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「……党は、今まで散々無駄な道路、箱物、空港、公務員宿舎、ダム、・・・を山ほど作ってきたっていうのに 」

じゃ無駄じゃないものって世の中にどんだけあんの?
バーバリーのコート、AKBの生写、フィギュア、流行のファッション、音楽、漫画、フォアグラ、お笑い、大間のナントカ…
いまはほとんどそんなもんで世の中(経済)ってまわってると
経済よりも大きな不経済が世の中を回している
100円傘やカップラーメンで事足りるのに
無駄上等!

みんなの「ムダ」が世界を救う

なにより国家にとって無駄といえば、
ワシみたいな平均以下の無銭飲食の国民が一番の無駄!!
だと思う
やっぱ無駄上等!
みんなのムダが「ワシ」を救う

「無駄なものなどきっと何一つとしてないさ」
sakurai kazutoshi「it's wonderful world」


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ヨシモチがいうように
イデオロギーじゃなくて

東国原知事急襲に「ギャー」…県庁見学ツアーでサプライズ:社会:スポーツ報知

キョードーゲンソーだけだって( ^∀^)ゲラゲラ

これでもマルクス史観より救いがある

残念ながら人間がいる限り地球上では価値増殖運動は挫折しないのよ(笑)
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容疑者の母親が
モザイクの中で喋っていた。

<平塚5遺体>1遺体が不明長男と体格酷似 逮捕の母を追及 | Excite エキサイト : ニュース

マルクス-ニーチェ-フロイト、
この三人のトリアーデが、現代思想の基盤を用意した……とよく言われる。

そのテーゼを
要約するなら
「経済(ルサンチマン)的なものが、「無意識」に人間を規定する」
ということだろう……

チカラ→形態→モザイクの母

チカラの痕跡…「交通」の痕跡…都市、形態……
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マルクス―いま、コミュニズムを生きるとは?
大川 正彦
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入社式の日に
大川正彦「マルクス」を読む。

「吸血鬼(資本家・経営者)の飽くなき衝動」
「困窮に悩む」生活
労働に「苦しみ痛む身体」
……

労働者=奴隷説

そんなに働くのが嫌だったら
やめればいいじゃん~
やめちゃえ!
やめちゃえ!
……


ロードーシャはつらいよ!

そんなにツライのに
みなさん、その吸血鬼(資本家)が好きみたい~
人気吸血鬼(バンパイヤ)ランキング
(ひょっとして、自分も吸血鬼になって、もっと弱い人(貧乏人)の生き血を吸うことに決めたのかも(笑))

テレビで見たけど
入社した皆さん
やる気満々……
血すうたろうか… by kanpei
これから血吸われるのか…(笑)


「悩み苦しむことができるものだけが実際に存在に値する」と(p.36)
あんたからいわれることはないと思うんだけど


人間の自然=本性が、歪められたから(p.25)、
元に戻りたい(自然に帰れ)思想なのか
それとも
ソ連のような新しい社会的人間の創出なのか
はっきりすべき!(笑)


そもそも
「人間の自然=本性が、歪められた」
なんてどうして分かるのかフシギ
あんたが勝手に決めることじゃないと思うけど…
あんたの勝手な思い込みじゃぁ~

以上、
マルクスの「あんたのバラード」でした……。


鉄鼠 : 大庭健の好きなところ
「おいしさ路線」に対抗できる?
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他人のものは自分のもの
自分のものは自分のもの
その言い換え

おいしさ路線か!

だから人間(家族)の共産主義がさぁ~(笑)

鉄鼠 : あるブログを読んで
鉄鼠 : マルクスはブスを愛する?
鉄鼠 : 藤野寛「家族と所有」から

♪ 今日も暮れゆく
♪ 異国の丘に
♪ 友よ辛かろ
♪ 切なかろ
(「異国の丘」増田幸治)
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「名をなした先人はみんな不良だった。
マルクスは家のまかない娘に手を出して子を生ませ、生涯それを、「エンゲルスの子だ」と偽って隠し通した。エンゲルスは、死ぬときになって、その事実を暴露した。トルストイは嫌いな妻から逃げ出して、最後は駅のベンチでコロリと死んだ。ドストエフスキーは生涯ギャンブル狂で妻を悩ませた。ゲーテは若い娘と情をかわして手をやき、あげくのはてはアル中になった。
 みんな好き放題にやっている。アインシュタインは最初の妻との離婚に手をやき、ノーベル賞の賞金を渡してやっと別れた。なかにはエジソンのように、恋の告白を、にぎりしめた手でモールス符号で伝えた、というロマンチックな話もある。みなさん、お好きなようにやっていらっしゃる。
 谷崎潤一郎は、自分の妻の妹と恋仲になり、妻を佐藤春夫へ譲った。佐藤春夫は、晩年、その妻の尻にしかれた。北原白秋は三人の妻と結婚し、最初の妻は人妻だったので、姦通罪で市ヶ谷の牢獄にぶちこまれた。二番目の妻は、寺の坊主と再婚したが、最後に座敷牢で糞尿にまみれて死んだ。みんな、とんでもないオヤジばかりだ。」(嵐山光三郎「不良中年は愉しい」)

これにキリスト、ブッダ、ソクラテス、ニーチェ、啄木、ヤギ男(中也&コバ)、太宰……
と続く…??


よごれちまった
      かなしみは……(笑)

「不良中年」は楽しい
嵐山 光三郎
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「コミュニケーションとか言ってないで
はっきり
セックスしたい!っていえよ(笑)」


承前。

勘違いしないでいただきたいのは、
これは男同士の場合にこそ、一番必要なことだと思ってる。
「だれかと交わりたい」
「コネクトを確立したい」
「セクスしたい」といわないで、
「ラカンの対象aは…無意識の言語構造は…」
「新保守主義の台頭…
ストップザコイズミ…」
などといわなければならない男の悲しさ~(笑)
「いかに男は嘘つきになったか~」(橋本治)

いったい
「どうして男は”男”をこわがるのか」(橋本)
みんな仲良くなりたいだけなのに
みんなセクスがしたいだけなのに
どうしてそれが素直にいえないのか?

やっぱ橋本治は、マルクスよりエライ!


蓮と刀―どうして男は“男”をこわがるのか?
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小泉義之 「ドゥルーズの哲学 生命・自然・未来のために」(講談社現代新書)

世界は丸くおさまらない。
世界は徹底的に開かれている。

「小泉のドゥルーズ」も、そう主張していたはずである。
しかし、この本、後半になると無理くた革命思想が押し当てられてる。
そこだけ、ちょっと、不満…

「小泉のドゥルーズ」は、このルサンチマン(人間)を素材にすることよって、人間を克服するという。
そんなことができるだろうか?
「円環の(世界が丸くおさまる)イメージは、哲学にとっては、真に開始できないという無力を示している」(71頁)(()内筆者 ドゥルーズ「差異と反復」)
確かに(その意味でいうとニーチェは、それと格闘したし、他の奴らは、それを誤解した)。
だいたい、「力への意志」を肯定しようが否定しようが
力への意志は、全然揺るがない。
なぜなら、力への意志は、生命「への」意志だ(我欲す)からである。
しかし、多数の我欲す力への意志は、競争する「力への意志」でもあるから、
ほとんどは、挫かれ、ルサンチマンへと転化する。
ゆえに、「力への意志」を肯定しようが否定しようが
「力への意志」は、全然揺るがない。
「力への意志」の否定も、同じ「力への意志」であり、
サンチマンであり、「力への意志」である。

そういう「人間を嫌悪するからこそ、人間を発生させる力を認識する」(184頁)
つまり、そんな弱く毒々しい「ルサンチマンを嫌悪するから、力への意志を認識する」
「そして、その力を変換して
 細胞核に潜在する力を解き放つ」
(同)
……
しかし、これじゃマルクスの弁証法の変奏でしかない。
ドゥルーズ=小泉は、挫かれた我欲す力への意志をルサンチマンに変換して、「細胞核(プロレタリアート)に潜在する」荒ぶる「(暴)力」を解放させることによって、円環を突き破り、真に開始できているつもりになっている(その点はマルクスとおんなじだ)。
それではルサンチマンは、革命理論として止揚されているだけであり、結局、そういう弁証法として、丸くおさまっているではないか!。
差異でしかない力を、神学化して、革命理論と結びつけているだけである。
そもそも、見えない自然の「力」は、否定も肯定もできない。
見えないのだから。
人間に出来るのは、そのフルマイを「当らぬも八卦的」に利用したり、その結果に驚いたりすることだけだ。
ところが、ドゥルーズ=小泉的な「力」は、
目が三つがあるとか、ケロイドだらけの顔のミュータントのSF映画や仮装行列を想像したり、
考えることだけで「力」について思考したつもりになっている。
しかし、それではいつまでたっても細胞の表面(形相)をすべっていっているだけで、「細胞核に潜在する力」は出てこない。
チカラのチの字も出てこないのである。
細胞核に潜在する力は(ていうか、「見えない力」という言葉が適切かどうか疑問だけど)、もっと開かれている。

その意味で、このドゥルーズ=小泉的な「力」は、「力」の非主題(無限定)的な本質(こんな言葉が適切だとは思ってないが)を捉え損なっている。

「世界は丸く収まらない。
 世界は徹底的に開かれている。
 最初から否定されるべき円環なんかない。
 克服されるべき人間などいないのだ。
 解放すべき力などない……力のすべてはさらけだされている……
 ていうか、「見えない力」こそが(ていうか力のすべては見えないのだ)、
 すべてを現実化させている。
 もちろん、人間もである……
 ……」
もし、そうであるなら、残念ながら、ボクたちは、それを対象化できない。

最後に、小泉の発言を訊こう
「現代思想は、力を思考するという努めを放棄した。力から生い立つ新しいものを思考するという努めを放棄した」(196頁)
つまり、小泉は、現代思想は、権力に抵抗するあまりに、ルサンチマンを鼓舞し、「力」を思考するという努めを放棄した。
「力から生い立つ新しいものを思考するという努めを放棄した」のだと読める。
「ドゥルーズは、そこから出発して、普遍数学と構造主義を仕上げた。知覚不可能で想像不可能な力を、微分的なものとして思考した、思考不可能な力を思考の極限として思考することによって、微分的なものを肯定的に思考した。だからこそドゥルーズは、不可能なものを要請して信じることができる」(196頁)
結局、「見えない力」を信じているだけである。荒ぶる見えない力を、その形相(細胞の表面)に投映することによって、自然化?を試みたつもりになっているのである。

小泉=ドゥルーズは、なにをそんなにおどおどしているんだろう。
みんな勝手に生きるし、生きているし、殺すし、殺されるし、死ぬ。
そこに何の理由もないし、何のつながりもない。
つまり、ひとは、すでに「知覚不可能で想像不可能な力」のただなかで生きている……
泣いたって笑ったって
主客が脱落したって
世界は丸く収まらない。
世界は徹底的に開かれている(変化する(生成・消滅)=断絶している)。
開かれているから、おもしろい…つまんない…たのしい…苦しい…うれしい…哀しい…咲き乱れ……空を舞い……唄う……


日が沈み 大地赤く染まり
空を舞う鳥も森の中に
眠りの支度 羽根を磨く
そっと休ませ 無に目を閉じる
空を舞う日々 風揺らぐ木々の中で
清く 淡く 強く生き
好きでもなく ただ 空を舞い
欲などなく また空を舞い
子を産み育て 木々の木陰に
巣を作り運ぶ虫をエサに
月が見守るこの大地の中で
ひたむきに生きる毎日の中で
流れる時はゆるく 生き方は変わらずに古く
ありのままの この大地で
また風のままの毎日へ(ケツメイシ「花鳥風月」)

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