ネットオタクの去勢不安

カメダ問題
livedoor ニュース - 亀田父VSやく ネットは父の「判定負け」
「なぜオトコはオトコをこわがるのか」(橋本治)

バッシング報道というのは、
(プロ野球界再編の時も、そうだったけど)
すでに(「コイツが悪い」という)結論が決まっていて、
それにとって都合の良い事例(データ(ネタ))だけをかき集めて並べる手法を取る。
いわばジャーナリズム的帰納法である。
(この手法なら、たいがいのひとは悪人になるだろう)

バッシングのバンドワゴン……
マスコミも心得たもので、そういうニーズに応えるべく
そういうネタばっかりを提供する。
アホの循環が始まる。

マスコミネタの場合、
ほとんどのひとは、実際には逢ったことも話したこともない人物が対象であるから、
「コイツが悪い」「良い」とか言ったって、
マスコミネタ(風説、伝聞、ウワサの類を含む)による、個人的なイメージだけで
判断してるだけ、
ほとんどの場合、
単に、対象を生理的に嫌いというだけのことを、
上述したジャーナリズム的帰納法でもって(恭しく修飾して)繰り返しているだけ。
もちろん、そんなもんにリクツなんかない(理性的でも論理的でもない)。


様々な八百長根拠を読んだが、具体的な証拠を提示しているものはない。
そもそもことの発端が、そういった
決定的な証拠(盗撮(盗聴)テープや、関係者(ジャッジ)の内部告発等によるものではなく、
多くのシロウトが、お茶の間で見ていたら、クロウトのジャッジ(判定)に、満足できないところからきている。
「自分が満足できない(受け入れることができない)」から、八百長をやっていると類推しているものが、ほとんどであった。
シロウトの個人的な見方、印象(*1)を核にしている。
早い話、「自分が八百長だと思うから、八百長だ」
「シロウトの意見は、ゼッタイに正しい」
「自分が「思う」ことは、ゼッタイに正しい」
と言ってるに過ぎないから、
必然、八百長の具体的な証拠の提示は、そっちのけで、
対象(カメダ)、あるいは対象の家族について
そのパフォーマンスや、生活態度、礼節、はては子育て……などの
八百長とは関係のないバッシングばかり
いったい何のハナシなのか……
暗然とする……
あーあ。

「自分が「思う」ことは、ゼッタイに正しい」
頑迷固陋か、クレタ島人のうそつきか

どうよく見積もっても
この次元では、
ジャッジ(判定)に満足できない、不満だという程度のものだろう……
しかし、
ここまで執拗に、カメダバッシングしてきた人達は
単にジャッジ(判定)に満足できないという程度を越えている。
「自分が「思う」ことは、ゼッタイに正しい」
から
「カメダを嫌う自分は、ゼッタイに正しい」……
絶対的な強さを誇示(パフォーマンス)するカメダに対して、
凡庸な弱者が、カメダ(強者)を否定すること(ルサンチマン)で、自分を肯定する(イソップ物語のように違った価値軸に引きずり込み、勝とうとする…その意味でも凡庸な…奴隷一揆)
また、ある種の防衛機制(去勢不安→自己愛・自己全能感)
エディプス・コンプレックス(思春期)的な要素を内蔵していることは見易い。

要は、自分(ネットオタク的(*2))の脆弱さと不安
だからこそ、
執拗な攻撃が続く……

関係のない態度(「洗練された無関心」)が取れない……でいる。


そんな事態になってしまう原因として
ごく雑ぱくに言って、二つあるような気がする。

・戦後教育と個性
・戦後民主主義
(以下は、大雑把な覚え書き)


・戦後教育と個性
ガキの頃、ガッコのセンコーが
日本人は、外国人に比べると
批判精神が足りない
個性が足りない
と、
さかんに言った。
(たしかに、そういうところがあるのは、ワシも認める)

ガッコのセンコーだけではない。
進歩的文化人などの、ほとんどは、口を揃えて、そんなことを言ってたように記憶する。

それでか、
どうだかはしらないが
いまでは、
一億総評論家といわれて
何かというと批判する。反対する。
左といえば右
右といえば左
賛成なら反対
反対なら賛成
国家対市民
という具合に……
批判し、反対してたひとたちにすら、
批判し、反対する(プチなしょは戦後民主主義と同型のアンチ形式…)
まるで批判しなければ、遅れをとるとでもいわんばかり
それが自分の個性だとでも思っているような観すら感じる。

しかし、当人の意識とは裏腹に、
気がついてみたら、
みんな同じような
批判したり
反対したり
してるだけ。
それどころか、徒党を組んで、
ちょっとでも違う考えの者たち(少数派)を、
「気持ち悪い」、「態度が悪い」…と
バッシング、仲間はずれ、村八分……プチファシズム。
どこにも主体的な若者も、個性もない。
(同じ穴のムジナは)バカの一つおぼえの二項対立を再生産して
仲間内でまぐわっているうちに…だんだん誇大妄想に陥っている…現状。

livedoor ニュース - 亀田擁護カキコミは 「プロ工作員」の仕業?
とうとう陰謀妄想か……( ^∀^)ゲラゲラ

・戦後民主主義

ニーチェによれば
民主主義とは、弱者(多数)が徒党を組んで、強者(少数)の寝首を襲って樹立されたシステムに過ぎない。
だから、それは徹底的に弱者の政治であり、
弱者の政治であるがゆえに、
決定的に病んでいる(「弱いが強い」というデカダン)システムである。

民主主義は、原理的に機能すれば機能するほど、
「脆弱さ」を善良とし、
「弱さ」は、どんどん膨張してしまう(病気(デカダン)を深めてしまう)。
歯止めが利かない。
無垢な「強さ」「勇気」……強い者に憧れるという自然な傾向(ギリシア性)は否定され、
それに対する恐怖症が反復される。

ボクらが、有史以来、
きわめて知的なものに偏重した(いまもしている)社会に生きているのも、それと無関係ではない。

もちろん現代のような知的に偏重した社会、民主主義社会の原理(弱者の原理)からすれば、
ヒトを殴り倒して、その上に起つようなスポーツ(強者の原理)は、なんであれ、不道徳であり、禁止すべきであろう。
実際に欧米では、ボクシング廃止論は、重要なテーマになっている(他人を殴るという、他者危害の原則からの著しい逸脱)。

知的に偏重した社会が、ボクら凡庸な人間にとって、ホントに居心地の良い社会なのか、どうかは、まだ、これからの課題である。


・(美)徳の問題、
・闘争の倫理の問題
・中世的倫理と現代民主主義の倫理
・マッキンタイアー(認識主義)的美徳の限界と乗り越え


鉄鼠 :「 おマイラ、他に楽しみがねえんか?」
鉄鼠 : ドラゴンザクロ
鉄鼠 : エディプスと阿闍世が、こんがらがってワールドカップ!
鉄鼠 : 人間が人間を愛する原理…セクス
鉄鼠 : アンチバカ序説

note-------------------
(*1)だいたい、シロウト目だけでは
地球が丸いってことも
地球が動いているってことも
受け入れられるものではないだろう。

(*2) 小学校の時、逆上がりを出来なかった組的ルサンチマンとか…
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by qsso | 2006-08-09 06:40 | つれづれ | Comments(5)
Commented by cb at 2009-08-24 17:34 x
>戦後民主主義

弱くても強いと言い張っていた張子の帝国に戻るよりましですね。
病人が病気を認めない過去の価値観こそむしろ病んでいる。
現代が知的に偏重した社会ならば似非科学に騙される人は存在しないはずでしょう。
Commented by qsso at 2009-08-25 05:27
そこは端折って書いた…(何度か書き直そうと思っていたけど)
「知的に偏重した社会」→知的なものに偏重して価値を置く社会
ま、そういうことにしといてくれ(^∀^)
バリバリ体育会系やヤンキーが流行る現代ではないというぐらいの意味ということで…
Commented by qsso at 2009-08-25 05:30
> 病人が病気を認めない
> 過去の価値観こそむしろ病んでいる

ワシたちもまた
なんらか病気かも知らん
Commented by qsso at 2009-08-25 05:59
> 弱くても強いと言い張っていた張子の帝国

デカダンってのが
弱い→正しい
病気(異常)⇔健康(正常)

弱い→強い
病気→正しい・正常⇔正常→病気
へと容易に転化する
そういうことでいうと
戦前と戦後は、基本的には、そんなに変わんないかもしれないネ
戦後は、もっと成熟したデカダンってことかなぁ
Commented by qsso at 2009-08-25 08:14
問答無用に相手が病気だ(自分が正しい)という前提に考える戦略は、相手から見れば同程度、自分もそういうもんだと考えてみるのに役立つか…
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