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A子さんとB子さん、二人は対照的である。

「A子さんは都会的な美人でJ大学の国際部に学ぶお嬢さんである。父親は同じJ大学の文学部教授であり、兄はT大学大学院で美学を専攻している。家は東京山の手の戦前からの地味な住宅地にある。彼女は自分を特別恵まれていると思わず、幼い頃から家庭でも学校でも自然に愛情と尊敬の入り混じった扱いを受け、それに自然に慣れている。もちろん、自分が人並み以上の美人であること、人並み以上の知性の持ち主であること知らないことはないが、それは彼女にとってとりたてて問題はなく、決して高ぶらず卑下もせず、きわめて自然に自分を肯定している。
 そして、彼女は他人の不幸をわがことのように哀しみ、他人の幸福をわがことのように喜ぶ天性のようなものを具えており、それがとても自然であるので、誰でも嬉しいとき悲しいとき彼女に報告したくなってしまう。」(pp.74)
 それに引き替え、
「B子さんにはA子さんに与えられたものがすべて与えられていない。彼女はくらい地味な顔つきでとりたてて醜くはないが、すべての造作が小さく細く寒々とした印象を与える。両親は彼女が小学生のとき離婚し、もの心ついてから耳をふさぎたくなるような醜い男女の言い争いを見てきた。これまでどんなに親を恨み、温かい家庭を羨んできたことか。暗くかじかんだ少女時代、男からも女からも好かれたという記憶がない。一年浪人し、やっとの思いでJ大学に入り、思いもかけずA子さんと親しくなり、何とA子さんを妬ましく思ったことか。そして、なんと自分のヒリヒリした僻みと妬みと羨望を醜く思ったことか。B子さんは声を大にしてA子さんに言いたいのだ。

 私もあなたのように美しく恵まれた境遇に生まれていたとしたら、あなたのように他人に存分に親切にできたでしょう。でも、この私があなたを羨まないそぶりをするだけでもう全身が崩れるほどに疲れ果ててしまう。私はそんな気持ちを知らないあなたのはれやかな笑顔や軽やかな身のこなしが憎い!

 そして、あるときB子さんが何かの弾みでこうした内心の叫びをA子さんにぶつけたとしよう。A子さんは一瞬顔をこわばらせ、それから涙を流してB子さんをじっと見つめる。
あるいは「あなたがそんなことを考えているなんて知らなかった」と小刻みに肩を振って両手で顔を覆う。あるいは「私はあなたのほうがずっと素晴らしいと思っているのに」とB子さんを温かくくるむように見つめる……。
 ああ、いかに対応してもA子さんは負けないのである。」(pp.76)

中島から言わせれば、A子さんは、次のように言えるかも知れない……
「「カントにとって、嘘と欺瞞で固めた卑劣漢も、放火常習犯も、強姦常習犯も、狡猾な日和見主義者も、弱者を足蹴にしてのし上がる冷酷無比の企業家も、権力に安住している官僚も、悪徳政治家も、悪のモデルではない。」(pp.34)
「カントがもっぱら矛先を向けたのは、外形的に適法的行為=義務に適った行為を完全に成し遂げながら、同時に自己愛という動機に支配されている人間である。彼らは、社会的に「賢い」からこそ、より危険なのであり、社会的に報われているからこそ、より悪いのである」中島義道「悪について」(pp.34)
「非適法的行為を斥け、適法的行為を実現している人々のほとんどは、自己愛という動機を発動させて外見を維持しているだけである。彼らは、おうおうにしてみずからを道徳的にも善いと信じているからこそ、いっそうその正体は悪なのである。」中島義道「悪について」(pp.55)

「そんな筈はない」
A子さんを支持するような人たちは、
そんなA子さんでも「想像力を働かせることによって、実際に自分が不幸にならなくとも「あたかも不幸になったかのような」態度で他人に接することはできるのではないか。自分が美しくなかったとしたら、裕福でなかったとしたら、望む大学に入れなかったとしたら………と次々に想像してゆけば、A子さんは当然B子さんの気持ちもわかるはずではないか、と。
 冗談を言ってはいけない。およそ幸福な人に不幸な人の気持ちが分かるのは、この世で最も難しいことなのである。そのうえ、「気持ちがわかる」こととその不幸を生きることとは厳然と異なる。失明した人の「気持ちがわかる」ことと、失明して生きつづけることとは天と地ほど違うのである。」(78)

以上
中島義道「カントの人間学」
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実名反対派の論拠

「私がインターネットの会議室といった匿名メディアが嫌いなのは……~中略~……匿名の無責任とか攻撃性とかいろいろと理屈はつきますけれど、なによりもイヤなのはあの名前、ハンドルネームというのですか、あれがイヤなんですね。「みみん」とか「パオパオ」とか「毒林檎」とか、こんな名前を名乗る奴の意見なんか聞きたくないし、第一話し相手に値しない、と思ってしまう。
 ところがこういう名前を嬉しそうに名乗る輩が跡を絶たない。というよりも、きわめてたくさんいます。今や日本人の大部分が、この類いのメディアと関係していることを考えると、いい年をした大人からかなり若い人までが、平気で自分の名乗りとして三十年前の避暑地の喫茶店のような恥ずかしい呼称を使っている。
 このことは、今日の日本人が、自分というものを、というよりは自分を他人に示すということをいかに安易にかつ愚かしく考えているか、ということの証左のように私には思えるのです。
 むしろ、それは安易ですらないのでしょう。もう議論以前の、自己像の幼さと、それを平気で──匿名空間という場所であるとはいえ、いや私はそういう場所であるからこそ、なおさらよくない、と思っているのですが──他者の前にさらす、救いようのない弛緩がそこに露呈している。」(pp.120-1)福田和也「悪の対話術」
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一見反戦のコラージュのようであるが
そうではない。
戦争を囲い込む
戦争をやりたい者同士で囲い込もう~
戦争をもともとの古式ゆかしい武道へと
ちゃんと戦うリングを設定し
いわば、選手宣誓をさせよう
という作戦だ。

もっとも、実際には、
逆に、ボクらのほうが、コクサイシャカイという名で、
囲い込まれているのであるが……
(しかし、これではロック(土地所有をめぐる)の堂々めぐりとおんなじ結果になると思うが)

これに似たことをいうひとは、保守派論客のなかにもいた。
よく日清、日ロ戦争を引き合いに出してアメリカの戦争(大量殺戮)を批判したものだ。

学者らしく、ルールによる、囲い込みは分かるし、
その厳格な態度には、共感もするが、
戦争というテーマ(重い現実)を真正面から論ずる倫理学としては、
あまりにも、一辺倒(認識論的(訓詁的法律談義))すぎて、ウソっぽく感じた。
戦争には、もっとリアルなひとびとの(決して一部の権力者や大企業だけでなく)「欲望(呪われた部分)」というものが絡んでいるはずで、
そういうところをキレイにすっとばした議論は、うそっぽいし、眠たい。
(特にバランスを著しく欠いた
 持論の平和論は余計だった気がする(プゲラ笑)。
 そういう手前勝手なリクツで正義感ブリたいひとにはうってつけの慰撫本かもしれないが)
本書から、
そんな戦争のリアルさは微塵も感じない。

飢えた子どもの前で
綿菓子食いながら、説教垂れているのは、楽しいだろうか?

こんなおちゃらけ(説教(倫理学))では
社会学にも経済学にも勝てないわなぁ~

(オワリ)

加藤尚武「戦争倫理学」5
加藤尚武「戦争倫理学」4
加藤尚武「戦争倫理学」3 ~「命を賭ける」
加藤尚武「戦争倫理学」2
加藤尚武「戦争倫理学」1

加藤尚武「戦争倫理学」
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永久平和は可能か?(第十五章)

可能である。
しかし、
それは、加藤が本書で言うように、色々な条件があるから、
不可能に近いのでなんでもない。
すんごく簡単。

他国が攻めてきても、
すぐに財産を放棄して、降伏すればいい。
北がくれば北に、米が来れば米に
支がくれば支に、降伏すればいいだけのはなし。

もちろん、
チュウトハンパな平和主義者が多い場合、
ぐらついて、
実現するか、どうかは知らない。

これについては
米国の犬がダメになったら、さっさと北の家畜になればいい
参照されたい。

なぜ、戦争が起こるか?はこれ


加藤尚武「戦争倫理学」
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悪の温床ていうか、バカの温床を防止

過剰に反応して
抜け道があるとか……
不可能だとか……
そんな的はずれな議論をしても仕方がないと思う。

「アソビとしてのネットを使いたい」
そんなことまでなくせとか、
考えているとは思えない。
誰も「完全実名の実現」なんてことを
考えている人はいないだろう。
実社会でも、そういう匿名の部分や曖昧な部分があるように、
陰のアソビの部分まで無くせということではないと思う。

確かに、むかしのように、
ネットがリアル社会に比べて小さかった頃は、
電脳系の趣味人だけがいて
「ネットなんて、単なる遊び場でいい」という発想でもよかったとは思うが、
これだけ巨大化して、実社会への影響を及ぼすようになれば、
そのような発想のままでいいとは思えない。
「ネットも一つの社会として認知される必要がある」なら、
ネットの社会にも、表と裏、いわば、その境界線を、実社会に近い形で、一応、はっきりとさせるということは、そんなに悪いことではないと思う~

「実名だったら、なにもできない」
ような泣き言ばかりの意見が多いけど、
みんなそんなに実社会で、困っているのだろうか?
(ただ、オレは
みんながみんな、そんなに弱いとは思えない。
番号もらって受験すると(他人と知能を比較される)思えば、
どうってことない。
新聞の投書だってできるんだから、
できないことはないと思う。)

「トラブルに巻き込まれる」
だったら
そんなことはしなきゃいい。
(誰も頼んでないのである)
実社会でも当然のことである。

「トラブルに巻き込まれる」ようなことをしていなくて「トラブルに巻き込まれる」ことがある
それも実社会でも同じである。
だから、それがイヤなら、しなきゃ良いのである。

トラブル、トラブルっていうけど……
逆にいうと、そのリクツは
「トラブル…匿名、だから平気」
っていうことに「も」繋がっているはず。
「トラブル…匿名、だから平気」
   ↓
「匿名だから、トラブルを起こしても良いんだ?」
となる…。

少なくとも、実名でトラブルを起こすべきだ。
トラブルを起こしただけの、労力、財力、時間を求められるのは、
当然のこと。
それがいやなら、おとなしくすべき
実社会でも同じである。

もちろん、トラブルに巻き込まれない方法は、色々こうずべきであることは、いうまでもないが、だからといって、それが匿名っていうのは、
筋が通らないと思う(少なくとも社会では、そう)。
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悪の温床ていうか、バカの温床を防止

それにしても
こういうニュースの記事を書く人って
どれもこれも
国家(権力)対「民」みたいなぁさぁ
いまはもう賞味期限切れの
20~30年前のゲンダイシーソー図式(オサレ路線)ばっかなんだよねぇ
「権力」は「権力」で、「オレは、か弱き民」
「だからオレ、権力とは関係ないもんね」説(ここに日本伝統の「お上」思想(奴隷思想)を見るのは見易い道理…あるいは、内田樹の「自分は無垢で」「悪いことはみんな外からやってくる」話型の典型)
権力によって、一方的に何かされる→「オレは、か弱き民」(受動的)
か弱き民=性善説
か弱き民=無垢説
がシフトして
か弱き民=自分
自分=性善
自分=無垢
……(要するに、自分は「いいひと」なわけよ……笑っちゃうでしょう?)
結局、ぜえーんぶ、同じ調子なんだよねぇ
いいかげん、そんなふやけて無効になっちゃった(薄められたヒダリ的)図式捨てちゃったら~と思う~
ニーチェ-フーコー以降の現代で、
はっきりいって、今どき、バカみたい~
(たしかに、いまでも、不勉強な(あるいは作為的に)知識人が、そういう図式を、アオリで利用してるのは充分知ってるけど、結局、それって、あんたたちを食い物にしてるだけ……)
そういうニセの問題で、ホントの問題を隠している(あなた自身がねぇ)ことに気づくべきだと思う。

まぁどうせ、ただの流行りすたりだから
あと、もう何年かすれば、そういう人たちもコロッと変わってしまうのかも
しれないけれど……

諸行無常……だねぇ~
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実名でのネット活用促す 総務省「悪の温床」化防止 | Excite エキサイト : ニュース

一般的には、そうあるべき。
(まぁだからって、そういう場は無くならないだろうけど)
特に他人や社会に対して……「自分の意見」を述べるような公開の場では、
当然だと思う。
黒木氏「匿名による批判の禁止」

なんといっても
戦争反対・絶対平和主義に凝り固まっているような人たちの、
10年後がみたい(ゲラ(その逆も見たい)。

だいたいあーいうのって、知性が若いときのハシカみたいなもんで、
(パソ通と合わせて16年ぐらいネットやってまーすが、)
適正な社会生活を営んでいれば、いずれ、その大半は消えていく~
そういう良い社会(正常な過程)の見本になって欲しい……プゲラ。

じつは、そういう人たちの問題は、
社会でも、国際平和でも、国家権力でも、アメリカの横暴でもない、……でもない
そういう大問題ではない……
まして、そのひとたちが人並みはずれて感受性が高く先見の明のある優れた人間だからでも、なんでもない。
そういう人たちの大問題の大半は、
ホントの自分の問題(不幸・不満)を隠しているところに成立している。

つまり、
「今の世の中っていうのは、どこまで自分の個人的な不幸を一般化できるかってことにかかっています。どういうことかというと、「僕がこんなにも不幸だなんてことは、あまりにもひどすぎるじゃないか!」ってことを言い出して、ある程度以上の人に「なるほど」って、言ってもらえたら勝ちだってことです。今のきみは、少なくとも十分に不幸な訳ね。で、その不幸なきみが「僕はこんなに不幸だ!」って言っても、誰にも聞いてもらえないってとこに、きみの不幸がある訳ね」(23頁)橋本治「青空人生相談所」

だからって、
戦争反対、国家権力、アメリカの横暴……って言ってしまうところに、君たちの不幸があるわけよ~
誰にも、聞いてもらえなくても、どんなにみじめでも、実名で「僕はこんなに不幸だ!」と言い続けて欲しい~プゲラ……だってそれがホントの問題だから~
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腹一杯チーズフォンデュを食べた後に、
もう一杯、トンコツラーメンを食べるような
どす黒いどん欲さ
それがセネカの魅力である。

「多忙な人間には何ごとも充分に成し遂げることは不可能である」
「生きることの最大の障害は期待を持つことである」
「飢えた大衆は道理を受け入れず、落ち着いて気を静めることもなく、どんなに頼んでも考えを変えることはない」

極悪人にかぎって、すばらしい洞察を持つ………っていう典型。

権謀術策
巧言令色
裏切りにつぐ、裏切り
聞きしにまさる極悪人ってところは好き。
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「ひとびとは、生きるためにこの都会へやってきたのに、
しかしオレには、むしろここではみんな死んでいるとしか思えない」リルケ「マルテの手記」
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大阪は
ゼニ、地位(天下り天国)、地縁、血縁、ごね得

悪くいうと節操がない。
良くいうと、
ホンネだけが通用する~えらーい
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