能力を超えている、これとは逆に、時間とは、われわれが事物の変化を通じて引き出した抽象である」。これから具体的な指針を読みとるためには、投射体の運動を考えてみればよい。
図36を見ればわかるとおり、水平方向の慣性運動が時間を図る「時計」の役割をしているのである。慣性運動は「位置の一様な変化」だから、その一様な変化に即して他の変化(自由落下)の割合が測れる。そうすると、慣性運動での変化が同じベースで増えるのに対して、自由落下での変化は1、4、9、16という比率で増えていく(最初の落下距離を1とする)。これを的確に表現する手段が「落下距離は時間の2乗に比例する」という、時間を入れた表現になったわけである。」
(138-9頁)内井惣七「空間の謎・時間の謎」
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現代思想1997年8月号 特集=二〇世紀の数学

青土社

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