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すさまじきものにして見る人もなきブログ!
中野さんはあたまがよすぎるんでしょう
民主主義やリベラリズムって 基本バカがする政治なんです
バカに合わせるのが民主主義
だれもオルテガの立ち位置でバカにバカといえる資格のあるひとはいません
間違いが起こったら、その都度
バカ同士話し合いして、かえればいい
「だいたいそこらへん」の政治
官僚化を非人間化とみるか、こういったバカ化の政治だとみるかの差だと思いますヨ

「バカ化の政治」
だというとみんな身構えますが
ロールズに「無知のヴェール」というのがありますが
あれに似たようなもんです…(笑)

ソクラテスも「無知の知」というからいけないんです
どうせプラトンの創作でしょうけが 
賢人(哲人)政治を目指すプラトンはソクラテスを殺した民主主義(多数主義)を否定して、無知の知なんていう屁理屈を拵えて…
なにがなんでもソクラテスを英雄にしたかったんでしょう
だってソクラテスと批判された人たちは、同じように無知(バカ)だというだけでしょう?
自分がバカであることを悟ったからってそんなに偉いんですか?
目くそ鼻くそです
人間は「みんな不完全でバカであることを知った」だけじゃないですか?
本来なら賢人政治の根幹を揺るがしかねません

プラトンのように他人の頭押さえつけて頭一つ出す方法じゃなくて
自分がバカだと知ることは謙虚さにつながりますから、
少数意見を取り入れやすい態度になりますネェ
バカ同士だと「バカだから認められない」なんてこともありません
ロールズの無知のヴェールは社会的弱者になって考えるんですが
ソクラテスのヴェールは「バカ」になって考えます…
それこそ無知の知…じゃないかと…(笑)
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官僚の反逆 (幻冬舎新書)

中野 剛志/幻冬舎

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いままさに
安倍政権を揺るがせているのは
政治主導に端を発する内閣人事局の発足に伴う、
官僚の怨嗟憤懣
官僚の反逆のとき ???

それにしても官僚の力を弱めようとした古賀さんが…逆襲?
逆襲されるならわからるけど…(笑)

本の内容はオルテガ(大衆批判)とウェーバー(官僚化)を軸に
米国を中心に、最近の経済思想史を軽くなぞっただけものかなぁ

官僚化-非人間化、画一化、グローバル…
ま 要するにアメリカニズムに対する怨嗟
ま ものすご~くどうでもいいことに難癖をつけてるだけのような気が…する本ですが


中野さんの考え方に根本的なところで違和感を感じるのは、
やっぱり日本人的秀才の生真面目さというか…
ひとつのミスもゆるさん みたいなところだろうか?
米国のミスを後出しじゃんけんであげつらうのはいいんですが…

ぼくはこう思うんです…
「間違わないひとはいない」

中野さんはあたまがよすぎるんでしょう
民主主義やリベラリズムって 基本バカがする政治なんです
バカに合わせるのが民主主義
だれもオルテガの立ち位置でバカにバカといえる資格のあるひとはいません
間違いが起こったら、その都度
バカ同士話し合いして、かえればいい
「だいたいそこらへん」の政治
官僚化を非人間化とみるか、こういったバカ化の政治だとみるかの差だと思いますヨ
(経済思想史的には(あんまりよく知らんけど)新古典派のなかに社会主義(計画経済)的な人間観をみるのか はたまたハイエクの「自由主義」 …自生的秩序をみるのか…そこらの差かなぁ)

じゃなんでバカに合わせるかというと
中野さんもおっしゃるように
「政治はつねに不確実性のなかのジツゾン的決断(暗闇への飛翔、盲目的試行などなど…)」
そういうことですねぇ。
そういったジツゾン的世界、あるいはそういった未来に対する「決断」みたいなもんには専門的知識が成り立たない
(しっかりとした目的があるときには専門的知識は成り立ちますが、これからどの目標にすべきかという専門的知識は成り立ちません(だからみんな細木数子さんのところに行くんでしょう(笑))このことについては土屋賢二「哲学を疑え!」p.74-5を参照のこと2のタイプの悩み)
そういう不確実性(暗闇)の中では秀才もバカもイッショということになります。
(むかしからそういうことを瓢箪から駒とか…バタフライ・エフェクトとか…人間万事塞翁が馬とか…我が国の敗戦から繁栄とか…ありますねぇ)
アメリカの後追いするしかない日本国で、後出しじゃんけんで批判するほどアホでヤボなことはありません。
世界経済も前述した不確実性の決断の連続であって、
いわば、そういう過酷なゲームを24時間やり続けなければ死んでしまうようなジャンキー的状況…
Velocity of Money そのhddとなってぶんまわし続けるのが米国の役目なんですから…
「文句があるならオメエがぶん回してみろよ!」=アメリカへの挑戦ってことになりかねません
多少の不具合はしょうがないとして、そのつどそのつど暫定的に修繕するしかないというのが、後追い属国の日本の立場では…?

併せて読んでもらうと…
橋本治「国家を考えてみよう」 : すさまじきものにして見る人もなきブログ!

哲学を疑え!笑う哲学往復書簡

土屋 賢二 石原 壮一郎飛鳥新社

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ハイエク 知識社会の自由主義 (PHP新書)

池田 信夫/PHP研究所

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中野剛志「国力とは何か」 : すさまじきものにして見る人もなきブログ!

国力とは何か―経済ナショナリズムの理論と政策 (講談社現代新書)

中野 剛志/講談社

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「この社会契約論的な国家理論は、歴史的にも、理論的にも間違っている、実際には、近代的個人が国家を作り出すのではなく、その反対に、国家(ステイト)が近代的個人を作り出したのである」(96頁)中野剛志

後段はわかるけど、前段はおかしい。
国家成立してはじめて個人を作っているのなら、
個人が国家を作ることは不可能である…
この手の教科書的には、そうではなく、国家を作ったのは人民 people ということだろ
(ここでは「人びと」でもいいが、人民とする 要するに単なるヒトだ)
人民が初めて国家を設立して法(文)を作り、その文(法)に従うのが国民じゃないの?
その国民も国家と癒着してしまうと、全体主義になるから個人というものが尊重され
パブリック(公的空間)というものが設定されるわけでしょう?ちがう?
もちろん、なぜ人民に最初から「主権(権利でもいい)」のようなものが付与されているかは、そうでないとなんでもないヒト=人民が国家を設立できないからで、この理論の論理的な要請にすぎないフィクションである。
そのフィクションを拒否したままでは、民主主義の理論なるものはいつまでたってもはじまらない(笑)
そもそも民主主義の理論(社会契約論など)は状況理論ではなく、規範理論であろう
現実がどうであったとか、歴史的にどうであったとかまったく関係ないとはいわないけれど
状況や歴史がどうであった、現実にはこうであったが…
むしろ、そうであるがゆえにこうでなければならぬというのが規範
またその「論理」でしょう
ほにゃらら…であるから、ほにゃらら…すべしという規範は導けない
この手の民主主義理論について 「歴史的に違う」 「現実はこうだ!」というひとは多いけれど
いってることは「赤信号、みんなで渡れば怖くない」みたいなもんと大差ない

論理的にものを考える : すさまじきものにして見る人もなきブログ!
ところで、論理的に考える……というのは、どういうことか知っているだろうか?
その点について、
哲学者の永井均さんの、次の例は大変に分かり易い。
(1)「人間は動物ではない  
  犬は人間である
  それゆえ、犬は動物ではない」
(2)「魚は水中を泳ぐ
  マグロは水中を泳ぐ
  それゆえ、マグロは魚である」
(「翔太と猫のインサイトの夏休み」(158-161頁))

さあてこの二つの推論のどちらが「論理的」に正しい推論かわかるだろうか?
………
(1)である。
なぜか?
(1)は、「すべてのBはCではない
 すべてのAはBである
 それゆえ、すべてのAはCではない」
となってるが、(2)は、そうではない「非論理的で、正しくない推論」である。
論理的に考えるというのは、「正しい」前提から「正しい」結果を得ることに尽きる。
そこらへんを永井は次のように言っている。
「論理的な正しさってのはね、前提や結論の事実的正しさとは関係ないんだよ。二つの前提がもし正しいとしたら、結論もどうしても正しくなくちゃいけないっていえるかどうか、これがポイントなんだ」
by 鉄鼠 | 2005-10-04 07:13 |

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国力とは何か―経済ナショナリズムの理論と政策 (講談社現代新書)

中野 剛志/講談社

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それは中野さんぐらいエライ人が考えればええこと わしら庶民が知っても考えても、なにをどうしようもない

「ナショナリズム」をタブー視(否定)するイデオロギー
そういう風潮があったことは認めるけれども、
ナショナリズムはナショナルやネイションが国家・国民だとすると
平べったく訳しても国民主義、国家主義にしかならないよねぇ
しかし、この国の主に左の人たちだって、国家、国民まで否定しているわけではないし、
国家も国民もいらない言ってる人たちは、そのごく一部だと思う
ナショナリストの反対はコミュニストでもソーシャリストでもはたまたリベラルでもなんでもなくてアナーキスト
だから日本のほとんどのひとたちはナショナリストじゃないかなぁ
それ以上の意味はないと思うよ…続くかも

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