(創作童話?(笑))
人に訊ねればヒカルの住んでいる村は、山また山のそのまた山のふもとにあり、人里離れた寂しいところ……
アスファルトの道路もなければ、信号もない、華やかな商店もない、なんにもない村でしたが、誰もが信じあえる幸福な村でした。
ヒカルは、そんな村が大好きでした。
ヒカルは、物心ついたときにはすでに、村の山々をわたり歩いていましたから、村のことならほとんどなんでも知っていました。
年寄りでさえ、山深い獣道はヒカルに聞くほどの物知りでした。
ヒカルの生まれた家は、貧しい村のなかでも、さらに貧しい家でした。
小さく痩せて9歳になるのに、5歳ぐらいの体格しかありませんでした。
着ているものといえば、いつもボロボロの継ぎ接ぎだらけの上衣、それと、半ズボンらしきもの。たいていいつも裸足で、山でも川でも走り回り。靴を履いているときでも、おじいさんのおさがりの汚い長靴。歩けば、まるで長靴が不格好に歩いているようでした。
この村の春夏秋冬、山々が見事な色の変化を遂げていってもヒカルのいでたちは変わることはありません。
ヒカルのあまりの汚さに、さすがに村人たちのなかには「かんじんさん(物乞い)のごたる」と云うひともいましたが、たいはんのひとは、ヒカルを不憫に思っていたようでした。
ヒカルには母親がいませんでした。5年前、突然にいなくなってしまったのです。
それでも、家族や村人の前では、寂しそうな顔ひとつせず、母親のことなど何も気にもかけていないようでした。
それというのも、
ヒカルには大好きなおネエちゃんがいたのです。
学校から帰ってくると、すぐにおネエちゃんのお家に遊びにゆきました。
みよネエちゃんは、ヒカルよりも5才も年上でしたが、ヒカルとよく遊んでくれるおネエちゃんでした。
みよネエちゃんの家は、庄屋さんで、ヒカルの家では見ることもないお菓子やおもちゃが沢山ありました。
でもヒカルが好きなのは、そんなものではなくて、みよネエちゃんに本を読んでもらうことでした。
ヒカルの家には、本はおろか母親さえいませんので、そうやって読んでもらうことが、なにより楽しかったのかもしれません。もちろん、ヒカルは人一倍好奇心の強い子でしたので、時々、みよネエちゃんを質問責めにして、しばしば困らせてしまいました。
ヒカルは、みよネエちゃんに本を読んでもらうことも好きでしたが、山で遊ぶことも大好きです。
青々とした空を、くっきりと分ける人の頭の形をした緑の山々や、猫の足の裏のような紺碧の湖、手足の長いお喋り好きな樹々たち、いつも楽しそうな名演奏家の鳥や虫たち・・、
ヒカルは、そんな自分の仲間達を、みよネエちゃんに見せてあげたいと思うようになりました。
しかし、家の人は、きたなく貧しいヒカルのことをホントは嫌っていたのでしょうか??
「みよネエちゃんは学校の勉強が忙しいから」といって、
ヒカルと一緒に山へ行くことを許してくれませんでした。
そんなときでも、ヒカルは聞き分けのない子供じゃありません。
諦めて一人でさっさと山に登りました。
そんなある日、ヒカルは学校から帰って、いつものようにみよネエちゃんの家に遊びに行きました。
ところが、家の人が、こわい目つきで玄関に出てくるなり
「みよはねぇ、これから学校の勉強が忙しかけんがら遊べんとよ、
いっときこんでねえ(しばらく来ないでねぇ)!」
と厳しく一喝したかと思うと、戸を強く閉める音がしました。
なにがなんだか分からないヒカルは大きな玄関先でひとり残されていました。
ヒカルはもちろんこんなことぐらいでめそめそ泣いているような子じゃありません。お母さんが小さい頃からいなかったせいか、ひと一倍我慢強い子供でした。それどころか、少々悪知恵が働くせいか、今度は裏庭から侵入して、みよネエちゃんの部屋に忍び込もうとしましたが、その計画はことごとく失敗に終わり、途中で家の人に何度となく見つかって叱られ、ヒカルのお父さんが、家にまで呼ばれて叱られたこともありました。
しかし、そうこうするうちに、月日は流れて、みよネエちゃんとも会えなくなって、もう一度同じ季節が経巡ってきました。ヒカルもしだいしだいにみよネエちゃんのことが気にならなくなってきていました。もしかしたら、忘れるように心がけていたのかもしれません。
ところが、そんなある日。
ヒカルが学校から家に帰ると、みよネエちゃんの家の人が来ていて、ヒカルを見つけるなり、
「おお、ヒカル、まっとった。
おネエちゃんがどうしてもお前に会いたいゆうとるけん、
悪かばってんなあ
今から、ちょっとうちにこんかあ」
思いもかけない申し出に、ヒカルは小麦色の小さな顔で満面に笑みうかべながら
「はい!」
と答えました。
みよネエちゃんは部屋で寝ていました。ネエちゃんはまだ病気らしくて、顔が見違えるように真っ白で、髪までが少し脱色したみたいに赤く、弱々しい感じでした。それでも、ヒカルを見るとすごく嬉しそうに表情が緩んで元気になったみたいでした。
「ヒカル!。元気だった!。まいにち、山にのぼっているんだってね?」
そう切り出したみよネエちゃんは、ほんとうに元気でした。
「うん。おネエちゃんもはようようなって、こんだは一緒にいこう」
「そうねぇ。今度こそ絶対に行かなくちゃぁねぇ」
それから、ヒカルは、まめ狸やウリ坊(猪)に山奥でばったり出くわして、一目散に逃げたことや、果物を採ろうとして木から落ちた話など、尽きることのない冒険譚をはじめました。みよネエちゃんは終始嬉しそうにそれに相槌を打って笑いました。どういうわけか家の人も和やかな表情を浮かべて楽しそうでした。
なかでも、ヒカルは山桃が大好きで、いかに山桃がおいしいか、どのくらい山の仲間達に人気のあるのか等々、ヒカルの山桃の話は尽きません。
「いいわねぇ。わたしも山桃が食べたいわ」
と思わず、みよネエちゃんも食べたくなってしまったようでした。
ヒカルが帰る際にも、みよネエちゃんは、すごく真剣な顔で
「ヤマモモ……食べたい、、、、」
すると、
「みよ!、もう山桃の時期はとうに過ぎとっとよう。
わからんこつば云うもんじゃなかよぉ」
と家の人は、みよネエちゃんをたしなめました。
「ヤマモモ?」
ヒカルは、少し困った顔をしました。
山桃の実の時期は少し過ぎていました。
しかし……
「女王の湖」
「女王の湖」……まで行けば
ひょっとしたら……
あるかも……
知れないと思ったヒカルは
「うん。わかった。まかせとってねぇ。
ぜったい、とってくるけん」
ヒカルは、思い詰めたように答えました。
「ヒカル、気にせんでよかよ!。
こんな時期に、山桃なんかあるもんかい」
ヒカルは、すでにかたく決心していました。
女王の湖は、この山村の一番奥にある湖です。
道が険しく、村人さえ、めったに近づけない湖です。
次の日の朝、ヒカルは早く起きました。
空はまだ真っ暗で、晴れているのかどうかわかりませんでした。
「女王の湖」までは大人の足でも、丸一日かかり、野宿しなければなりません。
ヒカルの決心はかわっていませんでした。
暗い山道を谷から谷へ、山から山へと、どんどん山の奥へと向かいました。
途中、山桃の木がありましたが、やっぱり、ほとんどの山桃の実は落ちてしまっていました。それでも、ヒカルはまったく諦める気配はありません。獣道を長靴でどんどん進んで行きます。
「女王の湖」までは、まだ険しく長い道のりが続きます。
空はうすく白んできましたが、しだいにネズミ色の絵の具が水に溶けてゆくように雲がたれ込めて、気がつくとあたりはまた真っ暗になって、大粒の雨がザーザーと容赦なく降り注いできました。
大きなイカズチ(雷)が何度となく、暗くなった空に妖しくキラッと光ったかと思うと、むこう山の大きな木に地も貫くほどの勢いで落ちました。
ドカーン。バリバリバリバリバリバリッ。
まるで夜の嵐です。
ヒカルはすっかりずぶ濡れになっていました。
冷たい雨に、ヒカルの小さなカラダはすっかり冷たくなっていました。
それでも、ヒカルにまったく怯む気配はありません。
雨でぬかるんだ道に何度も足を取られたり、崖から落ちたり、寸前のところで土砂崩れに巻き込まれそうになったりしながらも、どんどん、突き進んでいきました。
何時間たった頃でしょうか?
嘘のように雨が上がって、ふとヒカルが空を見上げると、絹で拭いたような綺麗な青い空がのぞいて、鮮やかな虹の終点が女王の湖の方角にかかっていました。
いつもだったら、そこで虹の美しさに何時間も見とれているヒカルでしたが、いまは、そんな余裕はありません。
ヒカルは足をすすめました。
そして、とうとう村の山の終点、「女王の湖」に着きました。
村の言い伝えでは、そこは昔、魔法使いの女王が棲んでいたと言われる湖で、この湖の水より澄んだ心の持ち主には願い事を叶えてくれるという伝説の湖でした。
ヒカルは、山桃の木を探しました。
ありません。
どの山桃の木も実を付けているものはありませんでした。
ヒカルはひどく落胆しました。
湖の畔で座り込み……
途方に暮れているうちに、
疲れていたのか眠りこんでしまいました。
久しぶりに見た夢は
母親の夢でした。
泣いているヒカルに
にっこり微笑んでいました。
どのくらい眠った頃でしょうか。
ヒカルはゆっくりと目を覚ましました。
ヒカルは目を疑いました。
なぜなら、目の前には、
大きな山桃の木が一杯の実をたわわに実らせていたのです。
あたりはもう暗くなってきていました。
ヒカルは、そそくさと山桃を袋一杯摘めると、
湖に深々とお辞儀をしました。
見ると、鏡のように静かでなだらかな湖面に月が落ちていました。
ヒカルは山を降りていきました。
山は、すでに
すっぽりと闇に包まれていました。
生き生きと輝いていた緑の樹々や花の色はまったく失われて、
ヒカルは、まるで「闇」という別の世界に通じている暗い穴の中を歩いているような気がしました。
枝や蔦や根っこが、まるで化け物の手足のように延びてきて、ヒカルの足にまつわりつき、行く手を阻みました。
ヒカルは勇気をふりしぼり、その蔦や枝を引きちぎりながら進みました。
手も足ももう血だらけでした。
しかも、そうするうちに帰る方角が、わからなくなってしまいました。
ヒカルは、生まれて初めて山で迷いました。
いつのまにか山桃の袋は破れ、手のひらに三つ握られているだけでした。
もうダメだ!
おもわず、闇の中で、うずくまってしまいました。
恐くて、寒くて、お腹空いて、動けない……
そのとき、木立のなかから……ゆらゆらと一匹のホタルが……
ヒカルは、なぜか、それに導かれるように、
歩き出しはじめました。
しかし、闇のトンネルは長く続きました。
ヒカルは、もう泣きながら……走りました。
見失わないようにホタルだけを見ていました。
そしてホタルが目の前でフイと満点の星空に消えたかと思うと、
突然、村全体が見渡せる高台に出ていました。
村の家々の点在する灯りのなかに、みよネエちゃんの家の灯りもありました。村までは、まだだいぶありましたが、ここまでくればもう大丈夫です。
「おネエちゃん、待っとってねぇ!」
傷だらけのヒカルが、みよネエちゃんの家の前に着いたとき、
家の前では何ごとか村の人たちが行列を作って並んでいました。
ヒカルはなにがなんだか分からず、
「ごめんください、みよネエちゃんはいますか?」
と玄関先で、叫んでみました。
その声で、ヒカルの存在に気づいた村の人たちの誰かが、家の人たちに取り次いでくれました。
「ヒカル
どこばほっつき歩いとったか
さがしとったばい
こんな泥だけになって、
山でん遊んどったんか
よかね、よーく聞けよ。
みよネエちゃんは、今日、お昼頃、天国に行かはったよ。」
あまりの突然のことで、ヒカルには、家の人の云うことが、しばらく、わけがわかりませんでした。
ただ、奥でみよネエちゃんの家の人たちの泣き声が聞こえたとき、ヒカルはなにごとかを、さとって、ぐっと家の人を顔をにらみかえしました。
ヒカルは「これっ」と小さく呟いたかと思うと、傷だらけになった黒く細い手に握ってきた山桃を家の人に手渡し、玄関先を勢いよく飛び出していきました。
ヒカルの目には涙がいっぱい溢れていました。