タグ:橋爪大三郎 ( 4 ) タグの人気記事

橋爪大三郎「世界は宗教で動いている」

世界は宗教で動いてる (光文社新書)

橋爪 大三郎/光文社

undefined

よくいわれることである
橋爪さんによれば キリスト教では
god→王・政治家→民
であるからだという
要するにジャーナリズムは王、政治家が、godの正しい道から外れていないか?
それを質すのがジャーナリズムということになる
じゃーあ、日本の天皇はどうなるんだろうなぁ
godというのであれば、ジャーナリズムは天皇擁護になるし、王・政治家というなら天皇批判となる
日本にgodはいない…日本のジャーナリズムはなにをリファーして政治家・天皇を批判してんだろう?…米製のgodか?
godのいない国日本でジャーナリズムの存在意義ってなんだろうねぇ??


[PR]
「『論考』(独我論)にとらわれている限り、ひとは生きることができない。生きることは、生きるとは、他者とともに歩むことだからだ」(橋爪99)

しかし、『論考』はこうも言ってる
「5.64 …独我論を徹底すると純粋な実在論と一致することが見てとられる。」

[PR]
「むしろ、言語によって「私はここに一人いる」ことが保証されているんじゃないかなぁ…」
すさまじきものにして見る人もなきブログ!

『論考』時点で、どうかはしらないが…専門家ではないので(テヘッ003.gif
「歴史が私にどんな関係があろう。私の世界こそが、最初にして唯一の世界なのだ。私は、私が世界をどのように見たか、を報告したい。
 世界の中で世界について他人が私に語ったことは、私の世界経験のとるにたらない付随的な一部にすぎない。
 私が世界を判定し、ものごとを測定しなければならない。
 哲学的自我は人間ではない。人間の体でも、心理的諸性質をそなえた人間の心でもない。それは、形而上学的主体であり、世界の(一部なのではなく)限界なのである。」(ウィトゲンシュタイン『草稿』二七一頁)

はじめての言語ゲーム (講談社現代新書)

橋爪大三郎 / 講談社


[PR]
「『論考』の主張を、もう一度思い出してみよう。
 世界の言語は、一対一対応している。そして、それは独我論をいみする。……こういう主張だった。
 これは「世界は、言語があるようにあり、言語は、世界があるようにある」、ということだ。そしてそれは、「私はここに一人いる」ことで保証されている。
 これは、私が、神のような存在であることを意味している。」橋爪大三郎「はじめての言語ゲーム」

やっぱり、そういう解説になるのかなぁ??…
ちなみにワシはウィトゲンシュタインがどう考えたのか詳しいことは知らないし、
ていうか、橋爪さんの解説に意見が言いたいわけではない(そんなことできるわけないし)…

ただ、ワシが考えるに
「私はここに一人いる」ことで
「世界は、言語があるようにあり、言語は、世界があるようにある」は保証されはしないし、むしろ、言語によって「私はここに一人いる」ことが保証されているんじゃないかなぁ…まして神のような存在なんか1ミリも意味していない。
 そういう保証された後なら神のような存在になれるかもしれない?…

 ちなみに本書は、ワシのような一般人でも、たいへんためにもなる刺激的な本です。

はじめての言語ゲーム (講談社現代新書)

橋爪大三郎 / 講談社


[PR]